小説「今井ラナの思い出」

登場人物:

今井ラナ:初音の友人。大学時代に天野初音と出会う。サークル活動はワンダーフォーゲル部であった。
天野初音:この物語は初音の回想という形をとっているため、そういう意味ではある意味主人公かも
竜崎悠:ラナのクラブメートであり、ラナの紹介で初音と知り合い仲良くなる。悠という名前だが女性。

序章:ある霊園にて
 
 今日は秋分の日。彼岸の中日だ。
 そんな日に似つかわしくないくらい、今年も暑い秋分の日になった。
 私、天野初音はいつも春と秋の彼岸にある場所を訪れる。
 「ラナ、今日も来たよ・・」
 ここはある山の丘陵地帯を切り開いて作られた大規模霊園。
 そこに私の親友「だった」今井ラナが眠っている。
 いつもどおり線香に火をつけて花を供えながら、冥土でのラナの冥福を祈る。
 そうして祈りながらいつも出会いから別れまでを回顧する。それが私の習慣になっていた。
 そう、すべての始まりを・・
 そしてすべての終わりを・・


 第1章:出会いと何気ない日々

 私、天野初音と今井ラナは大学の頃、出会った。
 私もラナも現役合格だったのだが、ラナはセンター試験の結果が最悪でランクを下げてこの大学に来たと言ってい
 た。
 私たちの通っていたのは農学部。
 私は単純に植物が好きだからこの学部を選んだのだが、ラナも植物が好きで農学部を選んだと言っていた。
 入学式翌日、学科のオリエンテーションがあってそこでたまたま席が隣同士になった私たち。
 二言三言交わしたがお互いまだ友達がいなかったこともあり、じゃあ・・ということでその日から一緒にいるよう
 になった。
 それから私たちは親密になり、授業のときはいつも隣同士で授業を受けていた。昼御飯も一緒だった。
 ラナはワンダーフォ−ゲル部に入った。ラナは植物以外に山登りも好きだったようでそこのサークル仲間とも打ち
 解けて楽しい日々を送っているようだった。
 私はサークルには入らず、バイトにいそしんだ。
 本屋のレジ打ちだったが、本が好きな私にはうってつけのバイトだった。
 ラナはサークル活動はお金がかかると言って2回生の時からウェイトレスの仕事をサークル活動の合間にしていた。
 一度お客として冷やかしに行ったが照れて女の私が言うのもなんだがその照れ具合は可愛かった。
 そうしてお互い、何気ない日々が流れていくのであった。


 第2章:研究室にて

 私たちも3回生になった。研究室を決めなくてはならない時期になった。
 ラナは授業を受けていくうちに植物の病気について興味を持ったようだった。
 私はと言えば特にこれといった研究室は決めていなかったのだが、お互い虫が苦手だったので果樹園芸研究室か
 蔬菜園芸研究室、そして第一希望には植物病理学研究室と分属希望の用紙に書いて提出した。

 結果、私たちは2人とも第一希望だった植物病理学研究室に入ることができた。
 ラナと私はここで多くの友人と知り合い、また教授、助教授、大学院生もみんなまったりした性格だったのでと
 ても気に入っていた。
 私はお酒があまり飲めなかったがラナはサークルで鍛えられたのだろうか、結構飲める口で教授や大学院生と
 も普通に話していた。
 正直、ちょっと妬けるくらいその時のラナはかがやいていたのだった。


 第3章:突然の転機

 私たちは4回生になった。しかしラナはすでに卒業に必要な単位は揃えているのに授業が楽しいのか未修得の授
 業に出ていた。
 そんな彼女を研究室のみんなは「単位マスター」と笑って揶揄したものだ。
 私もせっかくここまで来たんだから大学院に進学しようと決めていて、何気なくその話になった時、ラナから意
 外な言葉を聞くことになった。
 ラナはステップアップを目指したいといい、某国立大学を受けるといったのだ。
 そこは植物病理学の研究では割と定評のあるところだったので受かればいいと思い、陰ながら見守っていた。

 努力の結果なのか、運がいいのかラナは国立大学の大学院に合格した。
 合格が決まってからラナはますます実験にのめりこむようになり、2か月全く休まないで学校に来ていた記録も
 作ったほどだ。

 また、私は遂に食べることはなかったがラナは合間にサークル仲間に手作りのクッキーやアップルパイを作って
 持って行っていたようでそれがまたおいしく好評だということ は後に知ったことである。
 
 ラナは彼氏がいなかった。お互い男とは無縁だと思っていたのだが、ラナ程の人なら一人くらいは好意を寄せて
 いる人がいるかも・・と思ってそれとなく聞いたがはぐらかされてしまった。
 そうして3月、卒論も無事終わり、卒業式を迎え、私たちは違う進路を歩み始めるのだった。


