あにまりあの徒然日記(2005・4月)
4月1日(金) 「年度初め」

今日から新しい年度が始まる。私の周りでも異動があった。
弟が転職した。公務員である。
もう一人、先に触れたが大学時代の友人で神戸税関に勤めていたのが島根に異動になった。
かく言う私もささやかながら新しい学生証が発行されたので早速定期を買った。
今まで財布と相談だった学校もこれで何とか格好がついたという感がある。
年度初めといえばお花見だが(勝手に決めた)、今日現在大阪では桜は咲いていない。
今冬が寒かった証左であろう。
4月2日(土) 「徒然日記」

この前、この「あにまりあの徒然日記」というタイトルが気に入ってると書いた。今日、試しに検索エンジンで「徒然日記」と打ち込んでみたら・・
出るわ出るわ。膨大な数の「徒然日記」が存在することを知った。
この「徒然日記」というタイトル、普通に思いつくレベルの名前なのね・・
少しがっかりしたのであった。
4月3日(日) 「花粉症」

この2日ほど、花粉がよく飛んでる様で普段なんともない私も目が痒くなったり鼻がむずむずしたりする。この症状、部屋にストーブをつけたりとか温度が上がると症状が出るようだ。まぁ、私の場合、生活に支障をきたすほどものでもなく、単なる不快現象で済んでるだけありがたいのかもしれない。
4月4日(月) 「3回目」

今年に入って4ヶ月目にはいるがその間にやってしまったことが3回。
そう、落し物である。
一度目は正月早々銀行カードを落とした。幸いこれは見つかった。
二度目は千円札。ポケットに入れてたら地下鉄までのわずかの距離の間に落とした。
これは見つからなかった。
そうして今日、三度目をやってしまった。
区役所に出す書類があってそれをポケットに入れた。ついでに銀行に行こうと思いカードの請求金額の書いた紙を持っていったのだが・・これが敗因だった。
気がついたら書類がない!
幸い窓口で手続きは済ませられたものの何と自分は注意散漫なんだろうと呆れたのであった。
4月5日(火) 「過去を生きる」

私は過去の時間を生きてるのかもしれない。それは私が鬱になったからそうなったのではなくそれ以前からの性癖である。
「過去を生きる」とはどういうことか。
誰にでも「あの時ああしておけば・・」とか「あの時は楽しかった」と思う時があると思う。
私の場合はそれに囚われて郷愁にふけってばかりいる。
そうして結局は今現在をないがしろにしている。
きっと「今」が「過去」に変わった時、後悔なり郷愁にふけるなりするだろう。
なら止めたらいいという話なのだが頭で分かってることと心で分かってることは違うと思っている。身近な例ではこうしたほうが利益になるのに心情的に不利なほうを選ぶとか、かな?
私は頭では色んなことを理解しているつもりである。ただそれを心に反映させるのが出来ないだけである。
私の心は凄く保守的なのかもしれない。
まぁ、私も「現在を生きた」ことがあった。大学3,4回生の時がそれであった。
あの時は恋という麻薬を手にし、毎日がそれはもう輝いていた。やってることとやりたいことの歯車がかみ合っていた。
しかし恋という麻薬が切れ、失恋その他色々な事情によって「糸が切れて」以来、私はまた「過去を生きる」ようになってしまった。
ダメなのは分かってるんだよ、変えられないだけなんだ・・
4月6日(水) 「ありがとう・・」

このタイトルだけ見たらドキッとされる方がいらっしゃるかもしれないですが何でもありません。
これはKOKIA(コキア)の「ありがとう・・」という曲からタイトルを頂戴しました。
1月末にこの曲をフラッシュでフルコーラス聴いていたく感動。CDをアマゾンで購入しました。
さて、目を閉じたらこの「ありがとう・・」という言葉をかけるべき人がたくさんいることに遅まきながら気がつき、その人たちへどんな文章の手紙を書こうかと考えて中々眠れない日々が続いたことがありました。
目を開いてたら視覚情報がそういう思考を断ち切るのですが目を閉じたらその考えに専心します。
私は好きになった人が手紙の返事をくれなかったりしたことを憎んだ時期がありました。しかし、よく考えてみたらそれは私の片恋であって彼女は多分私のことはどうでもない人に分類してたんでしょう。一方的に恋愛感情をぶつけてた・・若かったなぁ、あの時は。
といっても高々7ヶ月ほど前のことなんですがね・・
今なら言える、彼女に。「大学生活に彩を添えてくれてありがとう」「私が変わるきっかけになってくれてありがとう・・」
私は病的状態になってから多くの人に心配をかけてきました。しかしいつの間にかその気使いが「当たり前」に感じてしまってる部分もありました。
正直反省してます。
私という人はあまりに未熟です。どうか見捨てずに見守って下さい。
4月7日(木) 「桜咲く」

