あにまりあの徒然日記T.S(2009・6月)
6月1日(月) 「再起動キライ」

私は、パソコンの再起動が好きではない(好きな人はそういないと思うが)。
再起動させたら確かにリフレッシュされるので、パソコンにとってはいいんだろう。今まで読んだ本には一日一回は再起動させた方が望ましいと書いている本があるほどだ。
ところが、再起動させたら私のパソコンにはとにかくいろんなソフトやら色々詰め込んでるので立ち上がるのに時間がかかる。最初の3,4分くらい、ずっとハードディスクがカリカリ音を立てている。
その上、時々起る現象だが、再起動させたらインターネットの接続ができない時がある。
なんだか有効なナンタラアダプタがないとか、ほざく。
再起動させたら直るのだが、面倒くさい。
だから私は再起動が好きになれない。
6月2日(火) 「睡眠不足気味」

どうも、最近寝不足気味だ。
いや、正確には寝不足というより「過眠モード」なのかもしれない。
夜、ちゃんと8時間ほど寝ているのに、疲れが取れない。
こういうときは大抵背中にコリというか張ってる部分があってそこをもみほぐすと治る。
しかし、今回はちょっと厄介だ。
張ってるのはわかる。違和感があるから。しかし、その部分がわからないのだ。
怪しい部分をもんでみてもコリに当たった時のあの「熱く、気持ちがいい」感覚がない。
普段凝る腰の場所は今回問題はない。もっと上の方、肩甲骨の近く辺りっぽいのだが・・
まぁね、私の寝るときの「姿勢」に問題がある、と言ったらそれまでなんですけどね・・
6月3日(水) 「サウナ⇔水風呂は鬱に良い!?」

私は、気分が落ち込むとサウナに行ってリフレッシュするとずっと前に書いた記憶があるが、このサウナと水風呂はセットになってるようなものだと思っている。
汗をかいてそれを水で冷やして・・という繰り返しは体内サイクルにいい影響があるんじゃないかと思っていたらネットで全く同じ内容を扱った掲示板を見つけた。
軽度の(サウナのある施設に行く気力があるという意味)鬱には割と効くようなことがつらつらと書いてある。
しかし・・これ、医学的には何の裏付けもないんですよね・・
民間療法の域は出ないが、汗をたっぷりかくと、体内の抗鬱剤までも流し去ってくれるように思うので、気分が落ち込まなくても時々リフレッシュに行っている。
400円ほどでいい気分が買えると思えば安いものだ。
6月4日(木) 「遅筆・あにまりあ」

私は、今、「編集者 今井ラナ」という物語を書いている。
この物語、危うくお蔵入りするところであった。
構想はあった。物語の骨子も割としっかり組みたてた。
そう、ここまでは順調だった。しかし私はある事態を予想していなかった。
それは「書く気が起こらなくなる病」と言うべき、執筆活動には大敵の精神的たるみ。
幸い、読者の方から続きを読みたいという旨のメールを受け取り(何個も物語を書いているがそういう督促は受けたことがなかった)やる気が復活した。
日に1章のペースで書いているが細部を詰めていったら長くなりそうな予感。
私の直感では20章以内に収まればたいしたものだと思うが、それをやると細かな心理描写などを端折るところもありそうなので、今回の物語は私が「本当に書きたい」物語なので(今までの話と比べて)長編になるんだろうね・・
完成して表現などを加筆修正したらHPに公開するかもしれない。
6月5日(金) 「HPと掲示板」

私もなんだかんだと言いつつHPと掲示板を運営してこの10月で9年になる。
その間、ある傾向があることに気が付いてきた。
それは「HP、掲示板は管理人の気質が反映する」という仮説だ。
私は、ズボラで頭はお花畑だがそうしたらHPも掲示板もそれほどシビアなやり取りはなく、ほんわかしたものになっている。
掲示板スパムはあったがあれは少し違うような気がする。
ネットを見ていたら割と性格的にシビアな方が運営されてると思われるものを見つけることがあるが、そういうところでは結構シビアで真剣なやり取りが行われている。私にはちと、敷居が高い。
さて、この仮説、読者の皆さんはいかがお感じになるだろうか。
6月6日(土) 「パチンコに行かなくなって気がついたこと」

私は、今年の初めにパチンコをやめた。
やめた理由は好きだった「冬のソナタ2」の釘が渋くなり、なかなか当たらなくなったことと、魅力的な機種が見当たらなくなったことによる。
そうして数カ月、最近のことだが、ふとあることに気がついた。
「お金が、ある!」
そう、パチンコはギャンブルである。勝てばお金が入るがそれには投資せねばならず、負けるというリスクを常に背負わなくてはならない。
確かに、パチンコをしなくなって日常は少し味気なくなった。
しかしその空白域は他のもの(たとえば数字選択式宝くじとか)で埋まったし、その新しいお金の使い方の方がずっと財布に優しい。
はぁ、もう少し早く気が付きたかった・・
6月7日(日) 「1個95円のマンゴー」

