あにまりあの徒然日記Tetra(2011・4月)
4月1日(金) 「4月4日からの啓示」

今日は不思議な感覚がやってきた。
それは「4月4日に何かが起こる」というものだ。
さて、この啓示、世界的な目で見たら絶対に当たる予言に入るだろう。
何故なら広い世界で何にも起こらないはずがないのだから。
しかし、私に降りた啓示は「私に」何かが起こると言っていた。
そうなるとかなり限定されたものになる。
まず「何かが起こる」というのは多分「いつもの日常生活とは違う何か」と解釈した。
そうなると、ますます当たる可能性は低くなる。
奇しくも、4月からロト6が月木の週2回抽選になるという。
試しに2口だけ買ってみた。
何が起こるのだろう?
多分何も起こらないと思うけど。
4月2日(土) 「開花」

桜が週末の暖かさで一気に開花を始めた。
ただ、明日から数日少し寒くなるというので、一気に開花というのはないだろう。
それにしても今年は梅、沈丁花共に感覚的に全く見送りに近い状態だったので何とかこれを見て精神時間を調整しないと後々弊害が起こりかねない。
そもそも、この「無感動ゾーン」にどうして入り込んだのか、未だに分からない。
確かに短い時間で区切っていくとそれなりに心は動いているのだが総体として長い区切りで見るとやはり精神活動は活性低下。
原因は、目下究明中だが正直暗礁・・
4月3日(日) 「再び道に迷う」

今日、本町の方にあるお店に出掛けた。
いつもは自転車で行くのだが今日は寒いし地下鉄で行こう・・と思ったのがそもその始まりだ。
地下鉄を降り、地上に出る。
そして歩き始めたが、どうもおかしい。
どう見ても反対にしか歩いていないとしか思えない。
そうして歩くことしばし、自分が反対方向に向かって歩いてると気が付き引き返して事なきを得た。
どうも高速道路沿いの地下鉄の出口の南側と北側を間違えたのが発端らしい。
いやいや、びっくりした・・
4月4日(月) 「4月1日の記述への4月4日からの返答」

4月1日に4月4日に何かありそうだと記述をした。
その4月4日になった。
・・・至って変わり映えのない日常が繰り広げられた。
試しに買ったロト6も全く当たらなかった。
結局「啓示」と派手に銘打った割には思いっきり「スカ」だった。
4月5日(火) 「ベルト」

今日、気がつかないほうが良かったともうことに気が付いてしまった。
それはベルトだ。
ベルトをしていてもズボンが少しずり落ちるほどお腹の肉が減っているのだ。
どれくらいかというとベルトの一番最後の穴から2つ分ほどのところに穴をあけないときっちりしないのだ。
はぁ・・数字以外にこんな実感的なもの見せつけられたらキますね。
4月6日(水) 「この時期特有症状」

毎年、この桜の季節にある身体症状が出る。
それは私にとって非常に鬱陶しいものだ。
その症状、それは「眠い」というものだ。
朝、起きると足がとてもぽかぽかだ。
それはすなわち体がまだ眠れると言ってるようなもので結果目覚めたときに眠気が残る。
これが数日溜まると非常にだるくなって早く眠ってしまう。
古人曰く「春眠暁を覚えず」。
全くその通りだと思う。
4月7日(木) 「奇妙な両立」

右手のしもやけだが人差し指のはほぼ快癒した。
しかし、中指に出来たものが実にしぶとい。
確かについこの前までほどパンパンではないが、まだしっかりと形がある。
さて、今日は20℃くらいまで日中温度が上がったという。
外気温20℃の世界でしもやけ・・
はっきり言っておかしいんじゃないか?
あまりにもこの矛盾に近いくらい似つかわしくない春としもやけ。
理解を超えてる。
4月8日(金) 「カメラの光」

