九州旅行報告書

報告日:2008年5月25日(日)               報告者:あにまりあ

検討体験記:2007年11月21日、22日九州旅行記第1巻1号03項〜第10巻9号99項

1.体験の概要
 2007年11月21日、22日の両日、あにまりあ(29)は寝台列車に乗るため「だけ」が目的の九州旅行を体験した。

2.体験の意義
 2008年3月のダイヤ改正で廃止された「なは」に乗車し、「富士」の個室で一晩過ごしたという寝台特急尽くしの旅を満喫できたことに本件の意義がある。

3.体験の内容
 11月某日、一部メディアで2008年3月ダイヤ改正で京都〜熊本間の寝台特急「なは」、同じく京都〜長崎間の寝台特急「あかつき」、大阪〜東京間の寝台急行「銀河」が廃止されると報じられた。
 2006年の「出雲」廃止時の祭り状況を知っていたあにまりあはJRから正式な発表が出たら人が増えると判断、急きょ切符を取って旅行に出ることを決意した。
 「富士」はA寝台個室、「シングル・デラックス」が乗車2日前だったがとることができた(図1)。

図1:寝台特急「富士」号の「シングル・デラックス」の切符

こちらは九州横断特急の切符。「富士」号で大分到着後「なは」を始発から乗るためには熊本に移動する必要がある。

図2:九州横断特急の切符。

図3:寝台特急「なは」号の切符。「なは」号にはB寝台しか連結されていなかった。

そうして、11月20日、あにまりあは大阪駅に向かった。まず、午後10時過ぎに発車の「銀河」を撮影。
あにまりあが大阪駅に着いた時、「銀河」はすでに入線していた。ちなみに「銀河」にはヘッドマークはないので後方のテールマークだけの撮影を行った。

図4:寝台急行「銀河」のテールマーク

図5:寝台急行「銀河」の方向指示幕

また、同じホームから新潟行きの寝台急行「きたぐに」、東京行きの寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」も発車する。

図6:行き先案内板。壮観である。

「銀河」が発車して約1時間後の午後11時20分ころ、「銀河」と同じホームに新潟行き寝台急行「きたぐに」が入線。この列車、昔は青い客車のブルートレインだったが今では寝台電車として置き換えられている。

図7:大阪駅に入選してくる新潟行き寝台急行「きたぐに」


図8:「きたぐに」の方向指示幕。よく見たら下のほうに「急行」の文字が見える。何の急行が印字されてるのだろう。


図9:車体には廃止された「シュプール」の文字が。歴史を感じさせる。

「きたぐに」も発車してゆき、その後約1時間で今度は東京行きの寝台特急「サンライズ出雲・瀬戸」が入線してきた。意外にも20人近くの乗客が乗り込んでいった。

図10:大阪駅に入線する「サンライズ出雲・瀬戸」

図11:サンライズ瀬戸部分の方向指示幕

そうこうしている間に通勤列車も終わってしまい、ただ大阪駅終着の列車が入ってくるだけになった。降りる乗客もまばらでその乗客もとうとういなくなってしまった。
いるのは保線作業員の方と駅員さん、それとホームを清掃している清掃員の方だけになった。
「富士・はやぶさ」は深夜の1時8分大阪発車である。

図10:「富士・はやぶさ」の到着を告げる案内板。
遅れ約10分ということだったが、実際には5分ほどの遅れで大阪駅に入線してきた。ここからの乗客は私と前方の「はやぶさ」に乗車するおじさんの計2人だけだった。

図11:大阪駅に入線する「富士・はやぶさ」。下関までEF-66が牽引する。

乗車後、車掌さんから個室のカギを貰う。その後、車内をうろつくと、富士とはやぶさの連結面でテールマークが見られた。

図12:「はやぶさ」のテールマーク。

図13:「富士」のテールマーク。

列車が姫路で運転停車(乗客の扱いをしない停車、時刻表では通過扱いの停車)したのを確認後、床に就いた。
翌朝、5時過ぎに起床。列車は瀬戸内の海岸沿いを走っていた。夜明けが美しい。

