私たちはラナの家族に電話をかけて入院先の病院を聞き出した。
しかし、ラナは閉鎖病棟に入っていて外部の人間は面会お断りということで詰め所で看護士さんに体よく追い払わ
れてしまった。
とりあえず花だけ渡しておいてくださいと看護士さんに行って引き下がるしかなかった。
何人かのクラブの人がラナがたまたま外が見える場所にいたときに目が合って中に招き入れられたとかで意外と元
気そうだったという報を聞いてはいたので少し安心した。
しかし、ラナがここまで苦しむなんて大学時代のラナを知る私にはにわかには信じられなかった。
何か手助けをしたい、しかし鬱病の患者には安易な励ましや景気づけは禁物というので悶々とした日々を送った。
大学院は休学という形にして治療に専念するようにと大学院からも言われているということはラナからのちに聞い
たことだ。
2か月の入院期間を経てラナは退院した。
しかし、私たち、いやラナ自身も知らなかった。
これは病のほんの序章に過ぎなかったことを・・
第7章:静寂
ラナは2か月で退院した。ちょうど秋のはじめの頃でそれから一月後の大学の文化祭に彼女はやってきた。
傍目にはとても病人には見えないほどであったが、抗鬱剤が手放せないこと、眠りは睡眠薬に頼っていることを
聞いた。しかし、久々に彼女の元気そうな顔を見てほっとしたのはたぶんほかの研究室のみんなもそうだったのだ
ろう。
休学期間はラナには退屈だったようで通信講座に手を出したりコンパニオンバイトをしたりしていたようだ。
もう少しゆっくりしたらいいのに・・と私は思ったのだが、口には出さなかった。
4月、私は某商社に就職した。ラナは大学院に復学した。
結局、大学院で学んだこととは無縁の世界に飛び込んだのだがそれなりに一生懸命だった。
ラナはメールが好きなようでよくメーリング・リストにメールを投稿していた。
人づてでは結局ラナは半年ほどでまた病が再発して休学したという話を聞いたが、メールでのラナは普通だった
し、あまり彼女に突っ込んで聞く機会もなかった。
そんな日々がしばらく続き、翌年の4月、私に急に辞令が下りた。新人の私が大きなプロジェクトに抜擢され東
京の本社に栄転することになった。
ラナのことは気がかりだったが、彼女にはサークル仲間もいるし、大丈夫だろうと思い、4月、私は東京へ向かっ
た。
ラナは大学院を1年休学すると聞いていたのも私には一つの安心材料であった。
好きなことを好きなだけしていたら私の知ってる好奇心旺盛なラナは戻ってくると思っていた。
第8章:遺書
その年の6月のことだった。仕事から帰ってぐったりしながらもネットにつなぎ、またラナの普段通りのメール
をチェックしたとき、私の背中が凍りついた。
ラナはこう書いていた。
「私は死ぬことにしました。もう薬は用意しています。数日後に精神科医と会う機会があるのでそのあと薬を飲み
ます。電話やメールは受け付けません。みんな、こんな私に仲良くしてくれてありがとう。」
私は慌ててラナの携帯に電話した。
しかし、向こうからは「お客様の電話は電波の届かないところにあるか電源が入っていないため、かかりません」
という無機質なメッセージだった。
私はパニックになった。しかし東京を離れるわけにもいかず、研究室仲間に連絡をとった。
その時は幸い彼女が所属していたワンダーフォーゲル部のメンバーが同じ内容のメールを受け取っていて彼女の
自宅に電話をして親が薬を取り上げたと数日後に聞いた。
ほっとしたが私にどうして相談してくれなかったんだろうと思うと少し悲しくなった。
いったいラナは何に苦しんでいるのだろうか?それを聞いてみようとメールをしたが返事はなかった・・
第9章:その後のラナーそしてー