先週はまだ蕾ばかりだった桜だがこの1週間の暖かさで急に花を開かせつつある。
大阪ではもう5分咲きを超えたであろうか。
私が学校に通うようになって一週間になるが正直辛いものがある。
そりゃ毎日寝てばかりいた生活から急に起きる生活に変わったのだから当然なのだが。
幸い、よく眠ってるおかげで春先の妙な眠気はあまりない。
それが救いであろうか。
まぁ、個人的にはぼちぼちやってるつもりである。
果たしていつまでこのマイペースを守りきれるのだろうか・・少し不安である。
4月8日(金) 「花粉症2」

大阪では今日桜が満開になったそうだ。先週はまだ全然咲いてなかったのに・・
大阪は日曜日天気が悪いそうなので明日が花見日和ということになるだろうか。
さて、今日はどうやら「当たり日」だったようだ。
普段ならなんともないレベルで収まってる花粉症だが今日はくしゃみが出るし目も充血した。やむなく目薬を差したが・・目頭が泣いてもいないのに熱を持ってる。
実に不愉快である。ま、こんな日は年に2,3日あるくらいなのでまだまだましなほうだとは思うが。
4月9日(土) 「満開」

京都でも大阪でも桜が満開になった。
明日は天気が悪いそうなので今日、どっと人が繰り出したようでどこも人がたくさんいた。
参ったのは学校に行く電車。普段なら余裕で座れる特急列車が満員。通勤電車みたいでどっと疲れた。
それにしても何故日本人は桜が好きなんだろう?
お隣の韓国や中国でもこんなに桜を愛でるのだろうか?
4月10日(日) 「休日」

私は学校は日曜日が休みである。他の日は原則的に学校に行っている。
さて、私は休学期間中の「眠る」生活から「起きる」生活に180°転換したわけだが当然のごとく体は中々ついてこない。
就職試験の勉強にあてようと思っていた特急の車内でも眠ることを優先してとにかく「疲れない」ようにしている。
過去のパターンから言うと不調の前には必ず「寝てもしんどい」とか「常に眠い」という症状が出ていたからである。
そんな私に週に一日の休日は実にありがたい存在である。
何もしなくていいことのありがたさはやはり「何かをしている」状態でないと味わえないものだと思った。
4月11日(月) 「10日」

4月に入って10日が経った。
昨日の雨で散ると思っていた桜もまだ結構花が残っている。
何か一月前まで寝てばっかりいた生活をしてわけだが本当に信じられない。
くると思っていた昼の眠気もあまり来ず、何とかやれている。
しかし所詮はまだ10日である。
大いに警戒して体調の管理をしていきたいものである。
というか今日は久々のスランプなのね・・
パソコンに向かっても全然書くネタが思いつかない。
昨日の時点では頭に思いついてたんだけどなぁ・・
メモ帳が必要なんだなぁと思った。
4月12日(火) 「疲労」

医師に疲労がたまってきてるといわれた。ここで言う疲労は肉体的なものではなく精神的なものである。
確かに昨日辺りから気分が優れない。
でも前に書いたように全ては軌道に乗るまである程度しんどいものだと思う。
今が正念場なんだと思う。
まぁ、これも7月頃までの我慢だと思う。その頃になったら多分今みたいな妙な事務仕事や試験も一段落するはずだから・・あと3ヶ月、あと3ヶ月・・
4月13日(水) 「眠い」

