あにまりあの徒然日記S.S(2007・6月)
6月1日(金) 「外れ」

今日は27℃まで温度が上がると朝天気予報で言っていた。そこで衣替えの意味もこめて半そでを着用したのだが、寒い・・
昼頃、天気予報を見直してみたら最高気温が25℃に下方修正されていた。天気予報が当日に修正されるなんてそうそうないだろうから、貴重な日に遭遇したのかもしれない。
明日の予報はウェザーニュースによると晴れ時々曇り、27℃。当たるかなぁ・・
6月2日(土) 「修正」

今朝の段階で気象庁天気予報は今日の最高気温が25℃だといっていた。
しかし、朝こそ肌寒かったが午前10時頃からどんどん気温が上がって昼前にもう25℃に届こうかという温度になった。
そこでもう一回見てみたら、しっかり27℃に修正されていた。
ちゃっかりしてるなぁ。
6月3日(日) 「恐怖の不調」

体調のことではない。パソコンのテレビ。
最近、妙に画面が荒れることがあり、録画していたら下手したら画面が真っ黒のところにうっすらと白黒で本来の番組が録画されていることがある。とても見られたものではない。
こういうときの処置は簡単でテレビ線とパソコン側のキャプチャのケーブルを締めなおすとあっさり直る。
しかし、急に不調になるので深夜番組の録画とか目の届かないところでこうなると非常に腹が立つ。
私とテレビパソコンの相性ってよくないのかなぁ・・
6月4日(月) 「血液検査」

1年ぶりにやってもらった。抗鬱剤の中には肝臓にあまりよくないものがあり、そういう意味で時々血液検査をしてくれる医院がいいと以前読んだ「自殺願望」の中でロブ氏が言っていたので血液検査をしばらくしていないということに気がついたのだ。
私はいつも血液検査をするたびに病院から緊急呼び出しを食らうのではないかと(以前の肝臓の数値10倍事件ややたらと喉が渇くというところから)冷や冷やしているのだが、肉体は至って健康で今に至る。
今回の結果は1週間ほどかかるとか。まぁなにもないんだろうけど、こういうのってなんだかどきどきする。
6月5日(火) 「ホームページ改造論」

タイトルは日本国で以前叫ばれたという「日本列島改造論」から引用させてもらった。
私は最近ホームページのプチ改造にご執心だ。
ウェブ拍手然り、トップページの画像変え然り、タイトル脇を飾るカマキリとクツワムシの画像然り・・
タグにも若干の変更を加えている。
こういう作業は結構単純作業なのだが、うまく表示されたり動いたりしたときは嬉しいものだ。
この種の「やりがい」というのは中々昆虫採集では味わえないので私は時々コンピュータープログラムをいじる。まぁ、プログラムをいじるといってもC言語やBasic記述はさっぱりだし(理解すら出来ない)、せいぜい既存のものを改造するという程度なのだが、やってみたら案外面白い。
さて、次はどこをいじろうか・・
6月6日(水) 「ぺペロンチーノ事件」

昨日、昼食にスパゲッティーのぺペロンチーノを食べた。
私は麺類を食べるときはどんなものでも思いっきり「ずぞぞーっ」と吸い込むのだが、唐辛子の欠片だかにんにくの欠片だかが気管に入った。直撃したのだ。
思いっきり咳き込む私。水を飲んで今度は唐辛子の欠片が鼻と喉の境目に引っかかっていることがわかった。くしゃみが出そうで出ない。ティッシュで鼻をかんでも何もでない。
どうしようと思ったとき、ふと鼻を吸った。そうしたらその唐辛子の欠片が落ちていった。
今度からぺペロンチーノを食べるときはゆっくり食べよう・・・
6月7日(木) 「debut」

私の部屋に扇風機がデビューした。これからどんどん蒸し暑くなっていくことを考慮して押入れの奥から引っ張り出した。
これを出したら「夏が来たなぁ」と思わせる。
ちなみに私は机上用のミニ扇風機も持っているのだが、ここ数年机はアリに占領されているので陽の目を見ないままである。
6月8日(金) 「サイトマップ」