ラナは大学院を苦労の末卒業した。データ不足が問題になったらしいが、担当教授が相当に下駄を履かせてくれ
たとのことだった。卒業時、電話でラナと話したとき、心の底からおめでとうと言った。ラナは照れていたがあ
りがとうと言ってくれた。
後に彼女は語っていた。
彼女は将来植物病理学の研究職に就きたかったこと、同期の子が気を遣ってばかりで一向に密な付き合いができな
かったこと、研究室以外に友人ができずいわゆる「ぼっち」だったことを打ち明けてくれた。
その後、彼女は就職活動を始めたが、ダブリのマスターには研究職はなく、視野を広げて地元の小さいながらも鬱
に理解のある社長のいる会社の事務員になったと聞いた。
彼女も就職できた時真っ先に私のところに電話してきてくれた。
方針の転換はあったもののラナもようやくここまで戻ってきたか・・と思っていた矢先のことだった。
その年の夏の暑い日の夜中だった。いきなり携帯電話が鳴った。うるさいなぁ・・と思いながらも着信相手を見
たら研究室仲間の竜崎悠からだった。
悠は言った。ラナが交通事故で死んだと・・
第10章:葬儀
私はあわてて朝、会社に有給休暇を申請して(かなり嫌な顔をされたが)地元に帰った。
葬儀にはラナの大学時代のサークル仲間や小中高校の友人、ラナの勤め先の友人などかなりの数が来ていて葬儀会
場に入りきらないほどだった。
そこで、私はラナについていろいろ聞いた。
あの日、ラナは自転車で勤め先から帰る途中だったそうだ。横断歩道を走りすぎようとしたとき、脇見運転の車に
はねられた。即死だったそうだ。
サークル仲間だった竜崎悠はラナがサークルの同期の男の子に好意を持っていたものの好きだと言えず告白した
ものの振られたこと、その男の子と最初で最後のデートと決めて会う約束を取り付けたものの直前に反古にされ
て男性不信に陥っていたこと、サークル仲間にはよく一時期「さようなら電話」がかかっていて慰留に必死だっ
たことを聞いた。
私の知らない、苦しむラナの姿がそこにはあった。
私は役に立てなかった。日々の生活に埋没して彼女の苦しみに気づいてあげられなかった。そう思うとめどなく
涙があふれて私は嗚咽した。
ラナの両親はとても憔悴していた。ラナに妹がいるとは聞いたがラナとは正反対の容姿の女の子であった。名前を
舞というらしい。金髪でラナとは正反対の容姿をしていた。
彼女も憔悴して涙すら出ないというような状態であった。
私は最後のお別れのとき、花を入れようとラナの顔を見た。とても静かな顔で顔にわずかな擦り傷がある以外は
いつ目覚めてもおかしくないような雰囲気だった。
しかし、彼女の頬にそっと触れたとき、私は彼女が二度と目覚めることがなく、言葉も交わせない存在になって
しまったことを知覚した。
こうしてラナは空に還って行った。
終章:絆
ラナは一度だけ私に香水を薦めたことがあった。
彼女は沈丁花の花が好きでその花の香水を見つけたと言って子供のようにはしゃいでいた。
大学3回生くらいの頃だったかな?
ふとそんなことを思いながら祈りを終えたとき、私の傍を一陣の風が吹いて行った。
私はその中に確かに彼女がつけていた沈丁花の香りを嗅いだ。
今は秋だ。沈丁花があるはずがない。
そう思いながら周囲を見たがやはり沈丁花の花はなく、そのようなにおいを発するものも見つからなかった。
そうして私は確信した。
今、この場所にラナがいたと。言葉は交わせず、手をつないだりもできない存在になってしまったが、彼女と私
は確かに繋がっていることを。
そう思うと私の中の罪悪感と悲しみが少しは軽くなった。
今日は秋分の日、彼岸の中日。
墓所の周囲では彼岸花が盛大に咲き誇っていた。
(了)
※この小説はフィクションです。実在の人物、場所などとは一切関係がないことを特にお断りしておきます。