私のデジカメ。確か今年の夏で購入して4年になる。今まで特に故障もなく良く動いてくれている。
しかし、最近少しだが気になる現象がある。
ノーマルレンズで写真を写すと時々光が入り込むのだ。
ちなみにアリを写すのに使っているマクロレンズではこの現象は起きない。
絞り関係かとも思ったがよく分からないので明日ビ〇クカメラで見てもらうことにした。
家電量販店だが、「カメラ」と名前にあるくらいだから何とかしてくれる・・と思いたい。修理は勘弁ね。
4月9日(土) 「悲しみの塊」

私は不意に気が付いてしまった。
それは私の潜在意識化には巨大な悲しみの塊とでも評すべき悲しみ感情の集合体があることに。
普段、それは表に出てこない。
しかし、今朝、夢の世界というある程度潜在意識が出てくる世界においてそれが出てきた。
と言っても悲しい夢を見たわけではなく、夢が悲しみの色に染められていたとでも言おうか。
今のところ、それを融かす方法は全く見つかっていない。
そもそも普段は心の奥底に息づいているので直接手を下すのが困難な世界なのだ。
こんなこと、気が付きたくなかった。
4月10日(日) 「今年の桜」

確か、去年は桜が開花してから低温が続いて桜がやけに長持ちした。
3週続けて花見に出かけた記憶がある。
しかし、今年は開花後、順調に温度が上がったので大阪ではそろそろ桜吹雪になりつつあるという。
うん、寒いのはもう御馳走様な感じだから・・・
4月11日(月) 「全ては9月6日に始まった・・・が、しかし」

そう、全ては9月6日だったのだ。
何が?
日記をつけ始めた日だ。
それが2001年9月6日だった。
その際、日記帳の1ページを見て驚いた。
1998年の7月の日記だった。
どうも、この年私は日記を習慣化しようとしていたらしく9月頃まで割と書かれていた。
今ではまず書かない心情面の記述が多くて面白かった。
思わぬところで「昔の私」に出会う事が出来た。
4月12日(火) 「何がエネルギーを食べている?」

私は半年前に比べて3キロ以上体重が減った。
いや、今年に入って減り方が少し急になって頬がこけたり今までのズボンのベルトがぶかぶかになったりという状態だ。
私は最近、食事してる時や活動時に感じるある感覚がある。
それは体のどこかで猛烈にエネルギーを食べている箇所があるという感覚だ。
それは凄く感覚的なものでエネルギーをそこがどんどん食べてるとしか表現できない。
そして、どれはどうも体内にあるという事だ。
でも、痩せたからと言って自覚症状はなく、むしろ前より体が軽いほどだ。
不思議な現象だ。
4月13日(水) 「手のこわばりとしもやけ」

今週に入り、暖かい日が続いているためか散々頑固だった手のこわばりとしもやけがようやく治った。
でも、よく考えたらそれは単純に気温が高くなったから治ったのであってまた今年の終わりの冬になれば再発する可能性はある。
そもそも、4月、桜の季節にしもやけが残っていたという事自体かなりおかしいと思う。
・・・不思議というか、なんというか、変な感じだ。
4月14日(木) 「早起きさん」

最近、目覚ましより30分ほど早くに目が覚める。
眠たいのに眠れないのではなくそれなりに寝たという実感の元起床するのだが1時間もすると眠くなる。
私は8時間眠らないとだめな人間だが、最近は7時間。
それが続くと怠くなって早めに眠って元を取っている。
休みの日でも7時には起きている。
昼寝は何度か却って怠くなったことがあったので最近はあまりしない。
ある意味、凄く健康的なのかもしれないが、この溜まりゆく疲労は適当なところで消化しないと昨年末みたく極度の怠さに発展する可能性があるので結構取扱注意な代物だ。
4月15日(金) 「今井ラナの徒然日記(45)ー早いー」

この前雪が降ったと書いたような気がするけど、もう桜も散り始めています。
今年は何だか例年より時間のたち方が凄く速いように思います。
私ももう年なんでしょうか・・?
暖かい季節。でも、本当に「良い気候」の時期って短くて5月も中旬になると暑くなってくるのでこの暖かくもなく寒くもないこの時期に何かできることを・・って思いながら何もできないというか何も思い浮かばずただぼけーっと過ごしてるのです・・
4月16日(土) 「時間という資源」

