あにまりあの徒然日記(2005・7月)
7月1日(金) 「MO」
記憶媒体としてフロッピーと同じような形状、大きさでありながらかなりの容量を記録できるメディア。最近は手軽なCD−RやCD−RWに取って代わられてる感があるが私はこのメディアが好きである。
というのもCDはプレステのゲームでちゃんとケースにいれていたのに傷がついてお釈迦にしてしまったことがあるからである。
それについ最近までメインマシンがCD&DVDドライブが故障して読み込まなかったことも影響している。
色んな容量のディスクがあるが私は640MのMOをよく使う。
230Mのも余ってるのだが写真とかHPデータ、メールデータその他色々を一枚に保存しようとしたらどうしてもこれくらいは必要になってしまう。
MOディスクドライブを購入した当時はまだCDに保存するというのが一般的ではなかったし、当時のパソコンもCD−ROMドライブしか積んでなかったので保存媒体としてMOを選んだのだがメインマシンのCD&DVDドライブが故障してる間よく働いてくれた。
今でも写真やメール、HPデータの保存はMOを使っている。
何かすきなんですよね。あの形状が。
7月2日(土) 「HPビルダー教本」

今回も買ってしまった。名前は「ホームページビルダー・テクニカル・ガイド」。
一応隠しページ(肖像画のこと)のページが検索エンジンであるキーワードを打ち込むと露呈してしまうことがわかったので検索エンジンに引っかからないように設定を変えるのに役立った。
しかし・・HPビルダー6,7ハンドブックのときもそうだったのだが買ってしまうと安心してしまって読まない、使わない。
イラストレーター10の教本も完全に肥やしだし・・(フォトショップの教本は時々使っている)
機能が多いのはありがたいのだが多すぎて使いこなせていないというのが実情である。
7月3日(日) 「不可思議」

アクセス解析は誰にでも見られるようにオープンにしてある。管理者である私しか見られないアクセス解析もあるのだがこの形が気に入ってるので使っている。
その中で少し理解できないアクセスがある。
旧アドレスのうちインフォシークのほうからのアクセスである。
トクトク(現とくつー)のほうは復刊ドットコムにアドレスとバナーが貼り付けてあるのでそこからのアクセスは復刊ドットコムからなんだろうと推測できる。
しかしインフォシークの旧アドレスは管理者不在となった一つのサイト以外はリンクされていないし検索エンジンにも引っかからない。
しかも不思議なことにトクトクのアドレスからのアクセスよりずっと多い。
不思議だ・・
7月4日(月) 「スタイルシート」

これが何回説明を聞いても解説書を見てもよくわからない。
友人ののびさんいわく「各ページを統一したフォント、文字サイズなどを指定するもの」(間違ってたらすみません)らしいのだが・・
こうどの本を見ても出てきたら気になってしまう。
しかし導入するには私のサイトの大改造が必要(談:のび氏)とのことなので気にしつつ見送ってる。
ま、それとこれはhtmlから書かないとだめなようでそれがまた導入を迷わせるのだ。
7月5日(火) 「難しいコトバ」

この日記や掲示板を見ていただいたらおおよそ察しはつくだろうと思うが私は難解な言葉が好きである。簡単な言葉は難しく言い換えることもある(例:証拠→証左など)
これは単に私が活字中毒者で一日でも新聞とかの活字を見ないと落ち着かないところから来ている。そしてそこから色んな単語を吸収する。今日はボスという意味の領袖(りょうしゅう)という言葉を覚えた。
なぜこんなに難しい言葉がすきなのか。
自分でもよくわからないがひょっとしたら見栄なのかもしれない。
自分はこんなに難しい言葉を知ってるんだぞーと虚勢をはってるのかもしれない。
ちなみに私は人に説明したりするときは平易な言葉が好きであってここでまた矛盾が仲良く共存している。
7月6日(水) 「CooRie」

「クーリィ」ではなく「クーリエ」と読む。
アニメの主題歌などを手がけるアーティスト。
去年歌を偶然聞いて良いと思った。
その題名は3月にこの徒然日記で使った「センチメンタル」という曲である。
この前、アルバムを買って聞いてみた。
知らない曲ばかりだったがすんなり受けいられた。
私は最初嘉門達夫の替え歌メドレーを中学1年か2年のときに聴いて笑い転げた記憶がある。
それから槇原敬之にはまり、その次はZONEにはまった。
その時々で気に入った歌や歌手はいたのだがしかし私の好きなグループや歌手はことごとく消えていくという奇妙な運命が待っていた。
今残ってるのは上記にあげた人もしくはグループくらいだろうか(ZONEも解散してしまいましたが)
私は特にジャンルにこだわらず気に入ったものを聞くという姿勢でクラッシックから演歌まで幅広い曲がパソコンに入ってる。
この無秩序さが私は気に入っている。
7月7日(木) 「七夕」