ホームページ改造に際して作ろうとしたもの。
私のサイトも割りといろんな項目があって初心の方には作ったほうがいいのかな・・?と思った。
しかしHPビルダーで作られるサイトマップは私には羅列にしか見えず、グーグルのサイトマップは登録しなくちゃだめとか言うのでやめた。
まぁ、何とかなるか・・
6月9日(土) 「叙勲」

伯父が叙勲を受けた。春の瑞光単光章(字、あってるかな・・?うろ覚えなので・・)ということだった。
賞状には「日本国天皇は・・」とか内閣総理大臣の名前があって仰天した。
賞自体は5月に受賞したということだが、今日は親戚のみでの記念パーティーだった。
こうやって見たら、私の家は親戚が多いなぁ・・
お酒をしこたま飲み、会の途中から記憶が断片になってしまっている。
どうやって帰ったのかも覚えていない。しかし、私の酔ったときの典型的な症状、「喋り」が発揮されていたようで疎遠な親戚にも声をかけていたとか。
普段の私は引っ込み思案なのだが、こういう話を聞くと私は外交的なのか内向的なのかよくわからなくなる。
6月10日(日) 「二日酔い」

昨日の続き。お酒をしこたま飲んだ私はいい気分になっていろんな人と会話をしていたらしい。悲しいことに何を喋って何を聞いたのかほとんど覚えていないのだが・・
さて、昨日、寝る間際に私はベッドにゲ○を吐いたらしい(それすら覚えていない)。
母が気がついたのが早かったのでマットへの吸着は最小限にとどまった。
しみこんだのは干して某脱臭剤をかけておいたので匂いは取れるだろう。
朝から何度もトイレに駆け込みゲ○を吐いてようやく気分が落ち着き、頭痛も解消した。
お酒のちゃんぽんはよくないらしい・・
その2日酔いのたびに私は「もう二度とお酒なんか飲むもんか!」と思う。
しかし、2週間から1ヶ月したら少しずつ欲しくなる。
なんだかねぇ・・
※余談 これを打ち込んでいるとき、まだアルコールが体内に残っているようでタイプミスが連発。
パソコンを置いてある椅子にもゲ○がかかっていたようで脱臭剤をかけたのだが、ほのかに残るワインとゲ○の匂い。おえっ・・
6月11日(月) 「オンライン・ゲーム」

高校時代の友人の一人が「某オンラインゲームやろうぜ」と、事あるごとにいう。今ではまったく私は行く先を知らない友人もそれをやっていてレベルマックスまで上げたとか。やったら多分卒業以来の会話も出来るんだろう。
しかし、私は手を出していない。これには幾つかの理由がある。
一つは私の回線がモバイル用の低速回線だということ。機敏な動きは出来ないだろう。
もう一つ、ハマったら怖いということ。以前、どこかでオンラインゲームにハマったという人の話を聞いたがちょっと・・と思った。
最後に私の興味がいまいち乗ってこないこと。興味が少しでもあったらとりあえずユーザーになってそれから続けるかやめるかしているのだろうが、それをしていないということは要するに私は「全くというわけではないがあまり興味がない」ということ。これが最大の理由であるように思う。
まぁ、オンラインゲームに関しての回線が低速だとうまく出来ないというのは私の調査不足からの誤解なのかもしれないが。
6月12日(火) 「40℃オーバーの世界」