時間って考えれば考えるほど不思議な資源だと思う。
使い切り型の資源で持ち越し不可。溜めることも不可。
そして世界中の人間誰でも同じ量(1日)が与えられている。
その資源をどのような形で他の形に転化させるかが腕の見せ所というところだろうか。
勿論、一日という長さでも体感的には時間の流れは異なる。嫌なことをしていたら時間は長く感じるし、楽しいこと、好きなことをしていたらその逆。
更にややこしいのが高速宇宙船で起こるといわれる浦島効果だ。
こういうことが普通に起こる時代になったら時間という定義は再定義化を余儀なくされるかもしれない。
4月17日(日) 「休日は特に早起き」

休日は特に早く目が覚めている。
ちなみに今朝は5時50分に目が覚めた。
早く寝てるわけでもない。昨夜は1時に寝ている。
それでも、どういうわけか休日は平日より早起きだ。
まぁ、平日でもアラームより30分以上前に起きだしているけど。
結構体調的にそれで安定しているらしく疲れも寝るときにちょうど適度なものが来て昼間に異様に眠くなるようなことはない。
そして休日に早起きしたら結構得したような気分になれる。
4月18日(月) 「春なのに」

やっぱり今年は精神的に何かが変だ。
どうもどこか基幹的部分がフリーズしてるように何も感じなくなっている部分があるのを感じる。
勿論、表層部はそれなりに動いているのだが肝心の根元が動いていないので不意に時間感覚が変になったり、今いる世界がモノトーンの世界に感じるのだ。
今の私は何だか周りのものに対して実感を得られないような感じになっている。
はっきり言ってとても気色が悪い。
4月19日(火) 「Calm down!」

最近、私がよく自分に使う言葉。英語で「落ち着け!」と言っている。
私はとにかくパニックに陥りやすい。
見た目はそう見えていなくても精神的にはあたふたするという事はそう珍しいことではない。
そんなときにこの言葉を使う。
一種の呪文のようなものだろうか、少し落ち着くのだ。というか客観になるというかそんな感じだ。
4月20日(水) 「寒いのはやっぱり嫌い!」

昨日、今日と肌寒い。
今日は朝夕結構冷えた。
思う。
やっぱり寒いのはだめだ。
何より、精神的によろしくない。
寒いと外に出るのが億劫になって結果籠り気味になってしまう。
やっぱり暖かいのが良いな。
4月21日(木) 「likeという単語を習った時思った疑問」

likeには大まかに「〜が好き」という意味と「〜のような」という意味があったと記憶する。
勿論、細かい意味はたくさんあるんだろうけど、学校で習ったのはこの2つの意味だった。
そして前者の「〜が好き」という意味は英語を習い始めのころに出会ったはずだ。
私はその時、思った。
「好きはわかった。じゃぁ、「嫌い」は?」と。
そこで和英辞典で調べた。dislikeという単語があった。
それからずっと経ってこのdislikeより強意の「嫌い」という意味の単語があるのを知った。
それはhateという単語だった。
4月22日(金) 「変化という波」

私は少し前から変化の兆しを感じていた。
それはまだどういうものか具体的な形はとっていないが変化という構成要素は嗅ぎ取れる。
それを初めて指摘されたのは昨年の夏の終わりだった。
その時はそんなことは夢にも思わなかったがあれから秋、冬を超えてそれは徐々に形をとるようになってきた。
その変化の後、私のどこがどういう風に変わるのかよく分からないが、変化を厭う私には徐々な変化というよりある時点で急速に変化するというパターンが多いような気がする。
4月23日(土) 「刹那の微睡(まどろみ)」

