2月1日(月) 「115円」

唐突だが、これ、なんと読むかお分かりだろうか。「ひゃくじゅうごえん」ではない。
語呂合わせである。答えは「いいご縁」である。
以前に伊勢神宮に参拝した時に隣にいた人がこの話をしていて115円をお賽銭として投げいれていた。
それ以来私も115円をお賽銭に使う様になった。
ご利益は・・?どうなんだろうね。
2月2日(火) 「2222」

今日は「平成22年2月2日」である。2が4つ並んだ。
記念切符が盛況だというニュースを目にしたが私にとっては日常と変わらないいつもの一日。
ただその日にちという「入れ物」が2のぞろ目だというだけだった・・
そういえば去年は宝くじで111111ひいてながらグリーンジャンボの1000円以外は壊滅だった。
去年はそれで運を使い切った?
いや、もしそれなら悲しすぎるぞ・・
2月3日(水) 「悪寒VSカイロ」

私の悪寒がした時の対処法を書くことにする。
これを思いついたのは高校の時だった。定期テスト期間中、勉強をしていたらやたらと悪寒がしてたまらない。かといって熱が出て本来の実力を出せなかったり、テストを受けられなかったりしたら・・
ということを考えていた時、コロンブスの卵とも言うべきものが頭に浮かんだ。
「悪寒がしてる部分を温めよう!」
悪寒の噴き出すポイントは肩甲骨の間、背骨付近であるようだ。そこに「貼るカイロ」を貼った。
おかげで全く熱が出なかった。
それ以来この方法は家族にも広まって悪寒対策の筆頭になった。
ところで、これって何か裏付けあるんでしょうかね・・?
私や家族には割と効いてるように思うのだが・・
2月4日(木) 「適期」

農業用語で「収穫適期」という言葉がある。文字通り、収穫に最適の時期のことを表す。
さて、物事にはなんでも「適期」というものがあるんじゃないか?と思う様になった。
その最たるものが「ツキ」と呼ばれるラッキーであろう。
この「ツキ」、保存ができない。
ついているときに何か行動を起こすとうまくいくが少しでもためらったりしたらもうそのツキはどこかに行ってしまって普段通りに事が進んでしまう。
私が思うに、「・・・したい」と思うその瞬間、まさにそれこそがその何かをする「適期」だと思うが、いかがだろうか。
2月5日(金) 「鼻水が終わらない。」

1月末から風邪をひいている。と言ってもこの風邪、いつもと違って熱や咳はない。
鼻水がとにかく出る。
一昨日だったか夜にティッシュ2枚分黄色いドロドロの鼻水がでて、それで終わったと思っていた。
しかし、それ以降も何事もなかったように出る鼻水。
常に鼻が詰まってるわけではないのだが、溜まるときは急速にたまってくしゃみなんてしようものなら大惨事必定。
早く治さないと・・とは思うが風邪薬を飲んだ時、胃が荒れたのかえづく症状が復活しかけたので風邪薬は飲んでいない。
ひたすら自然治癒に任せている・・
2月6日(土) 「もう、「春」なんだね。」

暦の上では立春を過ぎ、春である。
しかし今朝は小雪が舞い、寒風が強く吹くとても寒い一日だった。
私はかねがね毎年大寒からバレンタイン辺りまでの約3週間が1年で一番寒いと思っているが、皆さんはいかがだろうか。
来週からは曇りや雨が多くなるものの気温が上がるという。
今冬は暖冬だと最初言われていたが、蓋をあけて見たら「普通の冬」だったと思う。
さぁ、この「眠り」の季節が終わると草木や虫たちが一斉に萌えい出る。
早く暖かくならないかなぁ・・
2月7日(日) 「夢と物語」

夢を最後まで見ていたら大抵一巻きの物語になっていることに気がついた。
この前も起きたらそれはみごとな物語が頭の中に出来上がっていた。
ところが、問題がある。
夢言語で書かれたものは非常に儚く、記憶をロックしておかないとすぐ忘れてしまうのだ。
現にその素晴らしい物語もすぐに忘れてしまった。
また、私は最近どうもその物語から教訓めいたものを受け取っているらしい。
しかし何も覚えていない・・
とても勿体ないように思う・・
2月8日(月) 「精神的低迷?」

