あにまりあの徒然日記(2005・6月)
6月1日(水) 「智美」

私には本名のほかに2つ名前がある。
一つはハンドルネーム(HN)である「あにまりあ」。これは皆さんご存知のことと思う。
そうしてもう一つの名前、封じられてきた名前。それが「智美」という名前である。
「あにまりあ」はインターネット世界で自分を呼ぶときの名前。
翻って「智美」とは私が女になったときの名前である(すごく誤解を招きそうな表現だ・・)。
この名前は自分で付けたものではなく、大学のクラブの後輩がつけてくれた。
もうここまで行けば、過去の徒然日記を読破した方ならご存知であろう、その「智美」が発動するのは私が忌むべき「女装」をした時の名前である。
高級に(?)いえば「源氏名」に近いものであろうか。
でも不思議なもので「女」になったらこの迷ってばかりの「自分自身」という殻から解放されたようで少し不思議な気持ちになる。
いかんいかん、月の初めからろくでもないことを書いてしまった。
誤解がないように言っておくが私は女装癖はない。
単なる「憧れ」に近いものであろうか。
6月2日(木) 「6月」

私は昔から6月という月が好きになれない。
なぜなら祭日がないからである。
8月も祭日がないがこのときは夏休みと重なっているのでいいのだが6月は他の長期休暇とも何のつながりもないのに祝日がない。
それに最近はこちらのほうが重要なのだが6,7月は鬱が悪化してる月だからである。
そういえば4年前の7月は入院もしたなぁ・・と回想してみる。
6月3日(金) 「HIBERGID exe」

私のパソコンはNEC製であるがウインドウズXPSP2を入れてから、テレビが凄く重くなることがある。
特にビデオを見ていたらぶつ切りに再生されて非常にストレスがたまる。
そんな時、再起動させてみたらこのファイルが固まっている。
調べてみたら「予約監視」を司る実行ファイルらしいのだがいまいちよくわからない。
明日にでもサポートセンターに電話してみることにしよう。
6月4日(土) 「アンインストール」

結局、昼間は何もする気が起こらず寝ていて夕方気力が回復してサポートセンターに電話したら修理受付のみしかしていない時間帯になっていた。
ウインドウズメディアプレイヤーで音楽を聴いててもぶつ切りになることがあったので思い切ってSP2をアンインストールすることにした。
結果。少しは軽くなったような感じがする。メッセンジャーは再ダウンロードしてインストールしないとエラーが起きたが問題はそれくらいである、今のところ。
でも修理に出す前はSP2だったのにテレビがぶつ切りになることも少なく問題は無かったのだが・・やっぱりサポートセンターに電話しなくてはならないようである。
6月5日(日) 「専用」(6月3日続編)

気力が少しあったのでサポートセンターに電話してみた。
そうしたらHIBERGID exeという実行ファイルは単にテレビの予約監視だけでなくウイルスソフトやチャットソフトを監視しているというものでテレビを快適に見るにはそういう陰で動いてるアプリケーション(画面の右下にアイコンが表示されてるもの)を終了させてかつインターネット回線も切って「テレビ専用」でご視聴下さいとのことだった。
ふーむ、何か納得したような納得してないような・・?暫く様子を見よう。
6月6日(月) 「システム復元」

結局「システムの復元」でSP2を入れる前の状態にすることにした。
アンインストールしようとしたら「すでに削除済み」と出る。
そのくせちゃんとSP2とマイコンピュータでプロパティを見たらある。
何か無いかと思っていたらどういうわけか修理に出してた期間中にシステムチェックポイントがあった。
これならフォーマットしなくてすむ。またダウンロードしなくてはならないが・・
そうして結局修理から帰ってきた状態でやり直しになった。
テレビとかは再設定しなくてはならなかったが録画したものはちゃんと残ってた。
HPビルダーもまた設定しなおさなくてはならなかったが(転送設定のときにエラーが出るという怪奇現象はあったが)何とか更新できた。
昼が動けたらこういう作業は昼にしてるのだが・・・。
6月7日(火) 「エラー」

あれこれ更新ファイルを入れてたらウインドウズメディアプレイヤーがおかしくなった。
復元しても元に戻らない。
どうもフォーマットをせねばならないのだがテレビがたまってる・・
いつものことだがテレビってすぐにたまるんですねぇ・・
結局フォーマットは避けられない道だったようだった。はぁ・・・・
6月8日(水) 「賢者と隠者」

