あにまりあの徒然日記(2005・3月)
3月1日(火) 「沈丁花」

私はこの花がとても好きである。匂いもいいのだが何よりこの花が咲くと「春が来た」という実感に浸れるからである。
この花の香水があればほしいくらいなのだがどこにもそういう話は聞かない。
どこかにこの花の香水を開発しようという奇特な方はいらっしゃらないだろうか・・
3月2日(水) 「熱」

カゼなのか弟から母に感染した流感が私にきたのか分からないが熱が出てきた。
でもそれほどしんどいわけではなく単に喉が少し痛い程度である。
そもそも昼に布団もかけずに昼寝したのが悪かったのか・・
3月にもなって熱が出るとは思わなかった。
3月3日(木) 「鉄板」

ひな祭り。しかし男である私にはあまり関係ない。
熱は一晩で下がった。なんだったんだろう・・?
さて、母が背中がだるいと訴えるので揉んで見たら・・鉄板。
コリがはっきりと分かった。実は私は人のコリをぐりぐりと揉むのが好きで(自分がしてもらったら気持ちいいから)してみたら・・柔らかくなりました。
まぁ、完全とは言いませんが最初よりは大分。
私も時々腰に巨大なコリが出来ることがあるがそうなったら全く動けなくなって眠ってばかりいるようになる。
何はともあれ一件落着?であろうか。
3月4日(金) 「一件落着・・ではなかった」

母が背中が痛いと接骨院に行って背中を揉んでもらったらやはり恐ろしく硬いようだった。週に3回ほど通えばこりも治るといわれたらしい。
ついでにレントゲンを撮ったらある病気にかかってる可能性が浮上した。それは「後縦靭帯骨化症」。何か首の骨に垂直に「何か」が写っていたらしい。
ちなみに母の右側の頚椎の端の部分は長年の力仕事がたたったのか潰れていたそうだ。ちなみに潰れていても自覚症状もないらしい。
我が家はここ数年、病気と縁が切れない。困ったものである。
3月5日(土) 「春近し」

今日は寒かった。しかし真冬用のダウンジャケットを着てたら外でもそれほど寒く感じなかった。
日差しも日増しに強くなってるのを感じ、1日に書いたようにジンチョウゲも大阪市内ではだいぶ咲いてきた。
いよいよ春がやってくるのを身をもって感じる今日この頃である。
3月6日(日) 「春近し2」

今日は久々に春の陽光というものを実感できた。
気温は昨日に引き続き低かったものの光はすでに冬の弱々しいものではなく暖かものであった。
もう一ヶ月もしたらダウンジャケットや厚手の服は物置に入るんだろう。
本当に日本という国は気温差が大きいものだ。
3月7日(月) 「春」

今日は暖かかった。同期の子が博士課程を修了し、その学位論文発表会があったので久々に午前中から学校に行った。
大阪と京都を結ぶ京阪電鉄の特急車両は実に座り心地がいい。その上特急料金がかからない!(平日の昼間は特急専用車両でない普通車両の特急も走ってますが)案の定行きかえりは寝てしまった。久々に風景を楽しみたかったのだが・・・
暖かさに誘われて何か虫が出てないかと見て回ったが何もいなかった。
これは少し残念であった。
3月8日(火) 「喋り方」

私の喋り方はあまり大阪がちがちのものではないらしい(全く意識していないのだが)。
小中高大学とこの口調を真似る人が最低一人はいた。
アリ仲間のあべさんという方が以前仰っていたところではゆっくりしていて「京風」なのだそうだ。これが緊張したらどういうわけかますます一字一句はっきりとゆっくりと喋るようになる。
大学時代、「私は小学生のころまで東京の青梅市に住んでいた」といったら誰も疑わなかった。あまりに誰も疑わないのでこっちが不安になって自らネタだよ、とばらしたほどだ。
両親はがちがちの大阪弁である。どこからこの喋り方はやってきたんだろう・・?
誤解のないように言っておくが私は自分の喋り方が好きである。そうでなかったらとっくに改善してるであろう。まぁ、個性ということで・・
3月9日(水) 「欲望」