2004年7月18日日曜日、私は新しい世界を発見した。
タイトルにもあるように40℃オーバーの世界を初体験したのだ。
といっても外気温ではない。室温でもない。そんなの風呂屋のサウナで味わった。
私が言いたいのは「体温が」40℃を超えた、ということ。
私は体がそれほど強いほうではないらしく、風邪を引いたら咳が一ヶ月以上出ることもあるし、それでない場合は急に38,9℃の熱が出ることもままある。
その日も、朝頭が痛いというかだるかったので体温を測ったら37℃少しだった。まぁ、大丈夫かと思って油断しいていたら・・
3時間ほどで体温が急上昇。40℃を超える熱になった。
40℃を超えて思ったこと。39℃と全然違う!よく漫画などで熱を出したキャラクターがぜーぜーいっているが本当にそうしないと呼吸が出来ないのだ。
また熱を出した日付に注目して欲しい。そう、7月。真夏だ。
クーラーを入れるわけにも行かず、布団に包まって汗を出せといわれ・・
数時間で熱は40℃を割り込んだが、私の中での「救急車を呼ぶ基準」であった40℃超えを体験してしまった(結局日曜だったので救急車も呼ばず診療所にも行かなかった)。
38℃、39℃、40℃、それぞれに感じ方が違うのは面白いと思う。
6月13日(水) 「21年前、交わした契約」

私は今を去ること21年ほど前の春、契約を交わした。
誰とって?それは「自分自身」とである。
私は友達作りが下手なため、小学校1、2年の頃友人がまったくいなかった。
そんな私はいじめの標的になってよく泣かされたものだ。
さて、小学校3年になってクラス替えがあった。そのとき、いわゆる「いじめっ子一派」とは完全に離れた。
そのとき、私は誓った。「この経験を生かして人の痛みがわかる人間になろう、人の嫌がることは絶対にしない人間になろう」と。
それは今でも脈々と生きていて、今では私の根幹部分にすらなっている。
たしかに、この考えはいわゆる「お人よし」といわれる性格に寄与しているんだろう。
しかし一方で「他人をいじる」ことも出来なくなった。そういうことが嫌な人もいるから。
この契約は多分今後も外界の年月などお構いなくずっと生き続けていくだろう。
6月14日(木) 「卒業アルバムー記憶にない1枚の写真ー」

この前、小学校のときの卒業アルバムを見てみた。懐かしい面々だ。
校舎や校庭も今では様変わりしているのでそれも懐かしかった。
その中で腑に落ちない写真を見つけた。
私は小学校3年のときから友人に恵まれて小学校5,6年のときはその友人とも一緒の上更にその輪が広がった時期であった。
私のいたグループはクラスの中心グループではなかったがそれなりに楽しくやっていた。
そんな中、好きな場所で思い思いのメンバーで写してもらった写真があるのだが、この写真が不思議。
普段いたグループの友達ではなく、クラスの中心メンバーと一緒に写っていた。
最初これを見たとき理解できなかった。何故、自分がここに?と思った。
今でも何故私があの場所に収まっているのかさっぱり記憶がない。
実に、不思議な写真である。
6月15日(金) 「私は「神」である」

これを聞いた方はどう思われるだろうか。
「ああ、あにまりあもあっちの世界に行ってしまったか」とか「即刻精神病院だ!」とか思われるだろう、多分(「唯一神」を名乗る某政治団体代表や「宇宙の神」を名乗るお医者さんとは関係ない)。
しかし、私はこのことについては以前に断片的に書いてきているが今日は少しそれを纏めてみようと思う。
私の心の中にはいろんな考え、感情がその都度その都度現れる。まぁ、当たり前だが。
私は、それらを擬人化したのだ。一つの考えには一つの思想集団もしくは個人、を充ててみた。
そうすると感情の葛藤というのは要するに人間世界の論争や戦争であってなんだ、そんなに人間世界と変わらないじゃないか、と思った。
その擬人化された感情を「人」とした場合、私はそれらが「人」であることを気づかせたという点で「神」と呼べるのではないかと思った(なんだかアダムとイヴの物語を思い出しそうだ)。
そう、全ての人の中には心という異世界があってそれを支配しているこの世の人は神と呼べるのではないか?と私は思っているのだ。たとえそれが犯罪者であっても。
こんなの、多分すごく空想じみてるというか特異的な考え方なんでしょうけどね・・
もっとも、精神の世界はとてつもなく広く、私が支配、認識できているのはほんの一部だということはよくわかっているのだが(極端な例がお酒を飲むと現れる普段の私と正反対なくらい明るい「私」。これなんて普段どこに隠れているのやら・・)
6月16日(土) 「「あにまりあの徒然日記」という読み物」

