あにまりあの徒然日記S.S(2006・6月)
6月5日(月) 「なぜだろう?」

以前、私はウインドウズXPを従来から入っているSP1からSP2にバージョンアップしようとしたことが何度もあった。しかし、入れたら滅茶苦茶重たくなってしまい、とても実用に耐えるレベルではなくなったので、ソフトウェアは最新のバージョンを入れないと気がすまない私の信義に反してバージョンアップをしていない。
苦闘から約1年。平穏な日々が続いていたのだが最近、パソコンがすぐにとても重たくなることがある。
テレビは普通に再生されるのが救いではあるが、HPに使う画像を処理ソフトで処理しながらHPビルダーを動かしていたら・・
文字を入力しても画面表示されるまで数秒かかる。非常に不愉快であり、困っている。
メモリは768Mに増設してあるので問題ないと思っているのだが、一体何が悪いのだろうか?
6月8日(木) 「2ちゃんねる」

説明するまでもない、インターネット界の巨大掲示板群。
実に色々な話題のスレッドが乱立している。
ウィキペディアによると出来たのは1999年らしい。どおりで、インターネットで色々な情報に触れるようになった大学時代にはあまりお目にかからなかったわけだ。
私が2ちゃんねるを知ったのは2001年秋から2002年の初頭ではないかと思われる。正確な記憶がないのでこの辺は定かではない。
当時、「ワン切り電話」というのが横行していて、私にもかかってきた。
知らなかったのでリダイヤルしてしまい、大変戸惑ったのだがそんな折、大学時代の友人が2ちゃんねるの近大スレッドに番号一覧があるよ、といわれたのがきっかけだ。
私は去年の秋頃まで長患いをしていて寝込むときが結構あったのだが、そんな時この2ちゃんねるがどれほど気晴らしと暇つぶしになったことだろうか。
矛盾するかもしれないが、私は2ちゃんねるに書かれていることはジョーク程度の認識しかもっていない。
それはシリアスな議論をしているところに出入りしていないからでもあるのだが、2ちゃんねるには結構デマや誹謗中傷があって、うかつに信じ込むとえらい目を見ると思っているのだ。
6月9日(金) 「2004年」

この年は特筆するべき年であったので、記述していくことにする。
2004年3月、私は大学院を1年休学することを決意した。中々患いが治癒しなかったので、本腰を入れた治療が必要ということと、実際問題とても通学できるほどではないほど患いが前年の初夏から悪化していたのだ。
この年の2月、ヤフーオークションでサブマシンを落札した。今から思えば高い買い物だった。
4月頃、今まで使っていたアイコン掲示板がサーバーエラーが起きたのだと思われるが1000件以上まで番号が進んでいたのがすべて消えてしまい、1書き込みからになった。これを期に、掲示板の自作を考える。
そうして4月末、トクトク(現とくつー)にサーバーを移転して、アリ掲示板であるASKA-BBSが始まった。
この掲示板、6月頃に一度不手際で全部消してしまっているので今の書き込みに200ほどプラスしたのが正式な数だ。
そしてここからが一番力を入れて記述したいところなのだが、この年、アントクアリウムというものがブームになったようで私の掲示板にも非常にたくさんの方々が現れた。
そうして毎日、掲示板を通していろんなことを話し、それまで考えたこともなかった「オフ会」を10月に長野ですることが出来た。
別に大げさに言ってるわけではないが、この年の夏まで私は本当にいつ死んでもおかしくないという状態が続いていたのだが、それを踏みとどまらせてくれたのは掲示板での色んな方々との会話と出会いであったと思っている。
本当に心から感謝していると同時に末永いお付き合いをしていきたいと病がかなり完治に近づいたと思っている今では思っているのだ。
6月10日(土) 「大雑把(おおざっぱ)」

私はかなり大雑把な性格をしてるのではないかと思うようになった。
昔は複雑なことを考えるのが好きだったのだが(いまでもかなり頭でっかちな理論派を自認してはいるが)最近は単純を持ってよしという考えになってきている。
そうして一旦「考えない」気楽さを覚えたら手放せない。
一番身近な例を一つ。
掲示板がこのサイトには2つあるが両方とも保存件数が1000件で、一ページで1000件すべてが表示されるようにしてある。
これは一々ページを更新するのが面倒だからでその分最近の高速通信環境ではそちらで結果的に良かったのではとも思うのだがこの辺に面倒くさがりというか大雑把なところが出てると思っている。
6月11日(日) 「お酒を飲むと」