私は最近心の奥底の闇の向こうに賢者がいることを知った。
それは「直感」という名の指示を私に下してきた。
私はその声の言うとおりに人生を歩いてきた。
しかしどうやら賢者も思い込みという名の強迫観念からは逃れることができなかったようで中々賢者にも鬱の正体がわからなかった。
結果私はいろんなことに手を出しては消耗、挫折するという悪循環に陥っていた。
しかし賢者はついに鬱の正体を悟った。
そうして私に真相を送ってきた。
なるほど、いうとおりである。思い当たる節が多々あり、疑問が次々と氷解していった。
強迫観念、それは「こうあるべき自分」という名の幻想。
その幻想がどれほど私を縛り付け、視野を狭くさせていたか今更ながら知った。
鬱に陥って4年半、ようやくトンネルの出口が見えてきたのかもしれない。
なお、隠者という単語を使ったのは心の奥底にひっそりと住んでるからに他ならない。
誰にでもこの賢者というか隠者はいると思う。
6月9日(木) 「なんてこと・・」

やっとこさ色んな設定が終わったのでHPを見直してみたら・・
「徒然日記」5月分のうち15日を最後に書いたものが消えていた・・
どうやらメール保存に気をとられてHPファイルのバックアップをとらないまま全ファイルをサーバーに転送したため消えてしまったようだ。
せっかく毎日つけてるのに意気消沈・・
6月10日(金) 「8ヶ月」

この徒然日記が始まって今日でちょうど8ヶ月である。
連続日記をつけたぞ記録は5月15日でひとまず終了とすることにした(だってファイルがないから)。
6月1日から連続つけたぞ記録を始めることにした。悔やんでも完全消去してしまったし。それにしてもよくも毎日書くことがあるものだ・・
正直この企画を始めるにあたって色んな人に掲示板でこの企画について興味があるかを聞いた結果であるが皆さん読んでくださってるようである(あくまで推測だが)
最近ではアリサイトというより日記サイトになりつつあるのではないか・・と思ってしまったりもする今日この頃である。
6月11日(土) 「矛盾」

私にはかなり矛盾した部分があると思う。
他の人はそういう矛盾を抱えているかは私にはわからない。(普通そんなこと口にするはずもないだろうから)
例をひとつ。私はマージャンが全然できない。
いや、機会がないというべきなんだろうか。興味はあれども覚える機会がないだけである。
そんな私がマージャン漫画を面白く読んでいるという事実。
どう説明したらいいんだろう?
世界には不思議が満ち満ちているが案外一番不思議なのは自分自身なのかもしれない。
6月12日(日) 「対立する私」

私は二極化してることを最近痛感する。何が二極化してるのかというと考え方、ものの捉え方である。
私という存在はその対立する思考のハザマをうろうろしてるに過ぎない。
また例を挙げよう。
私は自分が嫌いだと以前書いたが私自身を溺愛する思考体系も存在する。
それがなかったら私なんてもっと早く壊れていただろう。
対立する思考。それを持つことは別に問題ではないと思うのだが問題はどっちもすごく頑固で事あるごとに対立して結局私が結論を出せないということ。
私はどこに向かってるのだろうか。
6月13日(月) 「アクセスする企業」

私のサイトではアクセス解析用CGIを使ってアクセスを解析してるのだが世の中には実に色んな名前のプロバイダがあるんだなぁとおもう。
そんな中でよくわからないアクセスもある。
それが企業からのアクセスである。
ゲームメーカーのナムコだけは徒然日記という名前で検索したらヒットしたことがあったのでたぶん日記を見に着たんだと思う。
しかし他はよくわからない。建設会社、電器メーカー印刷会社・・などなど。
どのアクセスも1程度なので偶発的なアクセスだと思うのだが一体どこをどうしたらこの広いWEBの中から私のサイトを発見するに至ったのか?
謎である。
6月14日(火) 「お詫び」

5月の20日ごろにインターネット本屋丸善のMLでウイルスメールが大量に出回ったことを消える前の徒然日記に書いていたが郵便でお詫びの文書と図書券500円分が送られてきた。
私のほうはウイルスも対策ソフトが駆除してくれたし大量のメールに驚いただけで殆ど実害はなかったので500円の図書券は素直にうれしい。
でも大きな本屋だからきっとたかが500円の図書券といえど相当の出費になったはずで社会の厳しさの一端を垣間見たような気がした。
6月15日(水) 「健康であるということ」