時々、この「あにまりあの徒然日記」を1から読み直してみることがある。
よくもまぁ、こんなにネタがあるもんだと思いつつも読んでいたらその時々で思っていたことやマイブームが思い出されて可笑しい。
2月にコラムの数を数えたとき、確か730個ほどあったと書いた記憶があるのであれから4ヶ月、大体850個ほどであろうか。
途中休止期間や毎日書いていない時期も割りとあったので1000までの道はまだもう少し先である。
6月17日(日) 「消えた鳴き声」

以前に私の家のそばからコオロギの鳴き声が消えたと書いた。今回もコオロギつながり。
しかし、今回は別に同ということはなく、単純にアリの餌用に飼育していて成虫が出現していたコオロギが使い切られて鳴くものがいなくなった、というだけの話。
このコオロギは暑い地方原産のようだと聞いたことがあるので温度が高いほうが早く成長するということのようだ。
以前は下に加温機を敷いて加温したが今はその必要はないだろう。
しかしこの分では成虫になる前に使い切りそうだ・・
6月18日(月) 「疎遠」

私は大学のときの友達と最近疎遠になった。
小学校のときの友達はサプライズで(要するに帰省してた)遊びに来たことがあって顔を合わせているのだが、大学の友達とは誰とも2ヶ月メールすらやり取りしていない。
なんだか少し寂しいが、みんな忙しいんだと自分を納得させてみる。
ま、アリ仲間とはしょっちゅうメールを交わしているのでそれほど「疎遠」というわけでもないかもしれないが。
6月19日(火) 「暗黒教団」

私の心には擬人化されたいろんな考えが存在するというものを前に書いたが、その中でも死を崇拝し、肉体を死に向かわせよう、すなわち私の破滅を願う心を私はこういう定義を与えた。
この「教団」の中でも「急進派」と「穏健派」に分かれていて、「急進派」は「今すぐ、何が何でも死!」というものに対し、「穏健派」は「にっちもさっちも行かなくなってからでいいじゃない」という意見で温度差がある。
最高司祭(私がそういう定義を与えたその「教団」(=思考)の長)は毎日私の身にそういう「にっちもさっちも行かないことが降りかかりますように」と祈りを捧げているようだ。
私はこの世界の「神」としていわゆる「神の鉄槌」を下そうとしたのだが、彼らもどうやら防衛手段を持っているようで私の攻撃を受け付けない。
膠着状態なのだ。
6月20日(水) 「記憶違い」

デスクトップは以前にウインドウズXP SP2のCD−ROMからインストールしたと思っていたが、最近立ち上げてみたらSP1のままだった。
おかしいなぁ、私のことだから絶対SP2を当てたと思っていたと思っていたのだが・・
ちなみにSP2でないことに気がついたのは先日、メールデータと音楽データを移動させたときにメディアプレイヤーをアップグレードしようとして最新の11が入らなかったことから判明したのである・・
6月21日(木) 「調査会社の手配師G氏」

私は3年前、交通量調査のいわゆる「裏グループ」にはいっていたことがあった。
「裏グループ」とは何のことかというと、早い話が「調査会社お抱えの調査員」というところであろうか。
数人から十数人という交差点一個を見るような小さな調査の場合、求人広告を出すよりも手配師さんと呼ばれるいわゆる「親方」に声をかけ、その人から調査員を派遣する、という形態らしい。
うわさでは「手配師」さんはいくらかピンはねしてるというが私のグループの親方はしていなかったらしく、通常と同じお給金がもらえた。
1ヶ月ほどの短い付き合いだったがいい思い出だ。
最近、某巨大掲示板で彼が広島に行ったという話を聞いた。
ということはもう二度と会うこともないんだなぁと複雑な感情だ。まぁ交通量調査で出会う人はいわゆるグループに入らなければ日雇いなのでその日限りの付き合いなのだが。
6月22日(金) 「見習いタロット占い師アイラとミナに捧げる3ヶ月前の占いの結果」