ここ数日、よく寝てるのに眠い。これは危険な兆候なのだろうか・・?
確かに不調の前には必ず眠いとかだるいという症状が出てくるものである。
しかし私はまだ参るわけには行かない。
4月が始まってたったの2週間。
それだけでくたくただなんておかしい。
昨日も書いたが最初の3ヶ月さえ乗り切ったら身辺は良くも悪くも落ち着くはずである。
3ヶ月といってるが別にこれといったイベントがあるわけではなく単なる目安である。
だからひょっとしたらこれが一月になるかもしれないし半年以上になるかもしれない。
私は極端なマイナス思考なので3ヶ月以上の目安だと精神的に参るので3ヶ月を目安にしてるだけである。
今日も文章がまとまらなかった・・疲れてるのかな?まさかねぇ・・
4月14日(木) 「プレイバック2004.4.14」

相変わらずネタがないので(というより書く時になると抜け落ちてる)昨年の今日は何をしていたか当たり障りのない程度に書くとしよう。
去年の4月14日水曜日。日記によるとこの日は自然環境市民大学。記憶がが正しければ大阪城でタンポポの調査をしたと思う。寝不足でしんどかったとあった。
思うんだけど日記帳の日記もこの徒然日記もそうだけど調子がいいときは文章が次から次へと出てくるくせに不調の時は本当にショート・コメントが書かれてるだけである。
日記には一々今日は調子がよかったとか書かないので日記からその日の調子が垣間見えたりする。
4月15日(金) 「私の裏には何がある?」

私の裏にはもう一人私がいる。私といってもそれ(名前がないので便宜上「それ」と呼ぶ)は私とは少し違う。
いうなればマイナス部分の結晶とでも例えようか。
それには性別はない。私の理想とする中性である。
そして思考に極めて強烈な負のバイアスがかかっている。そして人間嫌い。
その影響はそれから見たら裏に当たる私にも影響を与えるほどである。
今日は私の裏を掘り下げてみよう。
それは気が付いたら存在していた。私はそれを憎み、毛嫌いすることで自分を正当化出来た。
そう、逆説的にそれは私の存在する証明のようになっていた。
しかし年月とともに心が成長し、私もそれも成長した。
いつの間にかそれは私の手に負えないモンスターと化した。
そうしてその極端なマイナス思考が死を望む心と一つになって私を飲み込もうとしてる。
裏が、表に出てきているのである。
表のほうも最近色んな感情が雨後の筍のごとく出てきて混乱状態にあるのでそれからしたらきっと侵攻はしやすいであろう。
私は裏がなくてもやっていけるがそれは私の心の中で知覚されていないと存在できない。
そう、裏とかそれと読んでるのは他ならないもう一人の私である。
私は二重人格なのだろうか・・?
4月16日(土) 「記念日」

今日で毎日WEBに日記をつけはじめて5ヶ月目に入る。なんだかんだ言いつつもよく続いてるものだ。そう、4ヶ月前の16日から毎日日記をつけてる計算だ。
そこで毎月16日を(毎日日記をつけてると想定して)記念日にしようと思う。
ちなみにその記念日の名称はまだ決めていない。
というか、これを書いてるのは朝である。
朝に日記を書くなんて・・ま、これは日記という名のエッセイだからいいんだけど。
アリの観察日記もこんな風につけられたらいいんだが・・
一応準備は出来ている。
ただページを作って写真を編集して・・というのが時間がかかるので時間のたっぷりあるときにしよう・・と思ううちに今日まで来てしまった。
アリの観察日記も始動させないと・・
4月17日(日) 「だるい」

今日は休みである。しかし休みの前の日はつい気が緩んで夜更かしはするものの、体の目覚まし時計のためにいつもの時間に目が覚める。
そんなわけで疲労を回復させようと午前中は眠った。
昼から少し回復して大阪北部の猪名川河川敷にアリを探しに行った。
本当は一日寝てたいのだがありの女王というものは時期をはずすと採集が困難になるのが多い。そこで採集に行くのである。私は別にこれを苦行と思っておらず楽しんで行ってるし、歩くことでリフレッシュしてる部分もあると思う。
でも来週はどこにも行かず眠る予定。
何か久々に「日記」らしいことを書いたなぁ。
4月18日(月) 「欲しいモノ」

