4月1日(月) | 「早いなぁ」 正月からもう3ヶ月だ。 高校時代の友人と遊んでもう3ヶ月だ。 住吉大社で「大凶」を引いてもう3ヶ月だ。 大学時代の友人のびさんと岩湧山に登ってもう3ヶ月だ。 早いなぁ、月日の経つのは。 |
4月2日(火) | 「エイプリル・フール」 どうも、私はこれが苦手。 嘘をついたらその相手に信じられ、嘘をつかれたら逆に信じてしまうから。 だから私はこの風習とは無縁なのだ。 まぁ、嘘なんてつくもんじゃないんですけど。 |
4月3日(水) | 「吹雪の後」 桜が散り始めた。 風が吹くと「桜吹雪」の名にふさわしく、花びらが舞い落ちる。 そして目立つのが新緑。 花の淡いピンクとと新緑の緑が入り混じった不思議な色がこの時だけ見られる。 この混合色、本当にごくわずか、数日だけの色合いだ。 |
4月4日(木) | 「時間が足りません」 以前と変わりのない生活。 しかし、最近妙に時間のない感覚に襲われる。 実際は以前と比べてプライベート時間はそれほど変わらない気がするが、この妙にじりじりとする感覚は嫌な感じ。 何が「時間泥棒」化しているのか、調査中であるが、多分実際は自分の一つ一つの行動の襲い早いの違いでしかないようにも思える。 |
4月5日(金) | 「今年分は、もう終わり」 明日明後日と荒天予報。 現時点で桜はほぼ完全に花が残っているが風が殆どなくてもはらはらと散っている今、雨の後にはもうこの満開の風景も消えているだろう。 今年分の桜風景は今日で終わりみたいだ。 |
4月6日(土) | 「雨・・」 大きな低気圧のため、どこにも出ることができず蟄居を余儀なくされた。 仕方なく最近あまりできていなかった昼寝を思いっきりした。 それでも、夜になると凄い眠気が襲ってきた。 疲れ、溜まっているのかなぁ。 |
4月7日(日) | 「強い風」 午前中、凄まじい風が吹いていた。 そんな中近くの図書館に行ったのだが、向かい風を受けると漕ぎづらかった。 冬の頃ならときどきそういうことがあったが春になってこれを体験しようとは思わず。 穏やかな天気、暖かな天気が良いよ・・ |
4月8日(月) | 「めりはり」 皮肉なことに、平日の方がアリの世話、読書、テレビ視聴などをそつなくこなせている。 こういうのが、「めりはりのある生活」というのだろうか。 それにしても平日休日がなんだか逆転しているような気がするぞ・・ |
4月9日(火) | 「睡眠」 最近よく眠るようになった。 朝もアラームの助けを毎日借りている。 別に寝不足ではなく、良く眠れるということで、それ自体は喜ばしい。 ただ、ここ数日は昼間に足の裏が異様に火照って逆に鬱陶しい。 かといって冷えるとお腹を壊すし、中々難しいものだ。 |
4月10日(水) | 「思えば・・」 もうゴールデンウィークまで3週間を切っている。 行きたい所のリストを作成しているが、このリストには一つ穴がある。 それは「雨天の場合を考慮していない」計画ということだ。 晴れてフィールドを歩くことを主眼に置いているので、曇天雨天を考慮していない。 だから晴れなかったらどうしようか、今から補足案として考えているが・・ 何も出てこないのだった。 |
4月11日(木) | 「一番つらい日」 木曜日が一番肉体的に疲れる気がする。 金曜日は明日が休みという気持ちで乗り切れるが、木曜はまだ明日があると言うのと肉体的疲労がたまる頃で木曜日が嫌いになりつつある・・ |
4月12日(金) | 「休日の前の日」 休日の前の日、何をしようと考えている時間が実は一番楽しいんじゃないかと最近考え始めた。 でも、金曜の業務終了後寝るまでの数時間。 それが一番至福なのかと思ったりするが、やることを決めた休日はそれ以上に楽しい物でもある・・ |
4月13日(土) | 「めかぶ」 時々、思いだしたように食べたくなる。 パックに詰められためかぶ。 もともと海藻類の味が好きなためもあるが、このめかぶは味が濃厚で「凄く体に良い物を食べている」 という気分になる。 |
4月14日(日) | 「26460歩」 今日の万歩計の数値。 打ち間違いではなく、実際26460なのだ。 そのためか夜になって眠気、疲労感はないが体が限界という悲鳴を上げている。 早く寝よう・・ |
4月15日(月) | 「今井ラナの徒然日記(69)−悶々−」 最近、休みの日の過ごし方に悶々としてるのです。 金曜日の夜、何をしようかと考えていて、土曜日もあっという間に過ぎ去り、気がつけば日曜の夜になり自己嫌悪・・ ダメスパイラルに入っているのですが、今のところこれを解消する手段もなく、だらだらと過ごしているのです・・ |
4月16日(火) | 「不思議な、夢」 昨日の明け方、不思議な夢を見た。 詳細はフェイスブックに書いたのだが、末期がんの私が会ったことのない中年男性に別れの言葉を言っていた。 言い終わると目が覚めた。 その言葉とはいつかここで「存在の欠片」と称して書いた思想そのものだった。 とても不思議な夢だった。 |