図14:瀬戸内の夜明け1

図15:瀬戸内の夜明け2

図16:瀬戸内の夜明け3

図17:瀬戸内の工業地帯の夜明け

徳山から車内販売があった。この車内販売、前方の「はやぶさ」から来るので後方の「富士」まで残っているか不安だったが、幕の内弁当をゲット。

図18:朝食の幕の内弁当。

図19:幕の内の中身:おいしかった。

列車の車窓を眺めている間に、下関到着。ここでEF-66型機関車は切り離しである。

図20:本州を東京からずっと下関まで走破したEF-66。ご苦労様でした。

機関車付け替えの間、客車部分はむき出しになるのでマークが撮りやすい

図21:次の機関車を待つ「富士・はやぶさ」。見ての通り、先頭が「はやぶさ」である。

本州と九州をつなぐ関門トンネル内はEF-81が牽引する。ほんの10分ほどだがきちんとお役目を果たす。

図22:関門トンネル内を牽引するEF-81

約10分後、門司着。ここで「富士」号と「はやぶさ」号を切り離し。写真にあるように「はやぶさ」号が先に発車する。

図23:「はやぶさ」号が先に出発することを知らせる電光掲示板

図24:「富士」と「はやぶさ」の連結部分

九州内は「富士」「はやぶさ」ともにED-76が牽引する。こちらは先発の「はやぶさ」のヘッドマークをつけたED-76。この機関車には前後ろにヘッドマークが付けられていた。

図25:入線してくる「はやぶさ」のヘッドマークをつけたED-76

図26:客車と機関車の連結(はやぶさ号)

図27:「はやぶさ」の方向指示幕。見てのとおり熊本行きだ。

そうしている間に、「はやぶさ」号発車の案内が。やがてゆっくりと「はやぶさ」号は門司駅を後にしていった。

図28:門司駅を発車する「はやぶさ。」

ここからは「富士」号。先に述べたように「富士」号は大分行きである。

図29:「富士」の方向指示幕

やがて、機関車が入ってきて、無事連結した。九州内は単独の「富士」号である。


図30:「富士」のヘッドマークを装着したED-76

また、連結作業を見ている間、向い側の線を貨物列車が通過していった。EH-500というらしい。こんなの初めてみた。

図31:貨物専用線を通過するEH-500牽引の貨物列車

この時、「写真撮ってください」と、見知らぬ人に声をかけられ、撮影してあげた。しかし私が撮影してもらうのを忘れてしまった。この旅は楽しかったが、これだけが心残りになってしまった。
そうして列車は定刻に門司駅を発車。宇佐をすぎて杵築(きつき)駅に入ると乗客扱いはしないはずなのに、停車する。そう、後からの特急「ソニック」のほうが早いので通過待ちなのだ。特急が特急の通過待ちって・・

図32:杵築駅で「富士」を追い越す特急「ソニック」

別府の辺りから列車は海沿いを走る。写真は大分付近の海。

図33:別府〜大分間で撮影した海の様子。

やがて「富士」号は終着駅の大分駅に到着。時間の遅れもすっかり取り戻していた。

図33:大分駅に到着した「富士」

回送になるため、方向指示幕が回転していくのだが、面白いものが見られた。それが下の写真。とっくに廃止された「あさかぜ」の幕があった。他にも「さくら」の幕も出現した。

図34:廃止されたはずの「あさかぜ」の方向幕。客車、使いまわしてるんだねぇ・・

図35:大分駅の駅名表示もこのとおり。これを見たら「九州にきたなぁ」と思う。

普通列車もなんだか見慣れない。

図36:大分駅発の普通列車。色彩がハデに思う。

富士から降りた後、列車撮影をしていたら九州横断特急の到着時間が近づいてきた。お土産、買い損ねてしまう。

図37:九州横断特急の案内を知らせる電光案内板

図38:写真には撮れなかったが宮崎方面への「にちりん」号の案内。見たかった・・

図39:「白いソニック」号の案内。しかし、約8時間も先の列車案内が載ってるあたり、のんびりしてるなぁと思う。

やがて、九州横断特急が入線。2両編成のディーゼルカーだ。

図40:大分駅に入線する「「九州横断特急」。

同時刻あたり、向い側のホームに特急「ソニック」が入る。いつ見ても奇抜な形だと思う。

図41:大分駅に到着した特急ソニック」

九州横断特急に乗った。車掌さんとは言わない、「キャビンアテンダント」という車掌さんのような役目をする若い女性の乗務員がいたのには驚いた。飛行機みたいなネーミングだ・・
列車は阿蘇付近を通過。写真は阿蘇駅。