私には今、特に欲しいものはない。敢えて言えばパソコンの修理代くらいであろうか。
昨年11月、交通量調査を引退すると決意した時から約半年、欲しいものは幾つかあったがヤフーオークションを利用したりしてなるだけ自分の懐が痛まないようにしてきた。
また、モノを欲しがる気持ちを封印するために、欲しそうなものがありそうな場所(本屋とか)にはなるべく近づかないようにしてきた。
おかげで昨年11月から何もしないことに専念でき、精神力も昨年の今頃と比べて遥かに上昇したと思う。
そんなわけで今、欲しいと渇望するものは特にない。幸せなことだ。
ま、「欲望」は言い換えたら人を動かす力でもあるから私は動かなくなってるのかもしれないが。
4月19日(火) 「我慢」

今、我慢の時だと思う。正直言って雑事が凄く多い。
復帰して3週間も経たないうちにこんなに忙しくなるとは思わなかった。
気ぜわしい。
でも今が一番しんどい時だと思う(肉体的には)。
前にも書いたが3月までの「寝てばかり」の生活から「起きてばかり」の生活に転化したのだから当然の帰結かもしれない。
何をするにも時間が足りない。
パソコンにたまってるテレビもその日の分を消化するので精一杯である。
でも裏を返したらこれは「充実してる」ことになるのでは?
と思ったりもする。
最近、忙しいせいで徒然日記の文章をゆっくり推敲(すいこう)できなくなった。
前は時間があったのでネタが深いところから浮かんできたんだが最近乱流気味でネタが表に出てこない。
むむむ・・・。
4月20日(水) 「Mail」

一昨年まで私は実によくメールをだしていた。特に入院する前とか退院後しばらくは毎日誰かにメールを出していた。
理由はいたってシンプル。返事が来たら嬉しいからである。
しかし色々思うところがあって昨年(だったと思う)思い切ってメールを事務内容にほぼ絞るようにしてみた。こんな判断をする自体、私は「変わった」のかもしれない。
するとすごく楽である。ま、時々孤独感に苛まれる(さいなまれる)ことはありますが・・
メールソフトを見てみたらメールを出さない最長期間は14日である。
去年も4月は10通しかメールを出さなかったが今年は4月は20日現在、出したメールは3通。
普通の人はどれくらいメールを書くんだろう?
ま、私は「書く」ということが好きなのでかつてメールに書いていたことが徒然日記に名前を変えて書くことをしてるわけである。
さて、私はメールソフトを二つ使っている。一つはアウトルックexpでもう一つはマイナーなソフトでメールが来たら知らせてくれる。そのソフトでまずメールを取り込んでそのあとアウトルックexp.で取り込むのである。私の気分がどへこみだった2003年5月から7月までのメールがアウトルックexp.にはないのでどんなメールを送ったのか失われている。しかしサブメーラーのほうに受信メールのみあったのでみてみた・・。
内容はともかく酷いもんだ。でも「あれ」を「酷い」と思えるだけ精神は「まとも」に近づいたのかもしれない。何を持って「まとも」と呼ぶのかは微妙なところだが・・
4月21日(木) 「sleepless」

最近、よく眠れないような気がする。いや、睡眠時間は9時間近い日もあるだのが一向に疲れが取れず行き帰りの電車では寝てばかりいる。
気分が最悪になった一昨年の日記を読み返すと同時期に同じような症状が出たと書いてあった。あそこまでひどくはならないだろうと思いつつ、そこそこ「健康」だった精神状態が急速に崩壊した一昨年のこともあるし油断がならない。
というかいい加減この「病気」の影に怯えることに疲れてきた。
なら一気に攻勢をかけて治れば良いというだけの話だが私は病気と健康体の中間にいるようなものだし(だから病気とも健康ともどちらともいえる)、薬では治すことは出来ないといわれてるので(症状を一時的に抑えることは可能)なんともいえない。
古人は「春眠暁を覚えず」といったそうだがこの睡眠不足のような感覚が「春眠」なのか「病の萌芽」なのか分からない。
4月22日(金) 「試験」