4月17日(水) | 「飲まず食わず」 平日は午後9時以降は水気も飲まないし、食物も口にしないことが多い。 生活サイクル上そうなっているだけでそれ以上の意味はない。 それでも、水を夕食時に飲むので夜中にトイレに行きたくなるのだねぇ・・ |
4月18日(木) | 「楽しみのない週末」 週末は気温も低く土曜は夕方から雨が降ると言う。 野外観察は望み薄。 この時期、新緑を歩くのが楽しみな私にはこの週末は楽しみに欠けるものになってしまいそうだ。 一度暖かくなった後の寒さは堪えますね。 |
4月19日(金) | 「また、スカな夢」 明け方、夢を見た。 ロト7の数字7個すべてが出てくる夢だった。 起きてすぐに夢に出てきた番号を記録して夕方、仕事終わりに購入した。 7つすべて出ているのだから、1口で十分! ある意味自信たっぷりだった。 そして結果は・・ 数字1個も当たっていないと言う惨敗ぶり。 あの自信たっぷりげな数字群は何だったんだ・・ |
4月20日(土) | 「20000歩」 午前、猪名川を歩き、午後から難波を歩いた。 そして夜に万歩計を見たら20000歩ちょっとだった。 こうやって数字に表されてみると良く歩くね・・ |
4月21日(日) | 「飽きた。」 一言、寒いの飽きた。 4月も20日を過ぎてどうして真冬の陰鬱な気分を再現されなくてはならないのか・・ 寒いのはどうもダメ。 |
4月22日(月) | 「休日は各駅停車」 最近、思うのだが、休日と平日、時間経過の早さから見たら休日は各駅停車、平日は快速特急だと思う。 月曜朝は各駅停車→準急→急行 火曜朝は急行→快速急行→特急 水曜は特急→快速特急 てな感じで時間の経ち方がすっ飛ばされていく。 でも、この例え、マニアックだなぁ。 |
4月23日(火) | 「うきうき」 今週を乗り切れば、来週から黄金週間に突入する。 今から何をしようか、どこに行こうかと思案中。 この何をしようかと考えてる時が一番楽しい気がするが、これは宝くじを買った瞬間が一番楽しいという話とどこか似ているように思う。 とりあえず、前半は猪名川通いかな・・ |
4月24日(水) | 「調律」 調律。本来の意味は「楽器の音高をある音律に合うように整えること、調音」(goo辞書から)とある。 私は最近朝、始業前にこれをしている。 と言っても私が音楽関係の仕事をしているわけでもない。 私が調律しているのは「自分のリズム」だ。 昨日、不意に面白い場面に出くわして不覚にも電車内で吹いてしまった。 一人にやにやしていたからとてもアヤシゲに見えたに違いない。 その後遺症は会社についてからも続き、心が浮足立った。 そこで、私は目を閉じ、左右の指を机にコツコツと静かに叩いた。 そうすると気分が落ち着いてきた。 一種の瞑想に近いものかもしれない。 やってみると気分が思った以上に落ち着くの癖になりそうだ。 |
4月25日(木) | 「たぶん、好調」 今週に入って、アリの給餌作業が急にてきぱきと出来るようになった。 なぜこんな風に良いペースで給餌作業を行えるようになったのか、考えていたが全く分からない。 ただ、こういうことは今までも何度もあり、そういう時は心身共に調子が良いんだろうと思っている。 とりあえず、てきぱき作業は気分が良い。 |
4月26日(金) | 「おおぅ!」 待ち焦がれた週末、しかもゴールデンウィーク突入だ。 今日は職場飲み会の都合で遅くなってしまい、帰宅後ばたんキューしてしまった。 明日から楽しい3連休。お天気も大丈夫ということで何をしようかとわくわく中である。 |
4月27日(土) | 「1日目終了」 ゴールデンウィーク前半1日目終了。 朝から猪名川河川敷を歩きまわり、クロナガアリの観察をしていた。 さすがに疲れました・・ |
4月28日(日) | 「信じられますか?」 まだ、後1日お休みが残っている! そうすると、今日が何曜日かが分からず、曜日を踏み外す感覚になる。 ちなみに、G.W後半は4日に出勤があるので休みがブツ切りになってしまっている・・ |
4月29日(月) | 「歩いた、歩いた。」 信貴山〜生駒を歩いた。 新緑は本当に私の中の日常生活で溜まった汚れを浄化する感覚になるくらい気持ち良く、青い葉の匂いもとても良かった。 そうやって昨年歩いたコースをもとに、写真の被写体を求め、歩きまわった。 帰宅後、万歩計は20000歩を超える数値をはじき出していた・・ |
4月30日(日) | 「あにまりあかい?」 あにまりあなら充実した日々を送っているわ。 私が干渉する暇がないくらい実は忙しいの。 あにまりあは私に言ったことがあった。 今の生活は忍者修行に似ている、と。 忍者修行には水面に浮かべた和紙の上を和紙が沈む前に走りぬけるという修行があったらしいの。 要するにそれくらい毎日を駆け足で駆け抜けていると言いたいらしい。 あにまりあの例えは時々「翻訳」という言葉が適当なくらい比喩がぶっ飛んでいるから、私でも真意を量りかねることがあるわね。 今でこそあにまりあの観察者になっているけど、今の立場もどうなるか、私にもわからない。 |