4月1日(火) 「リズムno変化」

一昨日、寝ることに焦点を当てて休息モードで寝て過ごした。
その後、どうも体のリズムが変わったらしく、日月火と夜よく眠れるようになった。
数日前まで、7時間寝るのにあくせくしていたのがこの3日毎晩8時間も寝ている。
時差ぼけの解消法として、滞在地の夜寝て朝起きると言うリズム調整法があるらしいが案外それとよく似たものなのかもしれない。
4月2日(水) 「忙しいのか、暇なのか」

今日は一日タイトル通り忙しいのか暇なのかよく分からない一日だった。
しかし良く考えると、一日があっという間に過ぎたということは忙しかったと言うべきなのだろうか。
気が付いたら夜になっていた感じ。
ま、充実した一日だったと言うことにしておきましょう。 
4月3日(木) 「脳が死んだ」

午前中、脳味噌が全く働かない。
働かせようとはしたのだが、何かねっとりと絡みつくものがあるような感覚で動かない働かない。
お昼休みはひたすらボーッとして午後を少し過ぎてからようやく頭が働くようになった。
この感覚、久しく体験していなかったので、すっかり忘れていた。
疲れているのかな? 
4月4日(金) 「夢の話」

久々に夢の話でも。
皆さんは「音の聞こえる夢」と言うものを見たことがおありだろうか?
正確には夢の中で音楽なり何かしらの音が聞こえるものだ。
私はそういう夢をときどき見る。
今朝見た夢でかかっていたのは「いい日旅立ち」だった。
そこに出てきた風景。
一応夢の中の説明では岐阜県の山間部らしい。
見たことがないこぶとりの中年男性。
彼は借金があるらしいがそれの返済のためのお金を青果業につぎ込んでしまったらしい。
彼の店先にはしなびた形の良くないキュウリが沢山。
夢の私いわく「保存法がなっていない」らしい。
その彼は借金取りを前に目を白黒させていた。
最近夢に知らない人が出てくることも多くなった。
比率で言うとおよそ半分くらい知らない人が出てくる。
どこの世界とつながっているのか、またどこからそういう顔を拾ってきているのか分からない。 
4月5日(土) 「休養日」

今日も先週同様休息日を作った。
と言うよりは天気の加減でそうせざるを得ない感じだったと言うのが正しいと思う。
昼過ぎから雨予報が出ていたので昼から蟄居した。
本当は桜を見に行きたかったのだが、急に天候が変わるかもと思った。
しかし、実際雨が降り出したのは午後5時過ぎ。
勿体ない事をした。 
4月6日(日)  「行われなかった花見」

毎年、この時期に花見をしている。
しかし、今年は花見は行わなかった。
何故か?
理由は単純で、天気が悪かったからだ。
朝は小雨が降り、昼前に激しい雨が降った(暫く降った後に止んだが)。
気温も低く、寒い。
そんなわけで今年は花見は行わなかった。
思い起こせば花見をしなかったのって最近では記憶にない。
少し残念な桜シーズンの終わりであった。 
4月7日(月) 「いらいら」

午前、私は極めて不機嫌だった。
私の場合、イライラしていても態度その他の外に出ることは少ない。
ただ私の中で些細なことがいちいち引っ掛かってイライラすると言うことになる。
私はなぜそんなにイライラするのか自分でも原因が良く分からなかった。
しかし、午後になってその理由らしきものがわかった気がした。
それは「お腹がすいていた」らしい。
以前、書いたように私はあまりお腹がすいたと言う感覚にならない。
その代わり、他の心身の症状になってお腹がすいたなり、水が足りていないとか言う症状になって出てくる。
これの原因を突きとめるのが毎回苦労するのだ。 
4月8日(火) 「私はさっさと」

私はさっさと寝るべきだ。
さっさと寝てこの纏わりつく眠気を吹き飛ばすべきなのだ。
それなのに、私はそれをしない。
何故か?
単純に早く寝るのが勿体ないからだ・・ 
4月9日(水) 「睡眠不足?」