図42:阿蘇駅。少しぶれちゃった。

図42でもお分かりと思うが、阿蘇駅周辺には人家が若干ではあるがあった。しかし発車して進むにつれて人家は姿を消し、山と草原の中に入って行った。

図43:阿蘇駅を出てしばらくしたら出てくる風景。

図44:赤水駅。案内からもわかるように温泉が近くに湧き出ているようだ。

途中、山間部でスイッチバックなどがあったが、やがて市街地へ。

図45:熊本駅付近。路面電車が走っていた。

やがて熊本駅到着。リレーつばめを見たかった私にとって楽しみな駅である。

図46:リレーつばめの案内。鹿児島まで行くんですね。

そしてやがてリレーつばめ到着。黒く美しい。

図47:熊本駅に到着したリレ−つばめ

図48:こちらは側面。何もかもが凝っていて高級列車という印象を私は持った。

「有明」号も熊本駅経由。光の森駅まで行っている。

図49:「有明」号到着を知らせる案内板

ちなみに、光の森駅は九州横断特急も止まる駅なのだが、名前からは想像もできないほど、普通の住宅街であった。昔は森だったんだろうか・・?そう思っていると「有明」号が入ってきた。リレーつばめによく似た車体だ。

図50:熊本駅到着の「有明」号。車体に「ARIAKE」と書いてある。

図51:「有明」号側面。

特急は「有明」と「リレーつばめ」がほとんどだった。
これは鳥栖行き普通列車。大分の普通列車とは色が全然違った。

図52:熊本駅で発車を待つ鳥栖行き普通列車。

図53:熊本駅で発車を待つ八代行き普通列車。こちらは大分のものと少し色が似ているような気がする。

やがて、「はやぶさ」が入線する時間が近づいてきた。16時発車と恐ろしいくらい早い時間に出るんですね・・

図54:寝台特急「はやぶさ」の案内

「はやぶさ」入線。親子連れや少数乗り込んだが、熊本駅で乗り込む姿はそう多くなかった。

図55:熊本駅で発車を待つ寝台特急「はやぶさ」

図56:寝台特急「はやぶさ」の方向指示幕。今度は東京行き。

さて、「はやぶさ」が発車した後、約4時間の待ち時間が発生した。お土産も買っていたし、することがないので九州新幹線の終着駅、新八代駅に行ってみようと思い立ち、八代行きの普通列車に飛び乗った。新八代まではそれほど時間はかからなかった。30分くらいだっただろうか。
そうして新八代駅到着。

図57:新八代駅案内板
しかし・・だ。九州新幹線は在来線とは別の高架部分を発着点としているらしく(リレーつばめ号は八代駅手前の分岐線から新幹線の線に入っている)妙に静か。
新幹線の駅はなるほど、それなりだが(図58)、駅前が閑散としていた。普通ショッピングセンターの一つでもあると思ったが・・

図58:九州新幹線新八代駅

図59:新八代駅前
在来線のほうもいたって静かで、特急列車がないせいだろうか、静かなものだった。図60は新八代駅から八代方面を、図61は熊本方面を望む。

図61:新八代駅から八代方面

図62:新八代駅から熊本方面

まだ、「なは」の発車まで3時間ほどあった。そこで私得意の各駅停車の旅としゃれこんだ。電車で行けるところまで行って熊本駅に引き返すという算段だ。そうして到着した普通列車に飛び乗った。
時刻表とにらめっこして、行って引き返してこれる最遠は長洲という駅であることがわかった。そこまで行ってきた(図60)。