近所のスーパーにフィリピン産マンゴーがよく売っている。それはアケビくらいの大きさで薄黄色の表皮なのだが、これが1個95円なのだ。
私の家族はマンゴーが好きで以前一個2000円のマンゴーとか買ったこともあったが、やっぱり我が家の間尺にはこれが一番合っているようだ。
しかもそのスーパーで売られてるものは適度に熟れていてとてもおいしいのだ。
6月8日(月) 「徒然日記・ミクシィ日記」

私が、この「徒然」以外に、ミクシィにも日記を書いていることは以前書いた。
その2つはよく似ているが、基本線が少し異なるように思う。
まず、この「徒然」は私の考えとか感じたことを書いてあって、基本的に時事問題などには触れない。
哲学的というか書いてあることは抽象論ではないかな?と思ったりする。
それに対してミクシィの日記はもろに私の日常が書かれている。
と言ってもこの「徒然」の日常バージョンと大差ないような気がするが、2つは不思議と共倒れもせず、共存している。
まぁ、ミクシィの日記が10日に一回しか書かれないということが原因していて、ミクシィの方の日記頻度を上げたら多分ネタの奪い合いになることは予想している。
6月9日(火) 「「健康」って何だろう?」

以前にもここで同じようなことを書いたように思うが、私は長い間に「心身ともに健康」という概念を見失った。
まぁ、「体」の方は、大丈夫である。血液検査を半年に1回受けているが特に問題はない。
問題は「心」である。
私は多分「カワリモノ」の範疇にはいるほど、趣味とか考えが偏っているらしい。
特に笑いのつぼなんて完全に俗に言う「普通の人」と、ずれている。
時々、死ぬほど落ち込む。涙も出ない。
精神科医の話を借りたら「死」という選択肢が数ある選択肢の中に頭をよぎるようになればそれは「病気」らしい。
しかし、私は気分は大概それほど明るくないにせよ、そんなに毎日「死」を考えてるわけではない(実際はかつてそういう時期があったなぁ・・)。
さて、私は健康なのか、不健康なのか・・
でも、そもそも「健康」って、なんだ?
6月10日(水) 「トマト植えました」

先日、植木鉢にトマトを2株植えた。このトマトはミニでも普通でもなく、中型種って書いてあったけど、実際どんな実がなるのか・・写真があるのだが、どうもミニトマトのでかい版のような感じみたい。
植え付けてすぐに急速に成長を始めた。ポットの土ごと植えたので広く根を張れるので大きくなったんだろう。
今日見たらつぼみを見つけた。花が咲いたらあとは楽しみの収穫である。
実際に植えて食べごろを見計らって収穫した野菜や果物ってどうしてこんなに美味しいんでしょうね?
これになれたらスーパーのものが薄味に思えてならない。
しかし、そんな大々的に畑をしてるわけでもないので食べたら当然食べた分減っていく。
まぁ、持って2週間かな・・
6月11日(木) 「一つ違った筋を入ってみると・・」

私は、一度通る道を通るとめったに脱線しない。だから、たまにいつもと違った道を通るとそこに展開される風景に驚くことがある。
この前、隣町へ行くのに、一つ違う曲がり角を曲がって向ってみた。
驚いた。どうも今まで全く通ったことのない道だったらしく、「見たことのない」風景がそこにはあった。
既知の道と交差するまでの約5分間、「見知らぬ道」を楽しんだ。
私の家の近所には路地や細い道が多い。
だからこういうまだ通ったことのない道がまだまだあるだろう。
しかし、それは普段は気がつかないので(知ってる道だと思い込んでいるので)ある時きまぐれで通るとアッということになるのだ。
6月12日(金) 「最後の晩餐ーあなたは、何を食べますか?−」

ずっと前に「最後の晩餐」という深夜バラエティのことを取り上げたが、今度は正真正銘「最後の晩餐」のお話。
ここの読者諸兄はこの問いになんとお答えになるだろうか?私には野次馬根性ながら少し興味がある。
ちなみに、私の場合、あまりに目移りすぎて・・
ただあえて挙げろというならラーメンかな・・
この辺、「猛烈に好きなもの」が少ないという現代人を踏襲してるのかもしれない。
6月13日(土) 「知床の夏」