夜中、目が覚めた。
一時を回ったところだった。
まだ眠れる・・
と言うことがなかった。
寝付けないのだ。
布団の中でもぞもぞ。
後もう一息で眠りの世界に行けると思うもあと一息が遠い。
諦めて起きたのが5時半。
昼間は疲労感はなかったが夜になると眠さマックス。
あきませんなぁ。 
4月10日(木)  「オーバーラン」

朝、私の目の前で電車がオーバーランした。
あんな現場を見ることになろうとは、本当に何かしら奇想天外なことを毎日とやらは提供してくれるんだなぁと思うし、電車が時刻表通りに動くと言うことは奇跡的な事なんだなぁとも思ったりもした春の朝の出来事だった。
でも、目の前でされると、びっくりしますね。 
4月11日(金) 「週末だけど。」

明日以降の予定を立てないまま、週末になってしまった。
その前に、昨夜は足が冷えたり、火照ったりを繰り返して夜中の3時まで寝つけず。
何と言いますか・・
体力の限界です。 
4月12日(土)  「歩く。」 

アリ日記でも書いたが、兵庫県の一庫ダム周辺を歩いてきた。
新緑には少し早いように思ったが、「思い立ったが何とやら」だ。
てくてく、恐らくトータルで10キロ以上は歩いたはず。
帰り、臨時列車に乗ったりして楽しい一日になった。
4月13日(日)  「新しいパソコン!」 

と言うタイトルをつけたが、私がパソコンを購入したわけではない。
弟が夕方やってきた。
弟はノートパソコンを購入したと言う。
そこに、オフィスを入れたいと言う。
最新のオフィスはDVDではなく、キーだけ入ってると言うことに驚いたが、やはり苦戦したのはウインドウズ8の見慣れないデスクトップだ。
悪戦苦闘してようやく馴染んだ。
それにしてもここまで視覚要素が変わっていると同じウインドウズだとは思えなかった。
4月14日(月) 「眠れない。」

昨夜、奇妙な症状が出てきた。
夜中に目が覚める。
トイレに行きたいわけでもなく、寝ようと思う。
寝付けない。
1時間ちょっと、もぞもぞして再び寝付き、朝。
しかし、眠りを中断したおかげで完全回復とは言えず、眠気が残る。
・・・最近、眠りがいまいちだなぁ。 
4月15日(火)  「今井ラナの徒然日記(81)ーアホと言うか、何と言うか・・ー」

あにまりあさんから久々にコンピュータ関係でヘルプをすることに。
無線LANのルーターを換えるけど、繋がらないとか。
私が行って設定を見るけれど、どうしてもパスワードで弾かれる。
パス、間違っていないですよね?と確認しても大丈夫ということ。
うんうん唸ってもダメ。
昨日は諦めて今日再びトライ。
あのですねぇ、パスワードの中の「d」と「b」をどうして間違うんですか? 
4月16日(水) 「違和感ーその正体ー」

土曜辺りから右手の指に違和感があった。
イタドリを折った時に指でも傷つけていたのかな?と思った。
月曜日のお昼にようやくその正体がわかった。
「しもやけ」
だ。
3年前のお花見の時に大きなしもやけが出来てとても痒かったのを思い出すが、4月も15日になってこの痛痒さに見舞われるとは思わなかった。
しもやけがひどかった小学生の時でもこのような時期には出来なかった。
何なのでしょうね、全く。
4月17日(木) 「観察対象としての私」

私は自分自身を観察している。
特に内面の心的世界の動きはウォッチの対象になっている。
しかし、ウォッチしていても、私と言う存在は年が経つにつれてますます良く分からない存在としか思えなくなってきた。
というのも、あまりに多くの性格、考え方が内在していて、どの辺が「「普通」の私」でどこからが「「特定条件下で発動する」私」なのかが良く分からない。
今いる私は様々な構成要素で組み上げた連立政権で次の瞬間にはその構成要素は変わっていることも多い。
時々目が回りそうになってしまうが、それでも私は私の観察を止められない。
何故かと言うとやはり「面白いから」という答えになるのだろう。 
4月18日(金) 「最悪」