ここ半年くらいなのだが、お酒を飲むとある症状が出てくるようになった。今日はそれらを書いていこうと思う。
まず、お酒を飲むと目がさえて眠れなくなることが増えた。普通は質は悪いながらも眠くなるのだが、寝ようと目を閉じても、体が疲れているのだろう、火照っても一向に眠れない。
結局は夜中の2時頃には眠るのだが、睡眠時間が短くなって翌日、辛い。
もう一つ、お酒を飲むと無性に喉が渇くようになった。
インターネットで得た情報ではアルコールを飲むと体内の塩分が濃くなって(水分が余分に排出されるためらしい)結果喉が渇く、ということであった。
前述のとおり、この症状、半年前までは全然なかった。
なぜだろうか。
6月12日(月) 「あにまりあ氏、九州旅行の旅程を閣議決定」

【運輸・交通】
あにまりあ氏は11日、会見を行い、かねてから噂のあった九州旅行の道程を決定したと発表した。
それによると、氏の九州旅行は2日に渡り、大阪から宇佐に寝台特急「富士」を利用、宇佐八幡宮に参詣した後、大分から九州横断特急に乗車し熊本に移動、熊本から京都行きの寝台特急「なは」に乗車し翌日朝大阪着、という道程を決定したとのことである。
背景には寝台特急が廃止されるのではないかという恐怖感があるとされ、あにまりあ氏は「乗れるときに乗っておかないと廃止が発表になれば混乱必至」という想いから寝台特急二本に乗車すると言う豪華な旅路を決定したとのことである。
出発日時はあにまりあ氏の経済難のため棚上げ状態ではあるが秋口までにはやりたいとのことである。(逢坂スポーツ)
6月13日(火) 「ドクダミ茶」

我が家に2002年から夏限定で時々出現する。
というのも我が家の家の横の小道に結構繁茂していて、叔母が乾燥させたものをおすそ分けしてくれるのだ。しかし、飲んだことがある方はご存知と思うが、結構癖がある。
私も麦茶に入れて飲むがドクダミ茶100%は飲めない。
半分に割ってもかなりの香気でおえっとなってしまう。
これは後に詳述するお祓いと関係があるのだ。
6月14日(水) 「糖分と眠気」

最近、関係があるのではないかと思うのが糖分と眠気。
このまえ、睡眠不足ながらそれなりに起きていたがアイスクリームやお菓子を少し食べたらその後猛烈に眠くなった。最近、疲れてるときに甘いものを摂るとこの傾向がある。
この理論、私独自かと思っていたら95歳の祖母が同じようなことを言っているらしい。
ということはやはり関係がある?
ご意見募集する次第である。
6月15日(木) 「ムーンライトながら」

岐阜県の大垣と東京を結ぶ夜行の快速列車。
寝台車は連結しておらず、普通の座席列車であるらしい。
この列車、快速列車なので指定席料金が格段に安い。私の手元にある切符は東京〜大垣間の指定席切符だが指定席料金はたったの510円だった。
コミックマーケットというイベントが関東であるらしいのだが(詳細はよくわからないが)その前日はすぐに切符が売切れるとか。
この列車を知ったのは高校の友人で師匠でもある人物が紹介してくれたことに端を発する。
あれから約10年、実際に乗るとは思わなかった。
6月16日(金) 「軽作業」

私は今まで色々なアルバイトを経験してきた。
そんな中、軽作業といわれるものがある。
工場の中で商品にラベルを貼ったりする仕事だ。
この仕事、単純作業で私にはあっていた。頭を使うこともなく、同じような作業なので一旦作業内容を覚えたら良いだけだったからだ。
しかし、軽作業というのはお金にならない。というか賃金が安いのだ。
交通量調査の下手したら半分くらいしか手元に残らない。
なんだかなぁという気分である。
6月18日(日) 「白河旅行」

福島県白河市に行ってきた。目的は馬場喜敬先生の訪問。
参加者は蟲さん、つくば・あべさん、いるまえかわさん、そして私。
ムーンライトながらで向かったが、座席車の上にまめに止まるから殆ど眠れなかった。
古河からつくば・あべさんの車で白河に向かった。片道3時間だった。
馬場先生は文系の先生であった。ドイツ語を操り、会話の中にさりげなくもぐりこませておられた。
アリ採集・観察をしてペンションでじっくりお話した。
馬場先生の別荘はいわゆる別荘地の中にあったが別荘地って夜は本当に明かりがないので真っ暗だった。周囲には鳥の声以外には物音が一切なく、快適であった。
2日目、馬場先生と羽鳥湖畔で観察を行い、その後竹を折った。
先生は色々なことに驚いておられたようだった。
唯一の心残りは記念写真を撮り忘れたことだ。
6月19日(月) 「お祓い体験記」