高校の修学旅行は北海道だった。函館のトラピスチヌ修道院〜女満別空港までの北海道横断とも言える旅程で期間は1週間。
殆どバスに乗っていた記憶しかない。
ただ、その中で印象に残っているのが知床五湖だ。
ここに着いたのは夕方近い時間だった記憶がある。
夕日の中、背の高い草に覆われた湿地帯だったかな?その中の湖はとても神秘的であった。
本州ではなかなかあのような光景は見られないかもしれない。
あれからもう15年近い歳月が流れた。
夏の北海道は行きたいと思うのだが、時間的制約で旅程が組めないことと金銭的理由でずっと棚上げだ。
6月14日(日) 「保留先読み機能」

最近のパチンコには「保留先読み機能」というものがついてるらしい。
この保留玉のときに当たりますよ、ということをあらかじめ教えてくれるとか。
最近は保留玉アイコンがいろんな形になったり、色を持ったりして期待をそそらせるとか。
ラナさんはパチンコをやってるので聞いたところでは保留先読みと言ってもガセも多く、なーんだという結果のものも多いとか。
本当に当たる予告というものは少なく、大抵はショボい予告らしい。
うーん、つける意味、あるのかな・・?
6月15日(月) 「今井ラナの徒然日記(23)ー物語の中の「今井ラナ」ー物語レビュウー」

あにまりあさんは今までいくつか物語を書いています。奇妙なことにその主人公は皆私の名前が使われているのですが、今日は公開、非公開にかかわらず、その物語の大まかなあらすじとあにまりあさんの一言感想を添えていきたいと思います。

記念すべき、第1作目。これはホームページでも公開されている「今井ラナの思い出」。あらすじは公開されているので特に書くこともないです。
あにまりあさんいわく、「きれいな形に収めることができた」とご満悦の様子。大学時代の人から自伝じゃないの?という問い合わせがあったそうですが・・

第2作目。「天野初音と過ごした時間」。第1作目と対をなしている物語。メールでの公開版。というのも「あまりにやるせないエンドなので読み手を選ぶので公開できない」らしいのです。
この物語は「今井ラナの思い出」の並行世界版ともいえる物語なのですが、途中から分岐します。
最後、今井ラナは廃人になってしまって山奥の病院での医師とのやり取りで終わっています。
ちなみにこの2編の小説をあにまりあさんが書いたずっと後に読み直したら「自分で書いておきながら、自分が落ち込んだ」ほどの強烈なものとか。

第3作目。ホームページでも公開されている「愛の果てにあったもの」。
あにまりあさんいわく「超駄作」らしいです。
というのも、恋愛経験に乏しいあにまりあさんにはこの物語での恋愛モード中のやり取りが書くのに非常に苦労したそうで軽薄なものだと思ってるそうです。
この物語の後日談はあにまりあさんの構想にあるらしいのですが、何人かに誘い水を向けたものの返事が来なかったのでお蔵入り。噂では少しハートウォーミングな完結編にしたいそうですが・・

第4作目。執筆途中で凍結されている「怪盗ユリアと妖精使いラナ」。非公開版。あにまりあさんが初めてファンタジーを書きました。
しかし、クライマックスまさに手前というところで凍結。
「この物語を完結させるにはにわかキャラというかあまり肉付けしていないキャラクターを登場させなくてはならなくて、それはどうなのか、判断に迷ってしまった」らしいです。結構いい線いってると思うんですが・・

第5作目。執筆中の「編集者 今井ラナ」。メールにて執筆中。現在第11章まで書いていますがまだ物語は半分ほどまでしか進んでいないらしいのです。今までの中で最も長編になるのは確実視されている作品。あにまりあさんによると「今、一番書きたい小説」だそうで、あにまりあさんの哲学がさりげなく入り込んでいるらしいのです。

しかし・・私は思うのです。第4作以外では、皆「今井ラナ」という存在は不幸になっています(はーとウォーミングと言ってくれた方はいましたが)。あにまりあさんはハッピーエンドが嫌いな変わり者で、執筆中の5作目の「今井ラナ」もなんだか不穏ですねぇ・・
あにまりあさんの心の色ってきっと薄暗いのよ。そうでなかったらあんなバッドエンド作品ばかり量産できないと思うんだけど・・
6月16日(火) 「今井ラナの徒然日記(24)ー私と晴香さんー」

私は、晴香さんに会ったことがありません。
それは彼女が昼間活動してるのに対し、私は夜、あにまりあさんの所に行ってちょこっとホームページの設定作業をするというからで昼と夜の住みわけみたいな感じになっています。
写真は見たことがありますが、割と利発そうな女性でした。
そんな私と晴香さんですが、ある共通項を見つけました。
それは検索エンジンで検索したら殆ど同姓同名がないということです。
結構あると思っていたんですが、なんだか意外・・
6月17日(水) 「10年という時間ー良いことの後には悪いことがあるー」