 第4章:回帰

 私はエスカレーターで大学院に進学した。
 研究室のメンバーも数人進学していて私もヘタクソながら研究室のキッチンを使ってお菓子を作ったりしたもの
 だ。
 
 ラナは大学院では同期の子が一人しかおらず、男の人だと言っていた。私はひそかにロマンスが芽生えるかも、
 と思っていたりもしたものだ。

 ラナは私たちの研究室に1か月に1回くらいのペースでなんやかんやと理由をつけて遊びに来た。
 そのたびに私たちは大学時代の楽しかった日々に戻り、一緒に談笑したりラナは私の実験を少し手伝ったりもして
 くれた。
 
 今更ながら思えばこの時に私は彼女の変調に気が付くべきだったのかもしれない。


 第5章:暗転

 その報告はラナ自身から突然に私たちの研究室の同期で作られたメーリングリストで行われた。
 大学を卒業した年の末、ラナは「鬱病」と診断されたということだった。
 あのメールでは普段通りのラナが鬱病?にわかには信じられなかった。
 なぜそんな病気に罹ったのか、私としては気になったのだが、ラナはあまり言いたがらない様子だった。
 ただ、実験結果が思うように出せないことや、人間関係で悩んでいることは白状した。

 とりあえず私はラナと今まで通り普通に接することにした。余計な気遣いは彼女にとって気を遣わせるものになる
 だろうという判断からだった。
 
 大学院も2回生になり、私も就職活動の結果、ある商社に内定をもらった。
 さて、残りの実験を済ませて・・と思った矢先の夏のある日のことだった。
 私は耳を疑う情報を聞くことになる。
 ラナが睡眠薬を大量に飲んで自殺を図り、病院に入院したというものだった・・


 第6章:悶々
 
  私たちはラナの家族に電話をかけて入院先の病院を聞き出した。
 しかし、ラナは閉鎖病棟に入っていて外部の人間は面会お断りということで詰め所で看護士さんに体よく追い払わ
 れてしまった。
 とりあえず花だけ渡しておいてくださいと看護士さんに行って引き下がるしかなかった。
 何人かのクラブの人がラナがたまたま外が見える場所にいたときに目が合って中に招き入れられたとかで意外と元
 気そうだったという報を聞いてはいたので少し安心した。
 しかし、ラナがここまで苦しむなんて大学時代のラナを知る私にはにわかには信じられなかった。
 何か手助けをしたい、しかし鬱病の患者には安易な励ましや景気づけは禁物というので悶々とした日々を送った。
 大学院は休学という形にして治療に専念するようにと大学院からも言われているということはラナからのちに聞い
 たことだ。

 2か月の入院期間を経てラナは退院した。
 しかし、私たち、いやラナ自身も知らなかった。
 これは病のほんの序章に過ぎなかったことを・・


 第7章:静寂
 
 ラナは2か月で退院した。ちょうど秋のはじめの頃でそれから一月後の大学の文化祭に彼女はやってきた。
 傍目にはとても病人には見えないほどであったが、抗鬱剤が手放せないこと、眠りは睡眠薬に頼っていることを
 聞いた。しかし、久々に彼女の元気そうな顔を見てほっとしたのはたぶんほかの研究室のみんなもそうだったのだ
 ろう。
 
 休学期間はラナには退屈だったようで通信講座に手を出したりコンパニオンバイトをしたりしていたようだ。
 もう少しゆっくりしたらいいのに・・と私は思ったのだが、口には出さなかった。

 4月、私は某商社に就職した。ラナは大学院に復学した。
 結局、大学院で学んだこととは無縁の世界に飛び込んだのだがそれなりに一生懸命だった。
 ラナはメールが好きなようでよくメーリング・リストにメールを投稿していた。
 人づてでは結局ラナは半年ほどでまた病が再発して休学したという話を聞いたが、メールでのラナは普通だった
 し、あまり彼
女に突っ込んで聞く機会もなかった。
 そんな日々がしばらく続き、翌年の4月、私に急に辞令が下りた。新人の私が大きなプロジェクトに抜擢され東
 京の本社に栄転することになった。
 ラナのことは気がかりだったが、彼女にはサークル仲間もいるし、大丈夫だろうと思い、4月、私は東京へ向かっ
 た。
 ラナは大学院を1年休学すると聞いていたのも私には一つの安心材料であった。
 好きなことを好きなだけしていたら私の知ってる好奇心旺盛なラナは戻ってくると思っていた。

第8章:遺書

  その年の6月のことだった。仕事から帰ってぐったりしながらもネットにつなぎ、またラナの普段通りのメール
 をチェックしたとき、私の背中が凍りついた。
 ラナはこう書いていた。
 「私は死ぬことにしました。もう薬は用意しています。数日後に精神科医と会う機会があるのでそのあと薬を飲み
 ます。電話やメールは受け付けません。みんな、こんな私に仲良くしてくれてありがとう。」

