第28章ー対談ー

 
 
 
 
 
 
 「社長、こういう方が受付に来て社長に面会を求めていますが・・」
 秘書の袴田が一枚の名刺を持ってきた。
 「葉山晴香・・」
 和彦はその名前を知っている。
 有名なファンタジー小説家だ。作品は出せばベストセラーという驚異の作家である。
 しかし、和彦はその脇の肩書を見て来訪者がどういう意図でここに来たかわかったように思った。
 「富士出版か・・」
 この出版社の人間とは急に接点ができたように思う。
 そう「今井ラナ」という接点で・・
 和彦は言った。
 「わかった、お通ししてくれ。」
 
 智代は社長室に通された。
 社長室ってもっときらびやかなところを想像していた智代だったが、和彦のオフィスは質素で少し
 拍子抜けだった。
 和彦は袴田を退出させると緊張気味の智代に向ってこう言った。
 「紅茶にしますか?それともコーヒー?」
 こういう場に慣れていない智代は緊張で声が上ずっているのが分かりながらも言った。
 「こ、紅茶でお願いしますっ!」
 場違いな大きな声に和彦が吹き出す。
 「葉山先生、僕はあなたを取って食いやしませんよ、緊張なさらずに・・」
 智代が交渉や取材に出かけるとき、いつも傍にはラナがいた。
 ラナが殆どすべて取り仕切ってくれたのでラナがいないとこんなに自分は緊張するのか、と智代は
 改めて
ラナの大切さを思い知ったのだった。
 
 「葉山先生、貴女がここにいらした理由、多分僕はわかってると思いますよ。」
 和彦の言葉に智代が驚きの表情を見せる。
 「今井・・今井ラナのことでしょう?」
 智代は声が出なかった。智代は初音が和彦に接触していることを全く知らず、自分が初めて和彦に
 ラナの現状を
話に来たと思っていたのだった。
 「佐野さん・・だったかな・・今井の上司がね、僕のところに来ていろいろ話をしてくれたんですよ。」
 紅茶を注ぎながら和彦は言葉をつなげる。
 「・・・今井、がんだってね・・手術もできないほど進行してるって・・」
 「・・・」
 「・・・僕が悪かったのかな・・僕が、もっと彼女の気持ちに真摯に応えていれば彼女はもっと早く
 に手術を選んだかもしれない・・」
 「・・・」
 「僕は・・人の運命を狂わせたのかな・・」
 智代は正直意外だった。
 本やテレビで見る和彦は非常に強い男性という印象で目の前の罪の意識に苛まれている男性とは全く
 違うタイプに思っていたからだ。
 「・・・僕にはね、許嫁がいるんだ・・」
 智代に向って和彦は語り始めた。
 「親同士が僕が子供の時に決めたんだ。三千院財閥って先生も御存じでしょう?あそこのお嬢さんと
 結婚してゆくゆくは僕が財閥の跡取
りに・・っていう話なんだ・・」
 「正直、今井が僕を好いてるということを聞いたとき、どうしていいかわからなかった。第一に思い
 浮かんだのは自分が今井とくっつけば
僕の今の立場が非常にまずいものになるということだった・・」
 「実は天野商事は一度父の代の時に倒産の危機にあってね。その時三千院財閥の資金援助を受けたん
 だ。そのあと、僕が生まれて僕はいわば
借金のカタに瑠奈さんという財閥の一人娘と結婚することに
 なっているんだ・・」
 智代は驚いた。初対面ともいえる自分に有能なビジネスパーソンの和彦という存在がここまで語って
 くれるということに。
 「天野社長?どうして私にそんな話を・・?」
 「・・・せめてもの罪滅ぼしかな・・先生がここに今井の件で来るということは相当親密な御関係と
 お見受けしたからでもあるかな。」
 「・・・天野社長は、奇跡って信じますか?」
 智代がおずおずと尋ねる。
 「さぁ・・ね。めったに起こらないから奇跡っていうんだろうけど、実際に奇跡という現象は存在す
 るみたいだしね・・」
 智代は和彦に向って頭を下げてお願いした。
 「どうか・・どうかラナに奇跡が起きるように・・ラナは貴方が好きなんです。だからきっと毎日会
 ってくださればラナの病気にいい効果が
出ると私、信じています。だからラナに毎日会いにいってや
 ってください。例え10分、いや、5分でいいんですっ!」
 智代の両眼から涙が流れた。
 和彦は思った。
 「今井は幸せだな、佐野編集長代理といい、葉山晴香というこの作家といい、親身に心配してくれる
 人がいる。自分は・・三千院の跡取りという
ヴェールを取った自分をこれほどになって心配してくれ
 る人っているんだろうか?」
 内心の動揺を悟られないように和彦は言った。
 「わかりました。僕も時間を作って今井を見舞いに行きましょう。葉山先生、ほら、泣かないで・・」
 和彦はハンカチをポケットから取り出すと智代の目をぬぐった。
 「・・あり・・がとうございます・・」
 その瞬間、智代は和彦の胸に飛び込んで泣いた。今までたまっていた感情が一気に決壊した感じだ
 った。
 
 季節は秋、金木犀が一斉に咲き誇っている頃だった。

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