私は2002年と2003年にお祓いを受けている。本当は「調査報告」に記述しようと思っていたが、忘れているうちに時間がどんどん経ってしまったので回顧録としてここに記述する。
私がお祓いを受けるきっかけになったのは2000年からやることなすことうまく行かず体調も崩していたのを叔母が遠い親戚の「霊が見える」方に話をしたら憑いてるらしいということで話が決まった。
その親戚は当時石川県松任市に住んでいた。特急「雷鳥」で母の付き添いの元、向かった。
その方の家に移動して神棚の前でお祓いを受けた。
一時期陰陽師というものが流行ったがそれほどおどろおどろしいものではなく、気合を注入するような感じであった。
私にはヘビや女性の霊(確か800年前のものもあったかと)が8体ほど憑いていてそれらは2000年の春に大学院で京都市内某所にハイキングに行ったがその時憑いたものらしいといわれた。
人によっては劇的な反応をする人もいたらしいが私は全くなんともなかった。
ただ帰りの列車内でいつになく気分がすっきりしていたのを思い出す。
その時、薬は毒だから流しなさいといわれ勧められたのが前述のドクダミ茶であった。
2003年のときも同じような体験だったので仔細は省く。
それから私は徐々にお酒が弱くなった。その方が言うには「ヘビの霊がお酒を飲ませている」とのことだったが不思議なものだ。
6月20日(火) 「冴えない」

先週の終わりころから直感というか勘が全く冴えない。思ったことが全然当たらない。
冴えているときは信号が変わるとかそう言うことが怖いくらい当たるのだが、今は全然だめ。
そう言うときは冴えてくるのを待つしかない。
私はギャンブルはしないので、この冴えた、冴えないの周期が長いかもしれないが、三角関数のサイン、コサインのグラフのように周期があるとは思っている。
ここの文章もまとまりを欠いてしまう。
6月22日(木) 「鬱状態をのりきって」

少し重たい話をしましょうか。
私が数年鬱状態で苦しんだことはこの徒然日記の去年の夏までの記述をみていただけたらわかると思う。
鬱状態で一番辛かったこと。
それは自身を苛む(さいなむ)自分自身を価値がない、ごみだと思う「自分自身の」声。他の人は誰もそんなことを言っていないのにひとりでドツボにはまり込んでしまう。
健康な状態の人には滑稽に聞こえるかもしれないが、これのおかげで私は少なくとも50回以上は自殺しようと「本気で」考えた。
次。体は健康であること。
矛盾しているかもしれないが、私の場合肉体が病んでいたほうがどれほどわかりやすかろうか、と何度も考えた。
数値に出ない、レントゲンにも写らない。
しかし苦しみは厳然とそこに存在し、私を絶え間なく苦しめた。
その苦しみは何かというと無力感、孤独感、絶望感、であろうか。
それに付随して数値上は健康なので、「怠けている」「プー太郎」といわれたこともあった。
言った当人は叱咤激励のつもりだったかもしれないが、それは刃となって私の心を切り刻んだ。
次。人に優しくされること。
矛盾してると思うのだが、人に優しくされたら私の場合「優しさに答えなきゃ」という思いが強くなり、しかしどうにもならなく「てやはり自分って心配かけてばかりの悪い人」だと思ったこと。
かといって冷たくされたら傷つくし、非常にさじ加減が難しかったと思っている。

以上はあくまで私自身の心の動きであって、他の鬱に苦しむ方がそう思うのかは私にはわからない。
私は首をつったこともあって意識が遠のく感覚を味わったが、それでも今、生きていて良かったというかほうっておいても寿命で死ぬんだからそんなに死に急ぐこともないか、と思っている。
しかし、例えが少々悪いがアルコール依存症患者がアルコールへのブレーキが壊れてるように私も死へのブレーキがまだ修復できていないことを認めざるを得ない。
そう言う意味では私の精神状態はまだ不安定だといえるのかもしれない。 
6月23日(金) 「P902iS」