最近は落ち込むこともあまりなくなり、落ち込んでも何とかやり過ごせるようになった。
そういう意味では私は「鬱」という影響圏からは離脱ができてきているのかもしれない。
しかし、最近の私は精神的に低調だと感じることがある。
それは、文章だ。
精神エネルギーが枯渇すると思うように文章が書けなくなって書いた文章も思ったことを全然表現できていなかったりする。俗に言うスランプという奴だ。
これはまさにバイオリズムのようにきれいな三角関数のグラフを描くのでやがては最下限に達して上昇に転ずる。ついこの前まで文章が全く書けなかった。
しかし、ここ数日ようやく少しましになってきた。
脱出法は少しでもかき続けることですかね・・
2月9日(火) 「オルゴールの盲点」

携帯電話の着信音をオルゴールの音にした。とても聞き心地がいい。
しかし盲点があった。
静かすぎて鳴ってることに気がつかないのだ。
ポケットに入れてるだけで気がつかないこともあった。
かといって着うたはうるさいし、メロディーもいいのがない。
そんなわけでしばらくオルゴール着信音は続くのだった・・
2月10日(水) 「文章スープ」

私の頭の中にあるスープ。今まで読んだすべての本の表現が溶け込んでいる。そして何かの折に表現をぽんっと頭に落とす。俗に言うひらめきだ。
多分これ、無意識まで続いている。
そうでないとずっと昔の何で読んだかも忘れた表現を思いだすこともないだろうから。
個々や物語を書くときにこのスープを文章の中に数滴使っている。
いいスパイスだ。
2月11日(木) 「落ち込みと歯車」

落ち込みにはある要素があることが分かった。
それは「何かよくわからないがある波長とある波長がピタッと合わさると落ち込む」のだ。
物事にも同じような事が言えるのではないかと思う。
私は実は昨年末からスランプでやることが全部裏目に出ている状況にある。
たとえば面白そうな話を見つけても1日遅れで締め切られていたり、美味しい話には定員オーバーだったり・・
正直、心が折れそうなのだが、折れたところで事態が好転する要素が全くないので修繕しつつ持たせているのが現状だ。
はぁ、うまくいかない時って本当に何やってもうまくいきませんね・・
2月12日(金) 「あまりに畏れ多くて読めない本」

私は、考えもしなかった。この世に、この世界に、「畏れ多くて読めない本」があるということに。
そう、そういうオーラをまとった本が私の手元にあるのだ。
購入は去年の8月だったと思う。タイトルに興味を惹かれて購入した。
読み始めて思った・・この本、きちんと襟を正して読まなきゃだめだ、と。
少なくとも寝転がって読む類の本ではない。この本は私の精神や考え方のありように変化を及ぼす可能性がある。そういうオーラが文中からひしひしと漂ってきた。
結果、途中で読めずになって積む・・ということになっている。
その、「あまりに畏れ多い」本のタイトル、それはナポレオン・ヒル著「思考は現実化する」である。
2月13日(土) 「共存する二つの時間軸」

私の精神の時間は2つあるらしい。1つは2002年で止まった時間。もう1つは2004年から時を刻んでいる時間。
前者は大学時代までの一般的な時計で普通の「精神の時」である。
それなら後者は何だという話になるが、2004年から動いてるのはアリを中心とした時計である。
何回か記述したが2004年10月に初めてアリのオフ会というものが行われた。
それをきっかけにして作られた時間軸でこちらは正常に動いている。
この2つ、非常に似ているが交わらない。
だから私はここを突っ込まれると説明するのに苦労する。現にこの説明文で伝わっているか大いに不安を持っている。
伝わりましたか?
2月14日(日) 「animaria.net5周年記念日」

このHPがこのドメインを取得して今日でちょうど5周年だ。
世間はバレンタインと言っているが私にとってはそっちよりもこのドメイン取得記念日としての色合いが強い。
思えばこの5年、色々あったが順調に発展できたと思う。
それにしてもanimariaというドメイン名は.comが私が取得後押さえられたがそれ以外はあれから5年経つのにフリー。
面白いことにanimaliaという単語ではかなり色々なサイトがある。
まぁ、生き物の分類の基礎で動物界を「animalia」とか言った覚えがあるので生物好きの人が付けてるんだろうと思っている。
2月15日(月) 「今井ラナの徒然日記(32)ー目下調査中ー」

さて、私は掲示板にさらなる改良を加えようというか付け加えたい新機能があります。
「2ちゃんねる」では毎月1日に名前の後ろに(名前はいれなくてもいいんですがね、あそこは・・)!omikujiと!damaと打ちこむと御神籤とお年玉が表示されるプログラムがあります。
それを入れようと検索を重ねてるんですが、なかなか見つかりません。
でも実際、これをいれたらテスト投稿が多発される事態も予想されるので、今の状態がマックスなのかな、とか思ったりしています・・
2月16日(火) 「私が変わったところーヘッドフォンに関してのことー」