図60:長洲駅。

長洲町は金魚と鯉の街らしく、駅前に大きな金魚のレプリカがあった。

図61:金魚のレプリカ

長洲駅は普通列車しか止まらない。その割に特急列車がバンバン通過してった。

図62:長洲駅を通過する「リレーつばめ」号

熊本駅に着くと、寝台特急「なは」が電光案内板に出ていた。

図63:寝台特急「なは」の到着を告げる案内板

しばらくして、貨物列車が通過した後、寝台特急「なは」が入線してきた。

図64:熊本駅に入線した寝台特急「なは」

図65:寝台特急「なは」のテールマーク。

定刻発車。すぐに「あかつき」と併結する鳥栖駅に到着(図66)。「あかつき」号は後から入線するので、門司港行きの普通列車を撮影した(図67)。

図66:鳥栖駅。

図67:鳥栖駅を出ていく門司港行き普通列車。

案内が、「寝台特急」とだけで、列車名が書いていないのはなぜだったんだろう(図68)。

図68:なぜか「寝台特急」だけしか書かれていない鳥栖駅の案内。

しばらく待つと、向こう側のホームに「あかつき」号が入線してきた。こちらも最初から「なは・あかつき」マークで単独マークはついにお目にかかれなかった。

図69:鳥栖駅入線の寝台特急「あかつき」号
どういうわけか、一瞬扉を開けた後すぐに扉を閉めて「あかつき」号はそのホームを出て行った。

図70:鳥栖駅ホームを出ていく「あかつき」号。
しかし、そのなぞはすぐ解けた。「なは」号の手前に出てそこからバックで入ってきて連結するのだ。

図71:バックで鳥栖駅に再入線する「あかつき」号。

図72:「あかつき」号のテールマーク。

そのあと、すぐ連結作業(図73)。廃止寸前のころは鉄道ファンでごった返したそうだが、この時は私とカップル一組だけだった。

図73:「なは」号と「あかつき」号の連結場面

こうして、連結作業は無事終わり、「なは」号に至っては30分近い停車時間を経て鳥栖駅を発車。
私ももう少し夜景を堪能したかったが、梅酒と程よい揺れ、それと昨日の睡眠不足の3点セットで眠くなり、11時頃床に就いた。
翌朝、三ノ宮付近でチャイムで起床。降りる少し前まで寝台でごろごろしていた。書き忘れていたが、「なは」号の私の寝台は禁煙車の開放B寝台上段だった。
降りる前に移しておきたい場所があった。レガートシートという「あかつき」号に連結されていた座席車。

図74:レガートシート車内

降りる間際でも乗車している人はいなかったのだが、レガートシートは誰もいなかったのだろうか。
短いような、長いような寝台特急に乗るためだけの旅行もいよいよ終わり。
大阪駅で「なは・あかつき」号のヘッドマークを写して、写真は終わった。

図75:「なは・あかつき」号のEF-66のヘッドマーク

4.体験の考察並びに議論
 今回、長年の夢であった「寝台特急尽くし」の旅行が出来た。この旅行から約4ヶ月後、「なは・あかつき」号は廃止されてテールマークやヘッドマークも消滅し、記憶に残るだけの存在になりつつある。
 いわゆる「ブルートレイン」という列車は20世紀大活躍した列車だが、最近は高速バス並びに航空路の整備、およびそれらの低価格化に押されて衰退している一面は否定できない。
 確かに、寝台列車はよく遅延するという印象がある。それは長距離を走るため、一部区間での遅れをなかなか取り戻せないためだろう。特に都市部では過密ともいえるダイヤが組まれており、そんな中寝台列車に割く時間的スペースは少ないかもしれない。
 また、寝台料金が高いというのも客足を遠ざけている一因であるのは明らかだ。
 寝台列車を使うくらいなら新幹線で目的地に行って格安のビジネスホテルをとるお客さんもいると聞く。
 私もはっきりいってもう半額にでもしたら客足は少なくとも取り戻せるのではないかと思った。
 車両の老朽化も進んでいる。確か普通の14系や24系といった車両は製造されて20年以上のものが多いと聞く。とうに耐久年齢が過ぎた列車をいつまでも走らせておくのも・・と思わないでもない。

 ・・と、否定的なことばかり書いたが、私は九州ブルートレインはテコ入れしたら延命策はあったのではないかと思っている。特に関西発着の「なは」「あかつき」は夜8時頃発車し、翌日8時には目的地に着いている。
 ということはもっと宣伝なり、アピールなりをしたらこれらの列車の乗車率はもう少しましな数字になったのではないかと思うのだ。
 東京発の「富士」「はやぶさ」はいっそのこと、高級列車化して差別化を図ったらどうだろうか。具体的には全車両個室およびシャワー完備、ロビーカー並びに食堂車の復活で車両も一編成でいいので新造したら飛行機の苦手な人たちにとってはありがたい旅行手段になるのではないか、そう思えてならない。
 とにかく、今のままではあまりにも中途半端で、来る乗客も逃がしているように思う。
 寝台に寝転がりながら、線路の音を肴にちびちびと飲むととても旅情を感じる。
 また、機関車の汽笛を聞きながら流れゆく景色を見やりつつ物思いにふける時間というのは、人生でもかなり贅沢な時間に入るものではないだろうか。
 それに知らない人と知り合いになれる可能性も結構ある。開放寝台に乗車したら気さくに話しかけてくる人がいる。こういう人はえてして年配の人が多いように思うが(思い込みかもしれないが)、そういう人たちと身近な他愛ない世間話や鉄道の話をするというのも長距離寝台列車だからこそである。
 長々と書いたが、20世紀の遺産ともいうべきブルートレインの灯がそう遠くない将来消えてしまう可能性があると思うとなんだか悲しい気分になってしまうのだ。

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