夕方、座っていたら凄く眠くなった。
そこで、姪っ子が傍にいたが横になった。
話し声は聞こえる。
それでも声をかけられてばっと起きたとき、今まで纏わりついていた眠気はかなり解消されていた。
多分ほんの短い時間だが脳が休んだのだろう。
こういうほんの短い眠りでも案外回復するものなんですね。
4月24日(日) 「落し物」

今日、アリ採集に出掛けた。
それ自体は楽しかったし、いいのだが、家に帰ってからあるものを落としていたことに気が付いた。
それはストロボを入れるポシェットだ。
普通、これは鞄に入れたままにしてるのだが、今日は思わぬ掘り出し物があってタッパーを慌てて出したのだ。
どうもその時に落としたと思われる。
まぁ、ポシェットなので金銭的にはそれほどでもないがやっぱりいざという時こそ落ち着かないとだめですね。
4月25日(月) 「唇が腫れる」

最近、夜になると唇、特に上唇が腫れる。
真ん中辺りが俗にいう「たらこ唇」になる。
腫れぼったいだけでなく少しかゆみと痛みを伴って鬱陶しい。
不思議な現象だ。
4月26日(火) 「手術日」

父の手術があった。
頸椎に出来て脊髄に触っている腫瘍の摘出だ。
立会したがあの待ち時間はどうも精神的に結構参る。
父が手術室に消えておよそ10時間、ようやく先生からお話があった。
腫瘍は良性で完全に摘出したという事だった。
ただ、腫瘍が思った以上に脊髄に癒着していてその辺で動かし辛いとか感覚が鈍いとかいう症状が出るかもしれないという事だった。
今ICUで麻酔も醒めたばかりであまりはっきりしたことは言えないけどね。
4月27日(水) 「暖夜」

昨夜はとても暖かい夜だった。
5月下旬の気温だったそうだ。朝通勤するときもとても蒸し暑かった。
でも、寒いよりはいいかな・・
ただ、以前にもここで何度か触れたことがあるが5月は私にとって体調的に不安定になりやすい月なので健康管理には気を付けたい。
その根本は私の場合、睡眠の確保だ。
4月28日(木) 「IE9」

インターネットエクスプローラ9がリリースされた。
いずれ自動更新で入ってくるとは思ったがブラウザの比較実験をしたいと思い、入れた。
結論。話にならん。
動かない。立ち上がる途中で動作停止。
ウインドウズメールも動作停止。
基本がやられちゃ話にならない。
多分なにがしかの競合現象が起きてるとは思うけど、どのソフトと競合してるかなんてわかるはずもない。
もうね、なんというか、疲れたよ。
4月29日(金) 「幸運周期に入った」

私は今週初めから自分が幸運の周期に入ったという実感があった。
父の手術は成功し、若干のリハビリは必要らしいが完治、あるいはそれに近い状態になる可能性が高いという事だし、何より、お得意の「私がそう思うからそうなのだ」的な考えの下、この「確変」状態になってると思う。
でも、これって考え方だとも思う。
考え方次第で今起きてることはマイナスにもプラスにも見えることを私は知ってるのでなるだけプラスになるように意図的に(自然に流すとマイナスに流れるので)プラスに持って行くようにしている。
だからこの幸運周期もいつかは落ち着くにせよ、極端な精神的落差はないと思う。
4月30日(土) 「普通という薄氷」

ずっと前にあにまりあが普通であることは薄氷の上を歩くようなものだという事をここで書いていた。
この前の震災で多くの人が普通の大切さを知ったと言っていた。
普通って本当に奇跡に近いリズムの上に成り立ってると思う。
凄く小さな例では朝、急いでる時に電車が遅れたらもう「普通」の日常ではないだろうし、天災の事は言うまでもない。
そう、「普通」って人それぞれ形は違うと思うけど、凄い積み木の上に成り立っていて、その積み木が一個なくなったり変質したらもう「いつもの」とか「普通の」というものとは違う世界になる。
そう考えたら、昔からよく言われていることだが今日と同じ日は二度とないというのも頷ける。

戻る