前置きしておくが、これは夢の話である。なるだけ記憶にある範囲で書くことにしよう。結構ぶっ飛んだ夢だったので・・

試験を受けた。試験の名前は「天使試験」だったと記憶している。
私はその中でライバルたちと時には力を合わせて難題を解いたり、タイムを競うべくライバルと競争していたような気がする。
ここでキーワードとなるかもしれないほど私が驚いたこと。
私が性別が無性なのである。
私はかねがね男性、女性という区別が嫌いだった。
男らしいことや女らしいことというが私はそういう枠が嫌いであった。
話を本題に戻そう。
性別はないものの私はどちらかというと女性っぽいほうに偏っていたような気がする。
コンクリートのような建造群の中に水がたくさん溢れてるところをを泳いでいたら上からピンクの液体を出すタコのような物体が降って来て背中に張り付いたような気がする・・
というところで目が覚めた。
この試験結果はついぞ見ることはなかった。
さしずめ私は「天使試験」はリタイアであろうか。
天使か・・私にはなれないだろうなぁ。
4月23日(土) 「発信履歴」

私の携帯電話は30件、発信履歴が保存できる。
それを見てみたら、何と去年の5月15日の発信が残ってたりする。
これは私が電話をかけてないということではなく単にその日以降その人に電話をしていないだけでこちらから電話をかけたら新しい日付に変わる。
分かりにくい説明なのでもう少し。
Aという人に1月1日に電話をかけたとする。そうするとまず1月1日に発信したと残る。
それから3月31日にその人に電話をかけたとする。
そうすると1月1日の分が消えて3月31日の分のみ残る。
要するに同一人物にかけた電話は一番最新のもののみ履歴が残るということ。
昨年5月の発信が3人、それから5ヶ月飛んで10月のオフ会のときにかけた人の履歴も残ってる。
でも私って本当に携帯電話を使ってないなぁと苦笑させられる事象である。
4月24日(日) 「未知の領域」

いよいよメールを最後に出して15日目に入った。
前述のとおり、私の最長メールを出さなかった期間が14日なのでいよいよ未知の領域に入ってきた。
私はメールを出すことが好きだったのでかつての私からは考えられないことだ。
まぁ、友人からのメールも来ないし、受信メールもメルマガとかばかりで返事を出す必要もないし私としてはこの記録がどこまで伸びるか、メールを出したいという誘惑にどこまで耐えられるかという点が焦点になってこようか。
まぁ、私も依怙地だからねぇ、メールを出さんことに固執して案外PCメールは中々出さないかもしれない。この期間も携帯メールは時々出してるので完全に外界と孤立してるわけではない。
4月25日(月) 「HP創世記」

かつて掲示板で書いたこともあるが今日はこのHPの記録を見ていこう。
HPを作ろうと思ったきっかけ。それはリンクの木直木公氏のサイトのリンクに神戸大学の授業科目・担当教官・単位のとりやすさを書いたサイトがあった。
私は大学時代周囲が呆れるほど授業を受けて単位をとったのでこれは!と思い当時インターネットエクスプローラについていたフロントページエクスプレスというソフトで作ってみた。
当時はhtmlの知識も皆無でカウンターは設置しては動かない、掲示板はレンタルなのである程度の期間書き込みがないとアカウントが削除されたりして中々大変だった。また、当時は大学の授業の評価という点に重きをおいてアリやその他のことはおまけ程度だった。
ま、私がこんな授業科目評価のサイトを作れたのも私が他大学の院に行ったからに他ならない。
2000年10月のことであった。
色んな試行錯誤をやって消えていった企画も多い。また最初は近大の友人向けのごく「内輪」なサイトであった。
掲示板が軌道に乗ったのがその年の終わり。それから2004年4月の掲示板データ消失事件まで1400件近い書き込みがあったと記憶してる。
そうして昨年は飛躍の年であった。まず見よう見まねながらCGIで掲示板を作った。
これがレンタルでなかったので保存件数も意のままで1000件保存にした。
最初はアイコン付きの掲示板がよかったのだが設置できなかったので使い始めたASKA−BBSだがログ保存の観点からしたら余計なものがないので実にやりやすい。
昨年はアリの話題で大いに盛り上がった。
次にCGIを使おうと思ったのがカウンターの設置。これもうまく解説してるサイトがあって私の技量を超えたものが出来た。
ま、一回0にリセットされたことがありましたが・・
それから今年。ドメイン取得という昨年の自分からは考えられない境地に達し、CGIでアクセス解析をつけた。
昨年までは来訪者は大学の人が中心であったが今ではアリ関係のHPになっている。
ま、後進の方々に追い越されるのを横目で見ながらであるが私は今のスタンスが気に入っている。日記あり、写真あり、アリの話あり・・
色んなコンテンツが「色」であろうか。
4月26日(火) 「緊張」