私は欲望とはガラスの入れ物に入った液体ようなものだと考えている。
それが時々壊れて心のキャンパスに染み渡る。
そうすると私はそれがしたくなるのだと考えている。
私にあった人でも中々気づいてないことだと思うが私は凄く気まぐれである。
突然思い立って実行に移すということがよくある。しかも何も考えない。
実に盲目的である。
私はそういうところも含めて自分という存在に憎悪してるのだがでも自分を守ることができるのは他ならならない自分である。
さて問題。「自分に愛されない自分とは何か?」「自分とはそうまでして守るべきものか?」
私は今まで自分という存在を他者より「下位」に置くことで「上位の」人から色んなことを学ぼうと思っていた。
でもそれは自分という存在の空虚化という現象をもたらしてしまった。
目下特効薬は発見されていない。自分のことすら自分でどうにもならない自分にまた腹が立つわけで・・もうどうしようもない。
いかんいかん、また哲学的になってしまった。昔は哲学なんて大嫌いだったんだが・・
3月10日(木) 「先送り」

といってもお役所仕事や日本経済の話ではない。
私自身の癖である。私は面倒なことがあるとそれを「先延ばし」にしてしまう。
刹那的な快楽におぼれてしまうので結果切羽詰って焦るという悪循環を何度も繰り返してきた。
今回もまたそれをしようとしてる。
何かというとパソコンの修理である。
今のパソコンのDVDマルチドライブだけでなく昨日あたりからマウスの左クリックがあまり効かないようになった。非常にストレスがたまる。
外付けマウスをつけたけど確かマルチドライブも外付けにしようとか言ってるわけでそうしたらUSBスロットを2つも使ってしまうし不恰好だ。
まぁ、USBスロットは4つあるからまだ大丈夫なのだが・・
大故障しないうちにこまごまと修理に出すべきか否かで大いに悩むのである。
3月11日(金) 「センチメンタル」

私の好きな曲の題名にこの言葉がありますが、別に曲の話ではありません。
春になりました。3月というと卒業や退職、転勤といった別れの季節であります。
明日、1年通った市民大学第2期生の修了式が行われます。
まぁ、後半はあまりいけませんでしたがそれでもいい思い出です。
面白い人たちにも会いました。自分の親と同じかそれ以上の年の人とも仲良くなれました。
そんな人たちとも明日で一応お別れです。
私は病気になってから凄くセンチメンタルになったと思います。昔はそんな郷愁に浸る事はあまりなかったのですが・・
最後にセンチメンタルの意味(Microsoft Bookshelfによる):
〔sentimental〕ちょっとした事を見たり 聞いたり するにつけ、すぐ自分の心情と結びつけて、しんみりしたり 涙もろくなったり する様子。センチ。
3月12日(土) 「センチメント」

最初は言葉の意味から。感傷、情緒を表す言葉だそうだ。
もちろん私が使う意味は前者である。
今日、1年通った大阪市の自然環境市民大学2期生の修了式があった。
なんだかんだ言いつつあまり最後のほうは行ったり行かなかったりだったのだがそれでも初夏にアオサギを見に行ったこととか台風の中ツバメのねぐら入りを見たこととかが想いめぐった。
修了証書、こんなに重いものだったんだ・・
休学の変化の少ない日々に彩(いろどり)を添えてくれた市民大学、ありがとう。
今日を持って旅立ちます。
でもボランティアとして何らかの形で関わりは持っていきたいものだと感じた。
3月13日(日) 「Win DVD」

私のメインパソコンのDVDドライブは完全に故障していて全く読み込まない。
サブマシンにはどういうわけかDVDドライブがついていて(ヤフオクで購入した改造品だったからだが)それを補完するためかこのソフトがついていた。
しかしインストールがうまく行かない。ファイルが壊れてるのかと思い弟のパソコンにためしに入れてみたら問題なく入った。この差異は何なんだろう・・?
結局弟のパソコンに入ってるファイルをサブマシンに移して強引に入れてみた。
しかしDVDを読み込まない・・
折角フォーマットまでしたのに・・
疲労がどっと出た気がする。
3月14日(月) 「朝の特急考」