私は、2003年以前と以降とで性格やその他することに差異ができている。
その中でも今回はヘッドフォンを取り上げる。
以前の私は音楽は必ずヘッドフォンで聞いて外に音が漏れることはなかった。
聞いてる音楽を聞かれるのがいやだったからだ。
それが今では大音量でヘッドフォンなしで音楽を聴いている。
まぁ、別に聞かれてもまずい曲があるわけでもないし・・というわけでそこを少し「胸もとを緩めた」。
ただ、これのおかげでメール着信音や電話の着信に気がつかないことがあるのは認める・・
2月17日(水) 「皸←これ、何と読むか分かりますか?」

答え。「あかぎれ」です。
パソコンやワープロを使うと難しい漢字が一発変換される。
事実私がこの漢字を知ったのもたまたま「あかぎれ」と打つと最初にこれが出てきたからに他ならない。
便利なんだけど、書く方には至って応用されない。
「読めるけど、書けない漢字」が多い人って結構いると思うが、それにはこの一発変換が関係してるかも・・
2月18日(木) 「改造版ロマサガ3」

ずっと前に改造ゲームの話をしたが、今回はその話。
スーパーファミコンのRPGで「ロマンシング サガ」シリーズがある。
この3を改造したのがこれ。
どう改造したかというととにかく凄い。もう別のゲームでしょ、これ。
術も増えているし、敵キャラがとにかくユニーク。「ロマサガ」シリーズ1,2,3の最終ボスは出てくるし、トーナメントにはゲームボーイ版の「サガ 秘宝伝説」のボスの「神」が出てくるし、仲間にいれるキャラクター次第では「サガフロンティア」の「アセルス」というキャラクターでのラスボス「オルロワージュ」は出てくるし・・
とにかく盛りだくさん。その代わり、割を食ったのが俗に言う雑魚モンスター。
殆ど戦わずにボスと戦うことがメインとなってるゲームらしいので、動画を見ても通常戦闘が殆どない。
やってみたい・・
でも、最終ボス「サルーイン」はロマサガ1でのラスボスなのだが、このバージョンではリメイクされた「ミンストレルソング」版のサルーインで(第一形態はスーファミのドット絵だが第二形態は職人さんによるオリジナルだろう、オルロワージュもドット絵を職人さんが描いたと思われる)見ていて攻撃が凶悪すぎる・・
私には「無理ゲー」っぽい。
ニコニコでもユーチューブでも「ロマサガ3」と打てば改造版の動画を見られると思う。
でも元ネタ分からないと・・ね。
2月19日(金) 「やっぱり水だね。」

間違いない。私は体内の水分が少なくなるとイライラしたり、落ち込んだりしたりするということが分かってきた。
なぜかは分からない。
しかし、私は冷たいお茶や水をどばどば飲んでいるときは比較的安定してるのだ。
先週、少し不安定になった時、気が付いたら水をあまり飲んでいないことに気がついた。
そして意図的に水を摂るようにしたら・・
今週になって好調に戻った。
でも、なぜに水・・?
2月20日(土) 「ハロゲンヒーター2分の1」

私の部屋には、ハロゲンヒーターがある。
400Wと800Wと2種類で強さが調節できる。
400Wと800Wは2本のコイルのようなものを熱しているようで、400の時は1本、800の時は2本が赤くなる。
最近、このうち1本が点かなくなった。800に調節してもだめ。400分の熱量しか得られない。
しかし・・今は冬も終わろうとしている。
次の冬の訪れの時でいいんじゃないか?という想いが出てきた。
・・・「先送り」だよね・・
2月21日(日) 「LEDライト危機一髪」

アリの観察に使っているLEDライトの電池が弱ってきた。
電池を出そうとした時、問題が起こった。
さかさまにしても、ゆすってもトントンしても電池が出てこないのだ。
それでも手前2つは座布団の上でトントンして容器の入り口に来たところでピンセットで挟んで取り出した。
・・?なんだかねちゃっとしたものが付いている。奥にあるものはどうしても動かないので近くの電器屋へ。
結局そこでも出ずに店員さんが電動ドリルの先にねじを付け、そのねじをタコ糸でくくってドリルの先のねじで電池に穴をあけ、それを引っ張って出してもらった。
店員さんの話では電池は長い間置いておくと塩を吹くことがあってそれじゃないか、というものだった。
2月22日(月) 「身軽になった。」

私の物置にはCDが山となっていた。非常に邪魔でどうしようかと思っていたら、ラナ女史が「売れば?」と言ってきた。
そうだ、売ったらいいんだ!
全然そっちに気がつかず、物置の肥やしになっていた。
ラナさんお勧めのネット専門店で引き取ってもらった。
大した金額にはならなかったがまぁ、良しとする。
2月23日(火) 「アマゾンギフトカード」