あにまりあ:お久しぶりですね。
アイラ&ミナ:あら、随分久しぶりのお客さんね。あにまりあさん、ようこそおいでくださいました。
あにまりあ:実は3ヶ月前にこの3ヶ月の金運について占ってもらいましたよね?それから約3ヶ月経ったので経過報告です。
アイラ&ミナ:あら、結果を報告してくださるの。嬉しいような怖いような・・
あにまりあ:解決すべき問題があるという暗示がありましたが、何とかなりました。
別れはなかったですが、お金は結構予想外の収入があったりして潤沢です。
アイラ&ミナ:いいほうに結果が出てよかったですね。
あにまりあ:特に最後の「運命の輪」の暗示、結構私には当てはまる節がありました。
アイラ:ミナちゃん、私たち、最初にしてはよく当たったほうじゃない?
ミナ:そうだね、アイラちゃん・・嬉しいわ。
今はちょっと時間がないのでまた機会を改めて短期で占ってもらいますよ。
アイラ&ミナ:水をさすようだけどくれぐれも決断するときはよく考えてくださいね。以前の一年の総合運で強く出ていた「女教皇」の暗示だから。
あにまりあ:うん、少しは考えて行動するようにしますよ。ではまた・・
6月23日(土) 「恋人未満」

私には恋人未満の「気になる人」が2人もいる。
放っておけばこれはきっと「恋」になるだろう。
しかし私はそれの成長を阻害する。
正直、恋愛なんて私は何をしたら良いのかわからず、手をこまねいているという情けない現状なのだ。
しかし、私にもまだ「人を好きになる」心が残っていたんだね・・
6月24日(日) 「あにまりあ3態」

Report

あにまりあの心の中には3つの派閥というか亜人格というかそういうものがある。
それを紹介しようと思う。
基本人格あにまりあ:非常に臆病で人を恐れている。よって人との付き合い方に距離が出来、「何を考えているかわからない」と揶揄されることもある。後に触れるエゴグラムで詳述するが非常に従順、自分の意見を主張しない。人当たりはいいほうだとみんなに言われるが本人は自覚していない。
第2基本人格アニマリア:非常に友好的。だれかれともなく声をかけ、友達になろうとする。あにまりあが疑り深いのに対し、アニマリアは人を基本的に疑わない。お酒を飲むと強く発現される人格で初めてこの人格の交代を見たほぼ全てのものが普段とのあまりのギャップに驚く。しかし、あにまりあはこのアニマリアが何をしているかはよく覚えていない(お酒で深酔いしたときしか出ないから)。しかし人づてに聞いてこの人格の存在は認めているが2つの間に主だった交流はない。
亜人格シスター・アグネス:あにまりあの中の女性部分が強く出たもの。あにまりあのシャイなしぐさは彼女によるものかもしれない。お菓子を作ったり、家で読書をしたりするのが好き。人との交流は程々がいいと思っている模様。しかしこの亜人格は近年あにまりあとアニマリアに吸収されている様で次第に形を失いつつある。しかし、考え方や嗜好には彼女の意向が少しは反映されているところを考えるとあにまりあとアニマリアに吸収された後も形を変えて生存していくのではないかと思われる。
ここでは触れないがあにまりあの心の結晶のエネルギーを使いその力であにまりあを死に向かわせようとするあにまりあが「暗黒教団」と呼ぶ思想集団もあるが、思想集団であって人格という形をとっていないし、以前に触れたのでここでは省略する。
Report終わり
6月25日(月) 「6年前のエゴグラム」

エゴグラムとは心理テストの一種である。私は今の診療所に通い始めたとき、これを受けた。
そうしたら担当医は「開院して2,3人」、セラピストは勤め始めて「初めて」という結果を出した。
突っ込んで書くとAC値が偏差値100、FC値が極端に低く、要するに「あまりにも人の目を気にしすぎて何も出来ない」という判定が下った。
そのため、私は投薬治療よりセラピストによるカウンセリングに重点が置かれることになった。
さて、それから約6年、先日受けてみた。
そうするとAC値が偏差値94、FC値も若干上がり、やや「生きやすい(担当医談)」性格になったとのこと。
しかし、私のAC値はまだまだ普段の人よりかなり高く、FC値も低いのでまだまだ必要ということだ。
6月26日(火) 「肖像画2」