今日は七夕である。笹に願い事を書いた短冊をつるすという行事がある。
しかし我が家ではそれをしたことが無い。
別に笹が無いというわけではない。
確かに小学生の頃はあまり笹を売ってるのを見なかったが今は別に珍しいものではない。
しかし我が家ではやらない。
なぜかはよくわからない。
7月8日(金) 「不調」

今日はだめだ。全然書くことが思い浮かばない。
一昨日なら書く題がたくさん思いついてたのに今日になって全部霧散した。
思いついたときにタイトルだけ列記して行っておけばいいのだろうか?
かといってそれをしたら翌日以降にもっと書きたいネタを先延ばしすることになってしまって悩ましい。
中々書き続けるというのは難しいものだ。
7月9日(土) 「睡眠薬」

一昨年の春、私は睡眠薬を服用していた。よく眠れなかったというか睡眠の質が悪かったから。
医師は体にたまらないといっていたがどうも次第に体内にたまっていったようで凄く眠くなった。
そんな私が独力で睡眠薬をやめることが出来た。
なぜか。
その年の夏、睡眠薬を飲まなくとも猛烈に眠い日が続いた。
朝ごはんのあと眠り、昼ごはんの後寝て夕方5時から7時になって起きるというのだから一日の3分の2は寝てただろう。
要するに原因不明の眠り症で睡眠薬が不要になったのだ。
睡眠薬のような薬は中々やめられないと聞く。これは奇跡なのだろうか。
7月10日(日) 「9ヶ月」

いよいよこの徒然日記もつけ始めて9ヶ月に入った。
もうあと3ヶ月で1年である。
返す返すも5月のデータバックアップ忘れによる日記消失は痛かった。
ま、誰も毎日つけろなんて言ってないし自己満足なのだが。
7月11日(月) 「気分が優れない」

今日は特に気分が悪く、夕方まで寝ていた。
抗鬱剤も2錠飲む羽目になった。
最近こういう日が増えてきたような気がする。
正直辛い。
7月12日(火) 「鬼仏表」

私のサイトには保存版として大学時代の授業科目・教官名・単位のとりやすさが書いてあるが同じようなことをしているのを見つけた。それがこの「鬼仏表」。
サイトの案内によると「学生による大学の授業評価」とある。
この名前、ずっと以前にどこかで聞いたような記憶があるのだが思い出せない。
ただ数年以上前であったのは確かだと思う。
検索エンジンで調べてみたら同名の異なったさまざまな鬼仏表があるようだ。
私の受けた授業や教官に関するものはないのか、検索の努力が足りないのか見つからなかった。
少し残念であった。
7月13日(水) 「気がつきましたか?」

このサイトの色んなところにページ移動するとアニメーションのように移動するようにHPビルダー教本を使って組み込んだ。
中々斬新で面白い。
しかしそのタグを打ち込むのは短調作業そのものだったが・・
ま、楽しめたしよしとしよう。
7月14日(木) 「トランキライザー」

精神安定剤の意。私は最近理由もなくいらいらするのだ。
胸がざわつくような感じでとても不快だ。
そんなときこれを飲むとしばらくの間症状が緩和される。
しかし効果が長続きしないのと眠くなる。
一日3錠が限度とされているがちょっと足りなくなってきたような気がする。
強めの薬をだしてもらおうかなぁ・・?
でも3年前みたいにめまいに見舞われたら嫌だしなぁ・・
7月15日(金) 「「生きる意義」と「幸せの青い鳥」」

一昨年だったでしょうか、日々迫る自殺願望に対抗すべく、私は「生きる意義」というものを懸命に探した。それがあれば自分が生きる理由になると信じて。
自分の中を探し回ったり色々な本を読んだりしましたが「生きる意義」という問題の答えはなかった。
最近になって私は「生きる意義」とはもがき悩み苦しむ今も含めて「生きる」という身近なことなのではないか、もっと言うと「生きる意義」というのはそもそも幻想ではなかったのかという結論に至りつつある。
さて、よく似た話を聞いたことがあるという方、鋭いですねぇ。
まぁ、細かい意味は違うかもしれないが有名な童話、モーリス・メーテルリンクの「(幸せの)青い鳥」(原題は「青い鳥」)である。
あらすじはたしかチルチルとミチルという兄妹が幸せを呼ぶという青い鳥を探して色々なところを旅するが青い鳥は見つからず諦めて家に帰ったとき、その家にまさに探していた青い鳥がいたというもので幸せとかそういうものは身近に転がってるという含意だったと解釈している。
話が少しわき道にそれたがこの結論に至るまでどれくらい時間がかかっただろうか?
他の人はこの「青い鳥」を探したことがあるのだろうか?
私は他の人の心は読めないし他の人にもなれないからわからない。
7月16日(土) 「自虐」