昨日、書いたネット古本屋でそれを紹介したらアマゾンギフトカードをくれるとあったので、ラナさんのブログで紹介させてもらった。
ラナさんに場所は借りたものの、売ったのは私なので私にアマゾンギフトカードが送られてきた。
オンラインのギフトカード。最初、1000円の本を買おうと使った・・つもりだった。
しかし、何をどう間違えたのか、使われていなかった。
そこで別の書籍を買う時に使った。
今回は使えた。
図書カードのように実体のあるものの方が楽だ・・
2月24日(水) 「私の行動原理ー主役は、誰?ー」

私は、別に誰かに拘束されているわけではない。私のことは、私が決めている。
そう、ここまでは他の人と同じだと思う。
以前、私は色々な精神の動きや考えそのものを擬人化していると書いたことがあった。
それを主体としてみれば、私を動かしているのは「心の民」の「民意」であって、私は単純にそれを実行するに過ぎない役割になってしまう。
・・?
だとしたら、私を動かしてるのは誰なんだろう。
私?それとも「心の民」?
これはどうも一種の思考ゲームになってるような気がする。
と同時にこれを考えると混乱するので、なるだけ私以上考えを細分化しないようにしている。
2月25日(木) 「レイン」

心はここ数年スカッと晴れたことがない。いつも驟雨(しゅうう)が降り注いでいるような状態である。土砂降りにはならない。
私の心はいつからこんな雨ばかりの天気になったんだろう。
鬱を患う前、10年前のメールを見ていたらまるで別人が書いたように明るい。
気が付いたら、この心は雨ばかりになっていてそして悲しみが悲しみを生み出すシステムを作っていた。これに「ルナ」がどう関わったか、私は知らない。
でも、「ルナ」自身、自分を見失っていた時期が長かったのでひょっとしたらこれは鬱そのものが変化したものではないか、とも思う。
確かに鬱診断の一つに「心が悲しい」という項目がありますけどね・・
2月26日(金) 「「大吉」が、出ない・・」

私のパソコンにはデスクトップアクセサリーとして御神籤プログラムが入っている。
実は私、ここ数カ月、大吉を出したことがない。
珍しいはずの凶は少なくとも今年に入って2回も出してるのに・・・
思えば、私は去年の終わりころから不ヅキの状態が続いていて、峠は越えたと思うが、それでもいまだに何かがうまくいっていない実感がある。
まさにそれを如実に表してるね・・
2月27日(土) 「私の顔は変わったのだろうか。」

突然だが、鬱という病は非常に苦しいものである。
その苦しさは肉体的な症状よりも、自分自身に「自分はゴミだ」というような責め苦に責め苛まれるというところである。他の人がどれだけ肯定的な、好意的な事を言ってくれても、肝心の自分を支える部分が壊れてしまう、そういう病であると、私は認識している(他の人はどうか良くわからないけど)
その苦しみはまさに地獄の苦しみと言ってもよく、病んでいる間、顔は苦痛にゆがみ胸をかきむしられるようなざわざわ感に悩むことになる。
さて、最近鬱という病が認知されてきて過去に鬱だったという人がテレビに出ていることがある。
全員とは言わないが、そのうちの数人は過去の元気だったころと比べて明らかに顔が変わっている。
どこがどうとは具体的には言えないが、少なくとも影が付きまとうような印象を受ける人がいる。
私もこの地獄を通ってきた。私の顔も大学の時、病む前と比べて変わったのかな・・?
経年による顔の変化もあるだろうけど・・
2月28日(日) 「封じられた知識」

私、ルナとあにまりあは知識を共有している。
その知識は図書館なり泉なりその都度形を変えるが、結構な量に上る。
その中には俗に言う「有害情報」というものもある。
その最たるものが「硫化水素自殺の方法」であろう。
これ、本当に安価にできてしまう方法であることをあにまりあは2008年の初夏に知ってしまった。
しかし、2009年秋に自死という選択肢を放棄した時、この知識は封じられた。
以来、これは「使ってはいけない知識」のインデックスが貼られて禁書扱いになった。
でも、問題はこの知識を有していることであって、その知識はそれ自体が意思を持った魔性の存在のごとく動く。
私はタガとして自死を望む者たち(あにまりあ注:自死を望む心の動きをルナは擬人化している)を制する立場にあるのだが、何かのきっかけでこの「禁書」が暴走するかもしれない。
・・・あにまりあも厄介な知識を身につけたものだ・・

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あにまりあの徒然日記T.S(2010・2月)