私は今、緊張してる。というのも明日は約2年ぶりのゼミ発表なのだ。
明日のは論文紹介ではなくこれまでの実験経過と今後の展望を発表するのだが実に緊張する。
私は昔から人前で喋るのが苦手であった。
そんな私が発表なんて・・
2年前より、いや、年々弱体化が感じられるこの心でやり切れるだろうか。 
ま、今はこう書いてるがいざやってみたらどうということはなかったというパターンになるんだろうと思う。
以前の日記で書いたが私はどうも頭で考え過ぎて行動できないという悪しき循環に陥ってるようである。
この思考回路が「改善」されたとき、私の殻がまた壊れて新しい自分になるに違いない。
しかし私は自分が「変わる」ことに凄く抵抗がある。
多分私は頑固で偏屈なのであろう。いつからだろう・・昔はもう少し柔軟だったと思うのだが・・
4月27日(水) 「不安」

これは一体どこからやってくるのだろう?
私はこの不安というモノと長い時間をすごしている。
当たり前だが私は他の人にはなれないし他の人の心も分からない。
だから他の人がどうやってこのモノと付き合ってるのかよく分からない。
今日の発表は不安がってた割には何とか切り抜けることが出来た。
そうしたらこの不安にかけたエネルギーは一体どうしてくれようか?
抗鬱剤も緊張には効果がなかった。
薬で治るモノではないらしい。
むむむ・・
4月28日(木) 「早すぎた成功ーtoo much ealry successー」

これをどういう人が読んでるのか分からないが、読者に問いたい。
「貴方は人生の絶頂期を迎えましたか?」

私は大学時代という若すぎる時期にそれを迎えてしまった。
確かに色々精神的に問題点があったことは認める(極端なマイナス思考など)
しかし、私の大学生活は今の私には眩し過ぎるほど輝いていた。毎日が楽しかった。
恋という麻薬を手にしてからは嫌いだったはずの自分も好きになろうと努力した(意思を統一は出来なかったが)。
大学を卒業して環境ががらっと変わり、なれない環境での苦労や失恋等があって私は大学時代が人生の絶頂期だと思うようになった。
精神科医の言葉を借りたら失恋はココロが壊れるほどの重度のショックではないらしい(中くらいの強さには相当するらしい)。そう考えたら私のココロは脆弱(ぜいじゃく)だったのかもしれない。
私は今の生活をあまりよく思っていない。
確かに精神的サポート、物質的な面においては何の不足もない。
しかし灰が燃えないように心が本気にならないのである。
この数年、色々なものに手を出しては投げ出してきた。
それは新しい自分を探すためであったのだが今のところ何の収穫もない。
以前はしたいことは続けることが何の苦痛でもなかったのだが今の私は興味を持ってもすぐにそれが苦痛になってしまう。
困ったものだ・・
4月29日(金) 「和(わ)」

かつての私は人にひたすら合わせることを命題としていた。
波風を立てないよう、目立たないよう・・というのが私のやり方であった。
これがタイトルの「和」の意味。
しかし私は変わった(良い方か悪いほうか分からないが)。
こうやって日記に論争のネタともなりかねない記述をし、昨年冬は見知らぬ人と生き死にについて掲示板で論争した。
かつての私からは考えられないことだ。
断っておくが私は争いが好きなのではない。
批判には凄く弱いし自説に固執するあまり柔軟性が失われてる今、危険なことである。
だから私は波風を立てないようにしていたかつての自分が凄いと思うし今の自分はお喋りに過ぎると考えていて好きになれない。
4月30日(土) 「風邪」

昨日、学校に行ってふと気が付くと喉が痛くなって鼻が詰まってることに気が付いた。
普通、風邪は寝てる間に寝冷えしたとかで引くことが多いらしいが私は起きてる間にでも引いてしまう。
私の風邪には2パターンある。
一つは高熱(39℃以上)が出て熱が下がると咳も何も残らない風邪。
もう一つは熱(38℃まで)が出て熱が下がった後咳が長い間出るもの。
12月にかかった風邪はパターン2であった。
季節の変わり目は体調を崩しやすいというが全くそのとおりだと身を持って知った。

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