この健康という概念から遠ざかってもう数年がたつがそうしてる間に健康な状態というのがよくわからなくなってきた。
確かに私には病的というか偏った部分がある。
医師に言わせたら「死が怖くない」というのはそれだけで病的なのだそうだ。
でも私は大学3回生の冬から死というものを常に意識してきているのでそれが常態化している。
心身ともに健康とはよく言うがどういう状態を言うんだろう?
6月16日(木) 「当たり前が当たり前であるということ」

先日、パソコンを2回フォーマットする羽目になって以来パソコンに不具合が起こらないか正直びくびくしている。
そうして初めてパソコンが正常に動いてる今というもののありがたみがわかってきた。
まぁ、別にこれはパソコンに限らず万事に当てはまることだとは思うが。
でも不幸にも中々この「当たり前が当たり前であること」のありがたみは通常ではわからない。
当たり前が当たり前でなくなって初めてそのありがたみを実感するのである。
普段から感謝してたら言いという話なのだがこれが中々難しい。
健康もそういうものなのだが。
6月17日(金) 「7年」

私の机の中には封印されていたものがあった。
それは1000円分の音楽ギフトカード。
なぜこれが封印されていたのかというと複雑な事情がある。

・・・7年前の冬、大学のクラブの一つ下の後輩が亡くなった。
事故とか自殺とか言われていたが原因はよくわからない。
ただその1週間前、私は彼女に飲み会で会っていた。
実に元気であった。
それがまさかこんな形で・・まさに青天の霹靂(へきれき)だった。
あまりに突然で遺影をみるまで実感がわかなかった。
若い人の葬式はそれが初めてだったのでとてもつらかった。
告別式で彼女の顔を見れなかった。見たら泣き崩れるのがわかってたから。
でも今思えば無理してでも見ておけばよかったかなと思う。
今でも私は彼女にとっていい先輩であっただろうかという答えの無い疑問が私を悩ます。
断っておくが私は彼女に特別な感情を抱いていたわけではない。
ただ、何かと一緒の班とかになることが多くそういう意味では親しかったと表現したらいいのだろうか。
それ以来、私は死というものが突然降りかかってくることがあるということを知った。
そうして私は死というものを隣において考えるようになった。
今、何かの事情で私の生の糸が断ち切られても後悔しないように・・
ま、ここ数年は私は本当に死と隣りあわせだったから余計にこんなことを考えるのかもしれない。

長い話の枕になったが彼女の49日法要のときに彼女のご両親からクラブの法要参列者に配られたのがこのギフトカードである。
何か使ってしまったら彼女の存在を証明するもが消えるような錯覚にとらわれ使えなかった。
しかし、今日思い切って使ってみた。
7年の封印を解いた瞬間だった。
正直湿っぽい話になってしまいましたね。ごめんなさい。
6月18日(土) 「海」

私は海が好きである。といっても真夏の真昼の海でする海水浴はあまり好きではない。
日が暮れる前か日が暮れた後、静かな海岸を歩くのが好きだ。
打ち寄せては引く波、満ち干きする潮。静かな空間に満ちる海特有の潮のにおい。
これが私は好きなのだ。
波を見ていたら不思議と心が安らぐ。
私は眠れないとき、もしくは心が落ち着かないときにするイメージがある。
これはベルナール・ウェルベル著「蟻の時代」に載っていたのだが実に心が落ち着く。
そのイメージは波打ち際に穏やかに打ち寄せる波をイメージするのだ。
チャプ・・チャプ・・
そうして穏やかに打ち寄せる波に意識を集中させたら心が落ち着いていつの間にか眠っている。
一種の瞑想なんだろうがとても気に入っている。
6月19日(日) 「短調」

私は音楽は短調系の音楽が好きである。
長調系の音楽やアップテンポの音楽は時には元気をくれることもあるのだが聞き続けたら疲れてくる。
それに引き換え短調系の音楽は静かな音楽が多くとても落ち着く。
私はその場その場で気まぐれ的に気に入った音楽を聴いてるのだが一番のお奨めを一つ。
クラッシックなんだがドヴォルザークの「家路」という曲である。
このCDを探すためにどれほどCDショップを探し回ったことか・・
この家路、新世界という曲の一節だということは後に知った。
誰でも一度は聞いたことがあるはずである。それほどメジャーなクラッシック曲である。
私がこれを聞いていたのは小学生の頃。
下校のときの音楽に使われていた。
一度お試しあれ。
6月20日(月) 「友人ーmy friendsー」

