天野和彦は自分に宛てて出版社の編集長代理の佐野と名乗る女性から電話がかかってきたことを訝(いぶか)
った。
?あの出版社は若者向けの文庫で有名な出版社のはず。
確かに自分は大きな会社の社長業をしていて少しは名が通っているかもしれないが、、一体なんだろう?
考えても答えは出ない。
こういうときはその現場に飛び込むのが和彦のやり方だった。気に入らなかったら席を立てばいいんだ。
そう思って和彦は初音に仕事の合間の時間に会う約束を取り付けた。
数日後、喫茶店の一角で二人は会った。
初音と和彦は名刺を交換して簡単な自己紹介をした。
そのあと、少し沈黙が流れた。
お互い、切り出すのを待っているのだ。
沈黙を破ったのは和彦だった。
「佐野さん、今回、私に会いたいというということでしたが一体どうされたんです?
私の知ってる限りでは佐野さんの出版社の出版物と私の仕事内容に共通点が見当たらないんですが・・」
「・・・天野社長、「今井ラナ」という人物、ご存知ですよね?」
和彦の眉が動く。
「大学のとき、貴方と今井ラナは同じサークルだった。そして今井ラナは貴方に恋をした・・」
「・・どうして、そんなプライベートなことを聞くんですか?確かに今井は私の後輩ですよ。でも・・」
和彦の言葉をさえぎって初音は無表情に語り続ける。
「今井ラナの求愛に対して貴方は一向に返事を出さず、無視し続けた・・」
「いい加減にしてください!どうしてそんなプライベートなことをねちねちと責められなくてはならないん
ですか?貴女は赤の他人でしょう?」
「それがそうでもないんですよね・・」初音はコーヒーを口に含んだ。
「ど、どういうことですか・・?」
「今井は現在、私の会社で私の部下なの。そして自分の体ががんに侵されているのに、一向に治療を受け
ようとしない・・」
「・・がん?今井ががんだと?」
「ええ、進行性の胃癌だそうですわ・・」
「どうして、治療を受けようとしないんだろう・・」
呟くように呻く和彦に初音は頭を下げた。
「天野社長、2人のプライベートについて深入りしたことについては謝ります。でも、多分今井を説得でき
るのは貴方しかいないんです、お願いです。一度今井に会って手術を受けるように説得してもらえませんで
しょうか?」
「でも・・」
「お願いします!」
和彦は考えた。自分とラナの過去を探られたのは正直良い感じはしない。
でも、この人はラナを本気で心配している。
そしていつか決着をつけようと思っていたラナの求愛への返事を出す機会でもある・・
しかし、そこには大きな問題があったのだ。
その問題が和彦を大いに迷わせたが、懇願する初音の姿勢に押し切られるように和彦は口を開いた。
「分かりました、話をしてみましょう。でも、私の説得でうまくいくかどうか・・」
「ありがとうございますっ!」
初音は和彦の手をがばっと握りしめていた。
・・・今井は幸せ者だな。こんなに心配してくれる人がいるのか・・