今日は学校で大掃除があったので久々に朝の京阪特急に乗った。
この特急は昼間の特急より停車駅が2つ少ないので早いと思いきや着いてみたら昼間の特急より遅いというか時間がかかる。
どうもダイヤ的に電車が詰め詰めに走ってるのであまりスピードを上げて走れないのが原因のようである。
私は電車が速い速度で駅や風景をどんどんすっ飛ばしていくのが結構好きである。
電車は好きだが各駅停車の旅はする気になれない。
案外私はスピード狂なのかもしれない。
運転席のある1両目は朝の時間女性専用車両となって風景も見られない。
少し残念であった。
3月15日(火) 「花粉症?」

昨夜からくしゃみが出るようになった。昨日、学校の先生と話していて私の花粉症は年々ましになったといったのだが・・。
でも花粉症特有なのはくしゃみだけで鼻水や目が痒いといった症状は今のところない。でもくしゃみが出そうで出ないというのは実にむずむずする。
花粉症の人の苦しみが数百分の一程度ではあるが分かるような気がする。
3月16日(水) 「廃止」

旧アドレスが今日を持って廃止になったのを確認した。もう、旧アドレスにメールを送ってもつき返されるだけである。
最近、ウイルスも頻繁に送りつけられるようになっていたので潮時だったのかもしれない。
でも3年使ったアドレスなので新アドレスに頭を移行させるのに一苦労である。
ちなみにHP上でメールアドレスは公開しないつもりだ。
どうもアクセス解析をしてたらこのページは色んなところからアクセスを受けてるようだ。そのプロバイダ名がどう考えても怪しいものもあるのでこれは情報収集ではないかと思っている。
もし私宛のメールを送りたいがアドレスが分からないという方、掲示板に自分のメルアドを書いて投稿してくださればこちらからメールを送ります。
3月17日(木) 「エッセイ」

この文章群は「あにまりあの徒然日記」というのだがよくよく考えてみたら日記というよりエッセイに近いことに最近気がついた。
でも私はこのタイトルを変える気はない。
なぜなら結構気に入ってるから。
私は独創性の乏しい人間だと思ってることは前に書いたような気がするがそれでもこのタイトルは結構自分なりの直感に頼ったものとはいえよく出来てるなと自画自賛してみる。
3月18日(金) 「過去の日記」

思えばこの徒然日記も始動してそろそろ半年になる。最初の頃は中々書けない日もあったのだが今ではこうして一日の終わりにつけるのが楽しみになってきている。
もうすぐ休学期間が終わり、4月から大学院に復学するのだがそれをも前に10月からの日記を見て楽しんでいる。
私は普通の日記帳にも日記をつけていて今年の夏で4年になるのだが過去の日記は読んで楽しい。
でもこの徒然日記のほうが一日の文章量も多いし、その時々でどういう考えをしてたかが書いてあるので紙の日記帳よりも内容が濃く、楽しい。
そういえば16日(すなわち一昨日)で3ヶ月連続毎日つけたぞ記録に到達してたことに気がついた。まぁ、私にしてはよく頑張ってると思う。
3月19日(土) 「日差しが痛い」

久々に気分が悪く寝ていた。夕方、差し込む日差しが凄くきつく感じられ、季節の歩みを感じさせてくれた。今年初めて夕方の日差しをさえぎるためにブラインドを下ろしたほどだ。
これが真夏ならどれほどきつい日差しが降り注ぐんだろう・・。
部屋には飼育しているアリたちの容器が置いてある。
夏にブラインドの下げ忘れのないように注意したいものだ。
3月20日(日) 「彼岸の中日」

今日は春分の日。彼岸の中日でもある。
両親から墓参りに誘われたが恐ろしく眠くてずっと寝ていた。
暑さ寒さも彼岸までと昔の人は言ったらしいが全くそのとおりだと思う。
古人は季節の移ろいに敏感だったんだなぁと感じさせられる。
今朝の段階ではいいネタがあったんだが忘れてしまった。
時間にかかわらず思ったときに書かないとだめだと思った。
3月21日(月) 「ネタがない」

今日はまたスランプである。お風呂に入っていてもネタが思いつかなかった。
それなら一日くらいつけるのをサボってもいいのでは?と思われるかもしれないがここまで毎日つけたらその記録をストップさせるのを大いにためらうのである。
まぁ、これはこの徒然日記という名のエッセイが軌道に乗った証左でもあるのだが。
以前はこういうときは迷惑メールについて書くという反則技があったのだがドメイン取得、HPでのメルアド公開停止という事態を受け、迷惑メールが全く来ないのでこの反則技も使えない。
この前、Win DVDをインストールしたのに見られないと書いたがパッチを当て忘れていた。パッチを当てたら再生できるようになった。やれやれ・・
3月22日(火) 「困ったモノ」