 私は慌ててラナの携帯に電話した。
 しかし、向こうからは「お客様の電話は電波の届かないところにあるか電源が入っていないため、かかりません」
 という無機質なメッセージだった。
 私はパニックになった。しかし東京を離れるわけにもいかず、研究室仲間に連絡をとった。
 その時は幸い彼女が所属していたワンダーフォーゲル部のメンバーが同じ内容のメールを受け取っていて彼女の
 自宅に電話をして親が薬を取り上げたと数日後に聞いた。
 ほっとしたが私にどうして相談してくれなかったんだろうと思うと少し悲しくなった。
 いったいラナは何に苦しんでいるのだろうか?それを聞いてみようとメールをしたが返事はなかった・・


 第9章:その後のラナーそしてー

 ラナは大学院を苦労の末卒業した。データ不足が問題になったらしいが、担当教授が相当に下駄を履かせてくれ
 たとのことだった。卒業時、電話でラナと話したとき、心の底からおめでとうと言った。ラナは照れていたがあ
 りがとうと言ってくれた。

 後に彼女は語っていた。
 彼女は将来植物病理学の研究職に就きたかったこと、同期の子が気を遣ってばかりで一向に密な付き合いができな
 かったこと、研究室以外に友人ができずいわゆる「ぼっち」だったことを打ち明けてくれた。

 その後、彼女は就職活動を始めたが、ダブリのマスターには研究職はなく、視野を広げて地元の小さいながらも鬱
 に理解のある社長のいる会社の事務員になったと聞いた。
 彼女も就職できた時真っ先に私のところに電話してきてくれた。
 方針の転換はあったもののラナもようやくここまで戻ってきたか・・と思っていた矢先のことだった。
 
 その年の夏の暑い日の夜中だった。いきなり携帯電話が鳴った。うるさいなぁ・・と思いながらも着信相手を見
 たら研究室仲間の竜崎悠からだった。
 悠は言った。ラナが交通事故で死んだと・・


 第10章:葬儀

 私はあわてて朝、会社に有給休暇を申請して(かなり嫌な顔をされたが)地元に帰った。
 葬儀にはラナの大学時代のサークル仲間や小中高校の友人、ラナの勤め先の友人などかなりの数が来ていて葬儀会
 場に入りきらないほどだった。

 そこで、私はラナについていろいろ聞いた。
 あの日、ラナは自転車で勤め先から帰る途中だったそうだ。横断歩道を走りすぎようとしたとき、脇見運転の車に
 はねられた。即死だったそうだ。

 サークル仲間だった竜崎悠はラナがサークルの同期の男の子に好意を持っていたものの好きだと言えず告白した
 ものの振られたこと、その男の子と最初で最後のデートと決めて会う約束を取り付けたものの直前に反古にされ
 て男性不信に陥っていたこと、サークル仲間にはよく一時期「さようなら電話」がかかっていて慰留に必死だっ
 たことを聞いた。
 私の知らない、苦しむラナの姿がそこにはあった。
 私は役に立てなかった。日々の生活に埋没して彼女の苦しみに気づいてあげられなかった。そう思うとめどなく
 涙があふれて私は嗚咽した。

 ラナの両親はとても憔悴していた。ラナに妹がいるとは聞いたがラナとは正反対の容姿の女の子であった。名前を
 舞
というらしい。金髪でラナとは正反対の容姿をしていた。
 彼女も憔悴して涙すら出ないというような状態であった。
 私は最後のお別れのとき、花を入れようとラナの顔を見た。とても静かな顔で顔にわずかな擦り傷がある以外は
 いつ目覚めてもおかしくないような雰囲気だった。
 しかし、彼女の頬にそっと触れたとき、私は彼女が二度と目覚めることがなく、言葉も交わせない存在になって
 しまったことを知覚した。
 こうしてラナは空に還って行った。

 終章:絆

 ラナは一度だけ私に香水を薦めたことがあった。
 彼女は沈丁花の花が好きでその花の香水を見つけたと言って子供のようにはしゃいでいた。
 大学3回生くらいの頃だったかな?
 ふとそんなことを思いながら祈りを終えたとき、私の傍を一陣の風が吹いて行った。
 私はその中に確かに彼女がつけていた沈丁花の香りを嗅いだ。
 今は秋だ。沈丁花があるはずがない。
 そう思いながら周囲を見たがやはり沈丁花の花はなく、そのようなにおいを発するものも見つからなかった。
 そうして私は確信した。
 今、この場所にラナがいたと。言葉は交わせず、手をつないだりもできない存在になってしまったが、彼女と私
 は確かに繋がっていることを。
 そう思うと私の中の罪悪感と悲しみが少しは軽くなった。


 今日は秋分の日、彼岸の中日。
 墓所の周囲では彼岸花が盛大に咲き誇っていた。

 (了)


 ※この小説はフィクションです。実在の人物、場所などとは一切関係がないことを特にお断りしておきます。

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