今の私からは想像もできないかもしれないが私は小学校1,2年のとき、誰も友人がいなかった。そのとき、程度は軽いとはいえいじめにもあった。
登校拒否にならなかったのは当時の私が今よりもずっと無感症で孤独を今よりずっと愛していたからに他ならない。
小学校3年以降は友人にも恵まれ今に至る。
さて、私は何度か自殺未遂をしたことはここでも書いてるが一昨年は気分の落ち込みが激しく毎日死ぬことばかり考えていた。
そんなときに何度どれだけの人にさようなら電話をしただろうか。
きっとかかってきたほうはすごく大儀だったと思う。
しかし彼らは個々のやり方で私の話し相手になってくれて私の気分が落ち着くまで喋り相手になってくれた。
さらに幸いなことにそれが原因で離れていく友人はいなかった。
今でも彼らは何も無かったように付き合ってくれる。本当に感謝している。
口で言うのは恥ずかしいからここでいうことにする。
「ありがとう」。
6月21日(火) 「夏至」

今日は夏至である。一年で一番昼間が長い日である。
だからなんなんだといわれるとそれ以上は特に何も無い。
単に後から読み返したときこの徒然日記に暦を感じさせようとたくらんでいるだけである。
いよいよ暑くなってきた。我が家では今夏初めて除湿ではあるがクーラーをつけた。
これからますます暑くなっていくと考えたら少し憂鬱なような気がする。
昔は炎天下でも虫取りに興じたものだが・・今やったらぶっ倒れるであろう。
6月22日(水) 「depression」

気分が悪かったので頓服薬を飲んだ。
この頓服薬を飲むと落ち着くのだが欠点というかそういう点が一つある。
眠くなるのだ。
今日は何時間寝ただろうか・・
夜になったら元気になるのは前述のとおり。
困ったものだ・・
6月23日(木) 「過去の遺物」

大学時代、Eudora(ゆーどらと読む)というメールソフトで学校のメールをしていたのだがそのとき使っていたフロッピーが出てきた。
幸い、アウトルックexp6とは互換性があるらしくデータを取り込んでみた。
1999年冬までの送信メールはどういうわけか消えていたが受信メールは残っていた。
今と同じくらいの頻度でメールを受け取っていたようだ。(週に1,2通)
ということは大学卒業後のメール頻度は凄かったことになる。
何枚か写真も出てきたので見てみたが大笑い。
誰かが私の顔と別人の誰かの体をフォトショップで合成したものまであった。
中々懐かしいものであった。
6月24日(金) 「訪れるべくして訪れた苦境」

医師と話す機会があった。それによると私は鬱になる前の膨張主義で行くと間違いなく人格が分かれるか(要するに2重もしくは多重人格化のこと)鬱になっていたという。
私は全く意識してなかったのだがそれまでの心の持ちようでは当然の帰結だそうな。
私が「心が痛む」と感じるようになったのは本当にごく最近のこと。
それまではその概念はあったのだが「痛い」という概念が無かったので痛みと捉えられなかった。
気がついたときは私の心はぼろぼろになっていた。
学生の時期にこうなって運がいいのやら悪いのやら・・
6月25日(土) 「黒歴史」

誰しも人生で思い出したくないような冬の時代があると思う。
私は個人的にそれを黒歴史とか暗黒時代とか呼んでいる。
今までその時代は2回あった。
一つは小学校1,2年のとき。友人がいないことといじめにあったことによる。
そしてもう一つがこの4年半。すなわち鬱との同居期間である。
黒歴史の後には春の時代が来るのだが私は私という人間を25年以上しているからわかるのだがその黒歴史は間違いなく封印封殺される。
そこでの出会いも含めて一切の記憶を心の水滴に包んで奥深く闇の向こうに葬る。
大学院の友人で一人凄く優しい人がいたのだが彼女のことも封殺しなくてはなりますまい。
そうしなくては黒歴史の記憶が蘇って後を引くから。
少し損をしてるかな?とも思うのだが心の平安のためには犠牲もつき物なのかもしれないと納得させてみる。
6月26日(日) 「チーズはどこへ消えた?」

