第23章ー和彦の説得、そしてー

 
 
 
 
 初音は和彦がラナの説得に来ることをラナには黙っていた。
 いきなり和彦を登場させたほうがラナが言い繕う可能性が低く、本音を引き出せると考えたからだ。
 
 初音と和彦がカフェで会ってから10日ほどたった夕方だった。
 ラナは沈みゆく夕陽を眺めていた。
 その時、こんこんと病室のドアをノックする人がいる。
 誰だろう?また編集長代理かしら・・?
 と思いながらもラナは戸口に向かっていった。
 「開いてますよ、どうぞ」
 次の瞬間、ラナは凍りついた。
 「・・・あま・・の・・センパイ・・」
 和彦の容姿はラナが会っていない間に少し変わっていたが基本の顔立ちや歩き方といったところは
 全く変わっていなかったのでラナには和彦がすぐに分かった。
 
 和彦は無言で背広を椅子の上に置いて言った。
 「今井・・久々だね・・。少しいいかな・・?」
 「は、はい、どうぞ・・」
 まずい、声が上ずってる。もう和彦への想いは断ち切ったはずなのに・・
 和彦はそばの椅子にゆっくり腰掛けた。
 
 ラナは尋ねた。
 「先輩、どうしてここがわかったんですか?」
 「佐野さん、だったかな?君の上司から君の今の状況を聞いてね・・」
 「・・ということは私の今の状況を・・」
 「うん・・聞いたよ。がんなのに、治療を拒否してるんだって?」
 和彦は明らかに言葉を選んでいる。それは治療を拒否する患者を刺激すまいというものではなく、明らかに
 ラナという存在を前に緊張に似た感情を抱いて喋っているということをラナは感じ取った。
 ラナは言った。
 「ええ、もうこの世に未練はないですからね・・」
 和彦が言った。
 「それには僕が関係してるのかな・・?」
 「・・・」
 ラナは言葉が出なかった。
 和彦はふぅとため息をついた。
 「今井、君の気持ちに返事を出さなかったは悪かったと思ってるんだ。君が葉書をくれるたびにどれほど僕の心
 が痛んだか・・」
 「・・・なら、どうして私の誘いを全部無視したんですか?返事くらい出せたでしょうに・・」
 「・・・」
 「・・・そうよ、私はあなたが好きだった。好きで好きで仕方がなかった。でも好きすぎたからこそ、その反
 動は
とても大きくて、私は人を愛することに絶望した・・」
 「・・・」
 「仕事は順調だったし、編集者として作家との関係も良好だった。でもこの心の隙間は埋まらなかった・・」
 「・・・」
 「そうしてるときにこのがんの宣告を受けたの。いい引き際じゃないですか?こんな人を愛さない人に天罰
 が下っ
たんだわ・・」
 和彦にはこんなことは言いたくなかった。でも長年の間に恋愛感情は恨みに似た感情に変質していたのかもし
 れず、
口から出るのは恨み節ばかりだった。そんな自分にラナはびっくりすると同時にあきれていた。
 和彦が口を開いた。
 「今井、実はこのことは親族以外には一切口外してはいけないと言われてるから黙っていたんだけど、僕に
 は許嫁が
いるんだ・・」
 「許嫁?」
 あまりに古風な言葉の登場にラナは我が耳を疑った。
 「三千院財閥って知ってるだろう?あそこの娘さんで瑠奈さんという女性とね・・」
 「・・・」
 「・・・でもこんなことを言うのはなんだけど僕と瑠奈さんは会ったことがないんだ・・親が決めたことでお
 互い忙し
いしね・・」
 「だから今井、君のストレートな愛情表現には面食らったよ。許嫁といっても写真しか見たことのない人より
 実際に会って
話をしてる君からの話にね・・」
 「答えを出さなかったのは悪いと思ってるんだ。でも・・・」
 和彦の言葉をさえぎってラナは言った。
 「あーあ、飛んだ茶番ね。許嫁のいる人を好きになったらそりゃぁ勝ち目なしよね・・」
 「今井、違うんだ・・」 
 「違う?何が違うって言うんですの?貴方は私の恋愛感情を氷漬けにしてしまった。その無視という生殺し的
 方法で・・」
 「だから、話を聞いてくれっ!!!」
 和彦の絶叫に似た叫びにラナがたじろぐ。
 「確かに僕には許嫁がいる。でも、今の話で自分の気持ちに整理がついたんだ。今井、どうか、僕のために
 手術を受けて元気になったときにお互いゆっくりと話しあわないか・・?」
 「でも、貴方には許嫁がいるんでしょう?その手には乗りませんよ・・」
 「親の決めたものだし、そっちはなんとかするよ。大体写真しか見たことない人に恋愛感情を抱けっての
 もね・・」
 「信じて、いいんですか?」
 「ああ、今まで無視して悪かったね。どうだろう、手術を受けて一緒に食事でもしないか・・?」 
 和彦は少し頬を赤らめてラナから目をそらして言った。
 ラナは考えていた。今まで意地を張っていたのは和彦への怨嗟に似た感情からだった。
 しかし、目の前に和彦がいて自分に手術を受けて生きてほしいと言っている・・
 「・・・わかったわ・・私、手術を受けるわ。」
 「今井・・!」
 「・・・本当は天野先輩に会いたかったの・・話をしたかったの・・」
 涙がとめどなく流れる。長い年月の凍りついた感情を融かすように・・
 うんうんと頷きながら和彦はラナを抱きしめた。
 和彦は思った。
 今井、痩せたな・・早く手術を受けさせないと・・

目次へ戻る

←第22章へ

→第24章へ