私のメインマシンは今年に入って故障続きである。
まずDVDマルチドライブが故障した。
それに続いて最近、マウスの左クリックが効かなくなった。
右クリックは普通に出来るのだが・・。
DVDマルチドライブだけの故障なら外付けにしようかとも考えたがいよいよ恐怖の「メーカー修理」が視界に入ってきた。
多分中古パソコンが買えるようなお金がかかるんだろうと思うと今から恐怖すら覚える。
3月23日(水) 「メッセンジャー」

ヤフーメッセンジャーというチャットソフトである。MSNメッセンジャーというのもあるが去年パソコンを修理に出したときに登録アドレスが消えてしまいヤフーメッセの方が気に入ってるのでこっちを使っている。
さて、サブマシンにこれが入ってなかったので入れようとダウンロードサイトからダウンロードしてみた。すると何かいつもと違う・・
ベータ版のヤフーメッセ6を入れてしまったようだ。
私はパソコンの新しい機能が好きなのでついでにメインマシンのも6にバージョンアップしてみた。
HPビルダーの場合もそうなのだがバージョンアップが好きな割に新機能を使いこなせたためしがない。
ただ綺麗になった画面や操作画面に満足してるだけで実に低レベルである。
3月24日(木) 「頓服薬」

気分が悪かった。はっきり言って最悪に近かった。
何故こんなに最悪になるんだろうと探索してみたが思い当たる節がない。
でも気分はひたすら落ち込む。
こういうときは寝たら少し気力が回復すると少し前に書いたような気がするが今回もそうしてみた。
うとうととはしたものの寝てる時だけ気分がましになって起きたらやっぱり気分は悪かった。
今回は頓服薬(これが結構効く)に頼らずにどれだけ持ち堪えられるか実験してみたが夜になっても暗澹たる気分はましにならなかったので頓服薬を飲んだ。
30分もしたら気分がよくなった。
こんなことなら最初から飲んどけばよかった。
でもこの落ち込みの元を探れなくなるので一長一短であろうか。
3月25日(金) 「崩壊」

私のココロは一度崩壊した。普通の言い方をしたら「我慢の糸が切れた」ということ。
一度我慢の糸が切れると些細なことで糸が切れるようになった。
トカゲの尻尾は再生するが再生した尻尾は以前のものより柔らかいと聞く。
それに似てるかもしれない。
とにもかくにもそこから私の低迷が始まった。
私は崩壊する前の自分を神聖化しているのかもしれないが物凄く理想的な人格だったと思っている。人とも「ほどほどに」付き合うことが出来、単純をもってよしとする思考体系で過ごせていたことが今からしたら驚嘆に値する。
私は変わったと思う。他の人はそれで良いといってくれるが私が納得しない。
私は意地悪になったと思う。確かに駅で困ってる人がいたら今でも何も考えずに手を差し伸べるだろう。
でもそれは「当たり前」のことであって「優しい」のではない。そう、私は優しい人になりたいのだ。今の私には多分「人の痛み」は分からない。
昔の私は人と距離を置きつつ優しい人だったと思っている。
今の私は傲慢であり我侭(わがまま)であり、魅力を感じない。
3月26日(土) 「poet」

私は本当に理科系の大学院にいながら理科系人間じゃないなぁと苦笑してしまうことがある。まず理科系には必須の数学が大の苦手。次に考え方が直感に頼ってもので余り整然とした理詰めのものではないこと。
他にも色々あるのだが中々自分は理科系的な考えが出来ない。
もし私が昆虫を好きでなかったら化学の世界に身をおいていただろう。なぜなら化学も興味があるから。でも化学は農学以上に数学知識が必要となる。挫折した可能性は高い。
次は心理学もしくは考古学。うーん、心理学は頭がこんがらがりそうだし、考古学もしっくりこない。
そこで行き着いた先がpoetである。
私は詩的な文章を書くのが大好きだし、比喩表現も大好きである。
ちなみにpoetの意味は「詩人」「詩的な人」だそうである。
うーん、今日の日記は文章がまとまらなかったなぁ。ま、いいか。
3月27日(日) 「目を閉じると・・」

