S病院の内科医、竹内はラナが治療拒否宣言をして部屋を後にしてから、ため息をついてラナのカルテを眺めた。
こういう患者はごくまれにいる。
しかしその治療拒否というのは竹内の経験では、患者自身の単なるわがままであったり、がんという圧倒的生
命の危機に際してのパニックで時がたてば治療に同意する患者が多かった。
はぁ、とため息をついてお茶を飲むとラナのカルテに記載されていたラナの職場、富士出版に事の顛末を伝えよ
うと受話器を取った。
結果が出たら会社に電話してくれ、というのが富士出版からの要求でもあったのだ。
「もしもし、わたくし、S病院の内科医の竹内と申します。こちらに入院されている今井ラナさんの件で少しお
話があるのですが、関係者の方、お願いできますか?」
「はい、少々お待ちください。」
受付嬢だろう、妙に甲高い声の女性がそう言って受話器の向こうからはオルゴールのメロディーが流れた。
「はい、お電話かわりました。」
「もしもし、今井ラナさんの関係者の方でしょうか・・?」竹内が尋ねる。
「はい、上司の佐野と申します。以前検査のときにお会いしましたね。」
ああ、あのきっちりしてそうな人は上司だったのかとそんなことを考えながら竹内は言葉をつづけた。
「はっきり申し上げます。今井さんはがんです。胃がんです。しかもかなり進行が見られて一刻も早く手術をし
なくてはなりません」
「・・・」
「・・ですが、当の今井さんは手術も治療も拒否なさる。下手に治療したら裁判を起こすといってるんですよ
・・」
「・・・」
「・・・そこで当方としても判断に迷いまして、お電話さし上げた次第で・・」
「・・そうですか・・全く、どれだけ心配をかけたらいいの・・。わかりました。説得してみます。」
「そうしてもらえるとありがたいですね」
「すみません、今井がご迷惑おかけして・・」
「いえいえ、苦しむ患者さんを助けるのが私どもの仕事ですから・・」
「病室、最初と変わってませんね?」
「はい、個室の810号室に入院しておられます。」
「わかりました。すぐそちらに向かいます。」
よほどあわてていたのだろうか、次の瞬間、電話は切れていた。
竹内はラナのことが気がかりだった。ああまでして生きることを拒否する患者の裏を知りたいとも思ったが、
それは患者のプライバシーにかかわることなので深く詮索できないな、と思い、たまったカルテの整理作業に
入った。
ラナは沈む夕日を見ていた。夕暮れの瞬間と朝、日の出前の朝焼けがラナは好きだった。
そこに病室の扉をノックする音がする。誰だろう?
「どうぞ、開いてますよ。」
ラナは言った。
「・・・」
扉を開けて入ってきたのは初音だった。
「・・編集長代理・・」
初音は無言でラナのそばに椅子を引き寄せた。
初音は開口一番こう切り出した。
「今井さん、貴女、死にたいの?」