パソコンの辞書によると「自分に意地悪なこと」とある。
どうも私の中にはサディスティックな自分とマゾヒスティックな自分がいるようで私は私を虐める事に快感をえていると同時に虐げられることを受け入れてる節がある。
私は私が大嫌いである。百人中百人をだませても自分は騙せないし自分の嫌なところは自分には隠せない。
私はそういういわゆる「悪い」感情を封じ込めてきたのだが・・・
ありえない話だが私には精神的に無防備な箇所がある。
それは答えが見つからないというか対応がわからないからである。
その状況とは「私が誰かに好かれたらどうするか」。
どうするんだろうか?
7月17日(日) 「夢」

私は夢を見るのが好きである。ここで言う夢とは将来の夢とかそういう夢ではなく眠るときに見る夢のことである。
なぜか。突拍子もないストーリーが面白いのもあるのだが何より夢の中の私はかつての私のように楽しんでいる。苦悩など一切ない。
私はそんな自分の気分を少しでも味わいたくて眠る。
7月18日(月) 「梅雨明け」

今日、関西では梅雨が明けたという発表がなされた。
梅雨の末期にはいつも激しい雷雨の日があると思ってるのだが今年はなかった。
今月上旬に雨が降ったくらいでそれ以外は曇ってたり晴れたりと雨の降った記憶があまりない。
去年は結構降った記憶があるのだが去年は台風が次から次へと来た異常気象な年だったのであまり参考にならないのかもしれない。
さて・・梅雨が明けて暑い季節になってきたら昔は喜んだんだが・・今は・・どうかねぇ・・
7月19日(火) 「誕生日」

今日は弟の誕生日である。
そして独身で迎える最後の誕生日ということになる。
弟は来年の初めに結婚するらしい。
そんなわけで今日は家族でお祝い・・ということはしなかった。
肝心の弟が友人と出かけたから。
そんなわけで今日は弟を抜きにしてごくいつもどおりの食事になった。
寂しいような・・複雑な気分だ。
7月20日(水) 「TRICK」

2000年と2003年にテレビでしていた仲間由紀恵、阿部寛らが出演していたドラマ。
2000年の夏に友人と飲み会をしていて偶然ついていたのがこのドラマでそれ以来ファンになっている(といっても劇場版は見ていないが)
私は結構超能力とか心霊ネタが好きで(信じるかは別問題として)そういうものを深刻なドラマではなく独特な雰囲気に仕上がったこのドラマがすきなのだ。
さて、このドラマのEDは鬼束ちひろさんが歌ってるのだが実にいいと思う。
そんなわけで先日ツタヤでCDを借りてきた。
なんでも今年に2時間ドラマ化が予定されてるという噂がある。
事実なら楽しみである。
7月21日(木) 「デジカメプリント」

デジカメで撮った写真データをメディアを店に持っていって現像してもらうサービス。
私はこのサービス、全然はやらないと思っていた。
なぜならパソコンがあれば普通プリンターも持っていてお金を払って現像してもらうほどのものだろうかという疑念がずっとあった。
しかし、我が家のプリンターはインクが切れている色があるし写真専用紙もなかったので依頼してみた。
結果。こりゃぁ一本とられたなぁ。
写真屋さんがやるから印刷ミスがない。その上綺麗。下手なプリンターより上を行く。
これが一枚40円を切ってるのだから侮れない。
すっかりファンになってしまった昨今なのであった。
7月22日(金) 「肖像画」

私のサイトにはおまけというか隠し部屋というかそういうページがあってそこに私の肖像画が表示されている。
これはページの解説内にある単語が検索エンジンでひっかかってしまうが普通に検索した分ではまず見つからない。
さて、ところが問題があることが最近わかってきた。
ドメインをとってHPアドレスが短くなって覚えやすくなったのはいいのだが肖像画のアドレスも非常に簡単になってしまったのだ。
かといってサブフォルダをたくさん作ってアドレスを長くするのもなんだかなぁ・・と思うわけで大いに悩むわけである。
7月23日(土) 「あにまりあ氏、暑中見舞い全廃へ」

【社会・時事】
あにまりあ氏は23日、今年度からの暑中見舞い全廃を突如発表した。氏いわく「6年続いたこの風習を今年、私の代で終わらせるのは忍びないが時代の変化に対応しなくてはならない」とのことである。
この風習は1998年から始まり、最盛期には10通を超える暑中葉書が投函されたが昨年は3通と近年低迷しており、存続の是非が最近議論の的になっていた。
なお、葉書が来た場合も返事を出すことは特に考えていないとのことである。
理由は年賀状で十分用が足りてるということをあにまりあ氏は述べた。
(協同通信・23日)
7月24日(日) 「近鉄電車」