先日、某家電量販店に出かけたときに出ているのを見つけた。
私の携帯はパナソニック製だと以前ここで書いたが私はこのバージョンに機種変更使しようともくろんでいる。というのも、私の所有しているポイントが来年の4月でかなり失効してしまうので、その前に機種変更しようと思っているのだ。使わないままポイント失効したらもったいないし。
みてみたら、「ドコモケータイ初の着うたフル対応」とある。
私は別に呼び出し音が歌でなくてもいいのだが(ついこの前までメールと電話の着信音が唯一ネ申の絶叫だったし)容量が大きいのは魅力だ。
実は私のケータイは写真を写そうとしたら着信メロディーか写した写真を消さなくてはならないほど容量一杯なのだ。
しかし私がこんなに電化製品が好きになるなんて、大学卒業時からは考えられないことだ。
6月24日(土) 「2001年」

この年、私はどん底であった。
夏頃、鬱がものすごく悪くなって吹田にある大阪ではかなり大きな病院(某大学病院)に入院の羽目になった。
入った病棟は扉があってその扉越しに外界と隔絶されていた。
お見舞いも家族以外は原則禁止。来ても本人がいいという以外は入り口で丁重にお断りされていたようだ。
そこの人たちはとても病気には見えない人たちばかりであった。
ユニークな人、まじめな人、読書好きな人・・・etc。
朝7時50分に朝ごはん、夜9時消灯。しかし10時までは患者同士廊下で喋っていても看護師さんは何もいわなかった。
世界を揺るがせた同時多発テロも病院内のテレビで知ったのだ。
さて、私は重篤だったのか、この病棟から一ヶ月、外出許可が下りなかった。
ひたすら狭い病棟内で本を読んで過ごした。赤川次郎の「三姉妹探偵団」とかドストエフスキーの「罪と罰」なんかも読んだ。もっとも「罪と罰」は読むのに2日かかった割には難しすぎてさっぱりだったが。
入院中、夕食後が凄く退屈だったので、暇を紛らすために日記帳に日記を書き始めた。
これが今でも続いている習慣になろうとはその時は思わなかった。
そうして10月に退院した。最初に外泊許可が下りて僅か2週間後だった。
その年の11月、ウインドウズXPが出て私のパソコンに入れた。デジカメ画像が取り込めたのには素直に感動した。ウインドウズXP発売当初の私の調査したことは「調査報告」の項目で少し触れてるので参照されたい。
退院後、手持ち無沙汰だったので気象予報士の通信講座をはじめた。しかしこれは2002年初頭に頓挫するのだった。
交通量調査に参加したのもこの年が最初。そう言う意味では色んなものが「再スタート」を始めた年でもある。
6月25日(日) 「祝・結婚7」

従姉妹が結婚した。といっても私は人数の関係で招待されていなかったので話を聞くだけだが。
思えばこの「祝・結婚1」が2004年に掲示板に書き込まれたので2年の間に7人が身近な人で結婚して行ったことになる。
今の私は結婚にあまり魅力を感じず、独り身の気ままな生活が気に入っているのでまだ先であろう。
というかいつもこのタイトルで書いたら最後は同じことを考えるのだが、結婚するなんてこと、私に縁があるのだろうか?
6月26日(月) 「Memory Of 2002」

最近、鬱との同居期間を再評価しようという動きのもと、過去を振り返ってみている。
今日は2002年。
といってもこの年は記録である日記が6月から10月まで途切れているし、アリの観察日記は全くつけていない。なぜこうなったのか、不思議と全然記憶がない。
この年の4月に私の従兄弟が事故で亡くなった。
悪夢としか言いようがない事故だった。なんというか若い人の葬式は当たり前だが辛いものだった。
6月頃、日記の途切れる直前だが鬱が悪化、学校を休む羽目になる。
この年はテレビがそこそこ面白いものがあったような記憶はあるが具体的には覚えていない。
8月、お祓いを受けた。薬は毒だという指導の下、薬を勝手に断薬したら自律神経の大発作が起きて血圧が200近くまで上がり、座ってもいられなくなった。
高校の同窓会も同時期にあったがとてもいけなかったので泣く泣く欠席。
9月、宇佐八幡宮と伊勢神宮におまいりする。
10月頃、大学院に復帰。その年は平穏な学生生活を送れたのだった。
しかし翌2003年に鬱が牙をむいて私に襲い掛かろうとは予想も出来なかったのだ。
6月28日(水) 「むむ・・」

昨夜、蒸し暑かったので扇風機をかけて寝た。あっさり眠れるはず・・だった。
なぜか風が気になって一向に眠れない。向きを変えたりしたがだめ。
かといって扇風機を切ると暑くて眠るどころではない。
結局、明け方になって疲れ果てて眠りに落ちたが、当然ながら今日は睡眠不足。
辛かった。
って何か久々にエッセイではなく、普通の日記になったなぁと思ってみる。

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