眠るときに目を閉じると暫くの間この徒然日記のネタが湯水のごとく溢れてくる。
そうしていざ書くぞ!という段になると記憶から消去されている。
目から入る視覚情報というのは案外強力かもしれないなぁ。
そうそう、これは予告なのだが3月31日のタイトルは決まっている。
ずばり、「休学総括」。
一年前の日記を見てたらいかに切羽詰ってたか(何故あんなに切羽詰ってたんだろう?)よく分かる。
昨年末の10大ニュースにも書いたよく休学を決断したと思う。
3月28日(月) 「同姓同名」

私は時々検索エンジンで自分の名前を検索にかけてみることがある。
人によっては全然引っかからない人もいるが(弟と同姓同名は引っかからなかった)私の場合は日本中に結構たくさんの同姓同名の人がいるようである。
ある人は京大を卒業してアメリカに留学してる人や小諸市出身の人とか生まれたての赤ちゃん、某中学校の副会長等々・・
私は一度その中の一人の人とメールをやり取りしたことがあるのだが実に不思議な気分だった。自分にメールを書いてるような錯覚にとらわれる。
そこで独自ドメインであるanimariaでグーグル検索したら・・一人いました。
ただその人はMSNメッセのアカウントがAnima Riaさんだそうで・・
管理人の名前もメールアドレスも全然違いましたが・・
皆さんも時間があればやってみることをお勧めしたい。とても不思議な気持ちになること請け合いだから。
3月29日(火) 「動き出した時間(とき)」

いよいよ休学期間が明後日で終わる。
それに伴い、必要事項がいくつか出てきたので徐々に事務手続きが主であるが活動を始めた。
まぁ、単に書類を貰ってきたりとかそういうレベルなのだが。
一年間の休眠期間を経て、4月1日に大学院に復帰する。
年頭にも書いたが今年こそは潰れることなく来春大学院の修了証書を手にしたいものだ。
3月30日(水) 「気分転換」

私はストレスがたまってきたら銭湯に行く。
近くの銭湯はサウナが無料だし、色んな風呂があって楽しい。
そこに何も考えずに浸かっていると汗とともにストレスも流れ落ち実に気分がいい。
裏を返せば銭湯によく行くようになったらストレスがたまってるという証拠であって一種のバロメーターである。
ちなみに汗をたっぷり流したあとで飲むチューハイは実に美味しく、食も進むのである。
3月31日(木) 「休学総括」

今日で長いような短いような1年の休学期間が終わる。思えば突っ走ってきたこれまでの人生の中で初めてといえる完全停車だったかもしれない。
先にも書いたが去年の日記を見ていたらとても復学できる状況になかったので1年の休学は止むを得ないものだったのかもしれない。
でも最初の頃は「休む」ということが中々理解できずに小さな細々としたことをしては消耗する、というのを繰り返してたような気がする。
本当の意味で完全停車したのは交通量調査からも足を洗って何もしないことに専念するようになった昨年11月からかもしれない。
そう考えたら実質休んでたのは4ヶ月か・・?
この休学期間の間、医師が薦めるように「好きなことだけをやる」という他の人が聞いたら垂涎まちがいないことをしてきたわけだが・・本当に好きなことって何なのか?という新たな疑問が出てもきたわけで・・。
でもアリをここまで色んな種を飼うことができたのは休学した賜物(たまもの)であるとは思う。おかげで飛行の時期になっても気がそぞろになって学業に支障をきたすことはないであろう。
この一年、ストレスフリーな生活をしてきたわけだが命の危機は最初の半期を中心に何度かあった。ストレスフリーな生活をしててこの有様なのだから復帰したらどうなるか正直不安でもある。
もちろん最初から高速進行にする気は毛頭ない。私が怖いのは自分でも知らない間にギアが高速進行に入ることなわけだが・・まぁ、それは自己管理ということで・・。
書きたいことは色々あるのだが頭をめぐってるだけで形になっていない。
その時々で思い出したら書くことにしよう。
戻る