近畿日本鉄道のこと。去年まであった近鉄バッファローズの親会社といえばわかりやすいかも。
大阪と奈良・京都・伊勢・名古屋・吉野を結ぶ結構規模の大きな私鉄。
幼少の頃、父が最寄り駅の高架を通る電車を見せに行ってくれたおかげで私は近鉄電車が好きである。
そしてこの沿線には都市風景、郊外風景、山の中の風景が展開されていて車窓が飽きない。私はこの鉄道の一区間の切符を買って急行に乗って奈良県をぐるっと回って結局次の駅で降りるという一人旅が好きだった。
しかし最近していない。電車に乗ってたら眠くなるからだ。
少し悲しい。
7月25日(月) 「悪夢再び・・」

CDを入れたら読み込まなくなった。何回入れたり出したりしてもだめ。
別のCDだと読むのに・・
ちなみに別のCD−RWも読まなかったのでサポートセンターに電話した。
繋がるのに1時間・・何とか修理というか診てもらう算段がついた。
この前駆症状としてスタンバイ状態から復帰したり再起動させたりしたら最初のウインドウズのロゴが出る前にCDドライブが空読みする。CDなんて入ってないのに・・
今なら同じ箇所の修理なら検診料だけで済むのでいいかと思いつつ2ヵ月半でまた修理・・
ものが言えない。
7月26日(火) 「パンドラの箱」

ギリシャ神話に登場するこの世の災いが詰まった箱。パンドラという女性がこの箱を開けたために世界中に災いや悲しみといった不幸が飛び散ったが箱の中には希望が残っていたというもの。
さて、私の心にはどうやらこの「パンドラの箱」があったようで10数年の不満や怒りを溜め込んでいたらしい。
そうして箱が開かれて災いが私の心に飛び散ったのが2000年。
残念ながら私はその箱にあるべき「希望」が見つからない。
ただ日々を流れに翻弄される笹舟のごとく生きてるだけである。
7月27日(水) 「孤毒」

この言葉を知ったのはいつだろうか。何かの本に載ってのだが思い出せない。
その本の論旨は「孤独=孤毒」だったと思う。
でも私はそうは思わない。
私にとって孤独であることは平常であってだからこそ人と接する時が輝くのだ。
それに私は人に気を使ったりいいにせよ悪いにせよ干渉されることが嫌いなので一人でいるほうが落ち着く。
ま、これも「孤毒に対して強い耐性を持っている」といえるのだろうか。
7月28日(木) 「哲学」

大学卒業の頃まで私は哲学が苦手だった。
答えのないようなものを論じても仕方がないだろうと思っていた。
しかし今は違う。
私が病に沈んでから私は哲学的なことを考えるようになった。
「「死」とはなにか?」「生きるとはどういうことか?」等々。
今のところ答えは見つかっていない。
たぶん見つからないだろう。
こういうのはたぶん本格的な哲学や宗教の範疇に入るのだろうから。
7月29日(金) 「掲示板」

私は掲示板運営と植物栽培はよく似てると思う。
最初は自分が書き込んでネタと言う「肥料」をまく。
ほうって置いたらいたずら書きや業者の宣伝で「荒れて」しまう。
そういった書き込みは雑草と一緒で「摘み取る」。
植物栽培と違うところはいったん軌道に乗ったら「実り」が常にあるということだろうか。
(要するににぎわってるということ)
中々共通項があって興味深い。
7月30日(土) 「ネタ帳」

この徒然日記を書く上でこのネタ帳を作ろうと何度考えたことか。
ネタ帳といってもタイトルだけを書いておくのだが(そこから発展させるので)作っていない。
結果、ネタが思いつくときは湯水のごとく出てくるのに出ないときはさっぱりということがよくある。
つい数日前、この日記のネタが湯水のごとくあふれ出た時期があった。
しかし書き残しておかなかったので霧散した。
なぜか抵抗があるこの作業、早期に導入するように気が向けばいいのだが・・
7月31日(日) 「激情」

私はかつてある人を好きになった。
そのときは本当にその人が好きだった。
しかし今よく考えてみたら私は彼女をよくしらない。
話そうとしたがうまく話せず、軽口すらだせなかった。
もし、彼女が一度だけで良いから私とゆっくり話す機会を持ってくれたなら私はこの激しい想いが恋なのかそうでないのかがわかっただろうに・・
あれ以来、何をしてもそのときほど激しい想いにはならない。
良い言い方をしたら「適度にガス抜きができてる」というべきだろうか。

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