私のサイトには肖像画がある。つい最近まで大学時代の授業科目評価の項目にリンクがあってそこからトラップをかいくぐったもののみが見られる至高の一品だった。
今でもサーバー上にはあるのだがリンクがないので孤立した状態になっている。
まぁね、私が自分でpixiaを使って書いたら一番なんだけど・・
6月27日(水) 「光化?」

この前の伊那オフ会への道中、アリ仲間のkuroyagiさんと言う方から高速インターネットのすばらしさを説かれた。
kuroyagiさんの環境はケーブルテレビのADSLなのだが、それでも十分に動画やフラッシュを楽しめるということだった。
伊那で会ったこうやんさんと言う方にも光がいい!といわれ、急に熱が高まってきた。
今のところ考えているのは私のプロバイダでの光。月々4900円とそこそこ安い。
初期費用が問題なのだが、確か28350円が21350円引いてくれるというようなことを書いてあったような・・今度某家電量販店に出張所のようなところがあるので聞いてこよう・・
しかし、今なら勢いで光へ・・という経路も出来るかも?
6月28日(木) 「私が初めて酔いつぶれた夜のお話」

私が初めて酔いつぶれたのは大学3回生の時だった。それまで、私はネコをかぶるというかある程度以上は飲まないようにして本性を隠していた。
しかし、その当時はちょうど恋愛という麻薬に浸っていた最初の時期で毎日が躁状態のような感じだった。
そんな折、大学の展示会が無事に終わり打ち上げになった。
そのお店は飲み放題ではなかったのにみんな大量にお酒を頼み、また早々にみんなつぶれてしまった。
残ったのは日本酒のお銚子の山。勿体無いと思い、一緒にいた先輩と恋愛に慣れておらず、やりきれない想いを吐き出した覚えがある。
会が終わってさぁ帰ろうと思って腰を上げようとしたら腰が上がらない。意識はあるのだが、腰から下が力が入らないのだ。
仕方なく、初めての外泊ということになってカラオケボックスへ。そこでゲ○をした覚えがある。
翌日、初めて二日酔いというものを味わうとともに酔ったときに私のあまりの変貌にみんな驚いていたのには苦笑いした。
しかし、もうあれから9年経つんだねぇ・・・この9年、私は殆ど停滞していたようなものだから美しい思い出も複雑な味がするのだ。
6月29日(金) 「徒然日記が先?アリ日記が先?」

一応、このサイトにおいてはアリ日記が96年から、徒然日記が04年からになっているのでアリ日記のほうが断然早いのだが、このアリ日記を今年はほぼ毎日つけられている。
毎日つけるというのはまず徒然日記が毎日つけるのが常態化したのがきっかけでそれがアリ日記に波及したという形になっている。
ということは本格的にはじめたのは徒然日記が先ということになる。
まぁ、本人は楽しんで書いているので別にどちらか先でも後でも問題ないのだが・・
6月30日(土) 「あにまりあという人物ーその成分と傾向ー」

あにまりあという人物には色々な構成要素があるようだ。それらは時にある要素が濃くなったり、薄くなったりしてその時々の精神状態を作っていると思われる。
あにまりあという人物にはきわめて躁状態に近いあにまりあと普段の鬱屈した精神のあにまりあが同居している。もっとも、二つの間には強固な壁があり、確認しうる限りでは二つの交流はない。
しかし、二つとも根は一つであり、人格が乖離したりとかそういう状態ではない。
以前はやった「成分分析」というもので「あにまりあ」を分析してみたら、こうなった。
あにまりあの91%は運で出来ています。
あにまりあの9%は株で出来ています。
運と株?うーん・・

戻る