夜中、最悪なことがあり、まともに摂った睡眠は2時間半。
事の顛末はこうだ。
夜中1時頃目が覚めた。
まだ眠れると思った。
眠れない。
足が熱いので足を布団の外に出した。
猛烈に痒くなった。
何かアレルギーでも出たのかと思ったほどだ。
違った。
蚊が侵入していた。
しかもアカイエカと言う黄色いやや大きめのやつ。
それが寝ようとして意識が飛ぶ頃にぷーんとやってくる。
気になって目が覚める、そうするとまたどこかに消えるの繰り返し。
2週続けてろくに眠れない木曜の番を過ごすとは思いませなんだ。 
4月19日(土)  「最悪2」

昨夜も蚊とバトル。
寝ようとするとどこからか飛んでくると言うパターンで、睡眠時間は2時間あるかないか。
それでも午前にようやく蚊を叩き潰した。
蚊を潰してここまで嬉しく思えたのって久々だと思う。
眠気はないが体の疲労はMaxのようで目がしょぼしょぼ、膝は時々妙な脱力。
明日が日曜で良かった。 
4月20日(日) 「昔話3」

私(=ティナ)が城を抜け出して城下で一般の者と話をしたという話の続きだったわね。
城壁の工事責任者と思しき男はぶっきらぼうながら私が傍にいて工事風景を見ることを許してくれた。
一般市民と係ることのなかった私はそれに感動して後日王宮に彼を招いた。
後から伝え聞く話では彼は相当びくついたと言う。
王である私から直接に呼び出しを受けると言うことは何か重大な不手際でもあったのではないか、と。
それまでの王は一般市民に対してそのように呼び出しをすることもなかったので、前例のない事態に対して彼は夜も眠れず、家を捨ててどこかに逃走しようかとも考えたらしい。
私が彼を王宮に呼び出した理由は単純に見学の謝意を伝えることだったのだけど、その辺りが王と市民の違いがあったのよね。
私にあった彼は私を一瞥すると驚きの表情を浮かべていたわ。
驚きと言うより驚愕と言う表情を浮かべた。
まさに「驚いて言葉が出ない」そのものだったわ。
そりゃそうかもしれない。
市民が王に会うと言うこと自体それまでなかったのだから。
私は彼に謝意を伝え、その印としてメダルを与えた。
彼が市民生活に戻り、すぐ市民社会の間では私に対する印象が全く変わったらしいと聞いた。
「くだけた王様」「とっつきやすい王様」・・他にもいくつか聞いたが、まぁ、その方面の評判らしかった。 

次は私が喉を潰したお話でもしようかしら。
4月21日(月) 「一体、どうなっちゃったの?」

お昼休み、驚愕した。
左手の薬指に小さなしもやけの種が出来ていたからだ。
幸い、夜には(いつの間にか)解消しかけになっている。
4月、3分の2が過ぎたんですよ・・?
4月になって暖かいのにこれだけ小さな種が出来ているということは、本当に真夏も覚悟しなくてはならないのだろうか?
真夏にしもやけ。
相反する2つのものが両立するのだろうか? 
4月22日(火) 「さて・・」

先週末の蚊との二晩バトルを経た後、体内リズムがようやく、本当にようやく正常化したようで良く眠れるようになり、起きた後微妙に眠気があり、それを核にして(?)またその日一日の眠気を連れてくると言う良い展開。
思えば、冬の頃から足が冷えて寝付けないと言う症状に悩まされていたので、こういう心地よい睡眠が摂れるって本当に素晴らしいことだと思う。
でも、もう少ししたらまた蚊とのバトルが勃発することに神経をとがらせながら眠る日々になるんだろうね。
4月23日(水) 「朝昼夕」

最近、一日が早い。
朝、仕事に行って気が付いたらお昼を食べて気が付いたら夜になっている。
これはこれで一つのリズムになっていると思うけれど、こういう風に過ごしていたらそりゃ一年が早いはずだなぁと思ったりもする。
しかし、私は定型化が好きなので、毎日が波乱万丈だと逆にへとへとになってしまうだろう。
私って注文が多いね。 
4月24日(木) 「全角」