4年ほど前有名になった自己啓発本。
そして入院してるとき、好きな女の子が手紙で読んだと書いていた本。
当時、私はその本の含意がよくわからなかった。
ちなみにこの本は「変わることもしくは変えること」の重要性を説いたものと解釈している。
しかし今なら私はその「チーズ」がなんだったのかよくわかる。
それは「あの人」だった。
「あの人」のおかげで大学の友人との距離をぐっと縮めることができ、人間関係も空疎なものから充実したものへと(それでもまだ他の人から比べたら空疎だと思うが)変わった。
一時は少し彼女に対して心穏やからざる時もあったのだが今では感謝している。
会って感謝の言葉がいえたら良いのだが私のことだからきっと照れて何もいえないであろうからここに感謝の意を記しておく。
6月27日(月) 「どうして楽しいときは長く続かないのか」

時々書いてることなのだが私はかつて凄く毎日が輝いていた時期があった。
それは大学3、4回生のときであった。
特に4回生のとき、私は「今が人生で絶頂期だ」と感じていた。またそういう実感があった。
それほど毎日が楽しく目や手に触れるものは新鮮であった。
今までの、そして今の私からは考えられないハイテンションな時代であった。
しかし楽しいときは長くは続かなかった。卒業してみんながそれぞれに散っていき、大学も別の大学に移ってから私は失恋し深い孤独感に襲われるになった。そうして私は健康を損ね今に至る。
私は考えた。

「どうして楽しいときは長く続かないんだろう」
「どうして別れはこんなにに辛いんだろう」
「出会いがあるから、別れがある」
「出会わなければ、こんな辛い思いをしなくてすむのならば、もう誰にも出会いたくない」
「こんな思いはもうしたくないから・・」
「だから・・」
「だから・・」

「でも・・」
出会わなければ、あんなに楽しくて幸せに包まれることはなかった。
私は今では感謝している。一つは出会いに。
一つは楽しかった思い出に。
そしてもう一つは楽しかった思い出をくれた人に。
私は今なお色んな感情に翻弄されてはいるが少なくとも上に書いたように考えは変遷してきている。
6月28日(火) 「無理解」

私は精神的に参ってしまって4年半になる。最初の頃は病気の症状が苦しかったのだが最近もう一つ私を苦しめることがあることを認識している。
それは周囲の無理解である。
なまじ体は健康なので周囲には「さぼっている」「だらけている」と見えるらしい。
これがどれほど私を苦しめているか周りは知らない。
たぶん理解できないのであろう。
私の人間不信は相変わらず残っているがそれはこういうことを糧に成長する。
こういう苦しみはなった人でないとわからないだろうと思う。
6月29日(水) 「空洞化」

私はいつの頃からかわからないが人の目というか評価を凄く気にする人になっていた。
いわゆる「いい子」に執着していた。
そうして今まで来た結果、私は心理テストで「病的に」人の目を気にすると言う結果になった。
だから私は怒られたり批判されたり私のやり方を否定されたら自分が全否定されたように思う。
よく考えてみたら人にはそれぞれの尺度があってたまたまその人には奇異に見えるんだろう。
そうしてじっと自分を見つめてみたら本当の自分がどこにもいない。
自由爛漫に振舞う自分、人の目から解放された自分がどこにもいない。
いるのは内に籠もる自分とかおどおどした自分。
まさに「自分らしさ」の空洞化した姿であった。
私は私の性格運営を間違えたんだろうか・・?
6月30日(木) 「唯一神を讃える賛美歌」

掲示板では触れたことがあったがここでは触れたことが無いことに気がついた。
自称唯一神こと又吉イエス氏のことをなぜ知ったのか今では覚えていないし記録もないのでわからない。
ただ2ちゃんねる関係で知ったのは確かなようだ。
そこから「又吉イエス非公式サイト」を発見し、そこにあったのがこの「唯一神を讃える賛美歌」。
元ネタは「巫女みこナース」という名前のエロゲーのオープニング曲をm43氏という人が今の歌詞をつけて賛美歌にしたらしい。
初めて聞いたときはあまりの内容に大笑いしたものだ。
今後これを超えるくらい強烈なインパクトをもった曲は現れるだろうか。

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