HP開設当初から私は英数字は基本的に全角を使用している。
本当は半角の方が良いのだとは思うが、今さら変えるのも統一が取れないと思うし、日本語は全角なのに、英数字を半角にすると見た目的にバランスが悪いように思えるので私は全角を遣う。
単純な好き嫌いなだけですがね。
4月25日(金) 「木曜症候群」

4月に入り、木曜の夜は眠りにとって鬼門になってしまった。
先々週は足が冷え、先週は蚊とのバトル、昨夜は朝3時半に目が覚めてから寝付けなかった。
他の曜日は問題なく眠れるのだが、何故か木曜の夜だけ。
うーむ。 
4月26日(土) 「跳躍」

確か、昨日の明け方。
私は夢を見た。
その夢の中で私は普通に大跳躍をしていた。
高さにして2階の高さ、距離にして・・どう見ても10メートル以上を。
それを歩く代わりに近くの商店街の人混みをジャンプして飛び越えていた。
夢の中の私は時々(というか良く)現実の私がまずできない身体能力やまずやらない行動を葛藤なしにやっている。
あまりに不思議な感覚で現実の私が霞むような感覚になることさえある。
夢って、不思議ですね。 
4月27日(日) 「G.W突入」

昨日からゴールデンウィークに入った。
今週は火曜が昭和の日になっており、お休みだ。
この世間一般が浮足立つこの雰囲気、好きだなぁ。 
4月28日(月) 「思うこと。」

夢の中の私は、本当に普段の私が心に思っているものの実際に言葉には出さない本音と言うかそういう部分をずけずけと放言する。
また、普段の私が常に抱いている葛藤状態もない。
この葛藤と言うものは特定の事柄に対する葛藤ではなく、様々なことに対して発生する二つ以上の意見だ。
この葛藤について明日少し詳しく書いていきたいと思う。
4月29日(火) 「葛藤」

昨日の続き。
平常時、私は多くのことに対して2つの対立意見を抱える。
1つは肯定的、1つは否定的なもの。
それらを議論させて私の意見を紡ぐやり方が好きなのだ。
しかし、あまりにもこのやり方に慣れてしまい、物事を見たり聞いたりした瞬間に2つの意見がほぼ同時に発生するようになった。
何かに対し「〜じゃないだろうか」と思うと同時に「いや、ちょっと待て」と言う状態だろうか。
まぁ、日常の事柄に対してならまだましな方だ。
私の精神的事象に対してはそれは堂々巡りの泥沼化。
時にはあまりにも「議論」が白熱化して眠れなくなることもある。
多くの時間私が考えていることは恐らく「どうでも良いこと」なのだろう。
それについて、精神世界の存在である「ルナ」に明日話してもらうとしよう。
4月30日(水) 「存在領域」

私(=ルナ)はあにまりあとは肉体は共有しているが別の存在と認識している。
といっても、多重人格と呼ばれる症状のように記憶が別々に存在しているわけではなく記憶は共有するもののそれに対する受け取り方が正反対と言うべきなのかもしれない。
さて、少し前に議論があった事柄。あにまりあが昨日書いた「どうでも良いこと」の議論の一つに、「自分の領域とはどこまでか」 と言うことがあった。
この体には一つの私(正確に詰めると私とあにまりあと言うことになるがややこしくなるので1つと仮定する)が宿っている。
体の外に目をやると、私は公私通して日々誰かに会っているし、誰かに(良かれ悪しかれ)影響を与えているのかもしれない。
また、ここで以前に書かれたことがあったように思うが私の体が滅んでも誰かが覚えていれば私は生きていると考えている。
そうすると、どこまでが私なんだろうか。
・・・
どうもうまく書けない。
書くのはあにまりあの分野で私は感覚の存在なので、どうもこういう文章は苦手。
書いているうちに空中分解しそうなので、分解する前にストップする。
後から読み返すと訳の分からない乱文になっていそうだ・・

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あにまりあの徒然日記Tetra(2014・4月)