タイム・トラベルをして10年前、1999年のお話。
1999年、私は「人生最高潮、毎日が楽しくて仕方がない」という日々を送っていた。
当時、私は大学生だったがやってる勉強が楽しく楽しい友人に囲まれ、恋もしていた。
「7の月」で有名な某予言のことを忘れるほど楽しかった。
時を元に戻して、2009年。その間に色々なことがあった。
私は病みついた。まぁ、大学時代の輝きすぎた日々の反動だったのかもしれない。無味乾燥な日々に絶望した。
2003年には本当に人格が壊れたんじゃないか?と思うほどひどい状態だった。
2004年に1年間療養に専念する年を設けてようやく立て直したのだが、どうも立て直した自分は昔の自分と違う。
私は思う。やっぱり人生山あり谷ありだなぁと(私の場合、山と谷が突出してるのかもしれないが)。
6月18日(木) 「掃除と運気上昇って関係あるのでしょうか?」

巷では掃除をしたら運気が上昇するという話をよく聞く。
実際、3週間ほど前、某巨大掲示板の宝くじのロト6の掲示板であらかじめ晒してあった番号から2等がでて、大騒ぎになったことがあった。
その人いわく、掃除を念入りにしていたということだが・・
誰でもそうだと思うが汚い部屋では過ごしたくない。
そこで掃除をする。
私事で恐縮だが、この前、エアコンのフィルターを1年ぶりに掃除した。そうしたら信じられないくらいの埃がたまっていてそれを掃除機で吸ってきれいになった時の爽快感と言ったら!
案外、この学説は爽快感と関係しているのかもしれない。
6月19日(金) 「定義付け」

私は何でも「定義付け」が好きみたいだ。
物は3回も見たら「こういうもの」と、勝手に定義してしまう。もちろん3回くらいではそのものの「本質」なんてとても見抜けないのだが。
また、同じようなことが通る道についてもいえる。
3回同じ道を通ったら、もうその経路しか使わなくなる。
私には昔からこういう傾向があって、それはもう一種の性癖とでも形容できるようなくらいなのだが、もう少しじっくりと物を見ないとね・・
6月20日(土) 「鬱と散歩」

ある程度状態が回復した鬱には軽い運動がいいという。
よく推奨されているのが、ウォーキングだ。
そこで、私も少し歩いてみることにした。
すると・・やっぱり違う。サウナほどではないが、あれに近い気分が得られる。何より、体を動かしているのでなんだかもやもやも吹き飛ばしてくれるような錯覚に陥るほどだ。
これ、少し汗をかくくらいがミソなんですってね。
まさか、こんなに気持ちがいいとは!
侮っていた・・
6月21日(日) 「姪っ子が1歳」

今日、姪っ子が1歳の誕生日を迎えた。
そこで弟の家族のところに押しかけていた。
美味しいご飯も食べ、かわいい姪っ子の姿を沢山写真に収め、言うことはなかった。
しかし、去年、生まれたての姪っ子を見に福井までいってもう1年ですか・・
なんだか私の中の時間は止まっているのに、周囲はどんどん時間が過ぎてゆくなぁ。
6月22日(月) 「あれから、13年が経った。」

私がアリの観察日記をつけ始めて13年がたった。
最初は日記帳に書いていた。
思えば、あの時、あの場所であのクロヤマアリ女王に出会わなかったら、今、このHPはないかもしれない。
あのときの女王を見つけた時の感動は今でも覚えている。
それから13年。私も色々なアリに出会った。顕微鏡がないので同定作業は自信がないが、飼育作業はかつて夢であった「アリに囲まれる」ほど飼育しているので、まぁ、あのときの夢はかなったのかな?とか思ったりもする。
6月23日(火) 「「地デジ」が映りません。」

タイトルに相違があるかもしれないが私のパソコンは「地デジ」が映る。
それは一旦慣れてしまうとアナログが見られなくなるくらい、画像が美しい。
しかし・・問題があるのだ。
映らない局がある。
何回チューニングをしてもどうしても映らない。
そこでサポートに電話しようとしたら、いつの間にか購入後1年以上したパソコンは内容の如何に関わらずお金を取るとかほざく。
・・・・なら、アナログで、いいかな・・HDDに貯める容量も小さくて済むし・・
6月24日(水) 「目から汗が出る瞬間」

私は、2005年初めに「ありがとうフラッシュ」を見て以来、物凄く涙もろくなったような気がする。
しかし、別に何もないときに泣くほどでもなく、そういうものはある程度避けているので普段はほぼ涙とは無縁な生活だ。
ところが、日常生活の中にも「突然に」そういうものに出会うことがある。
その時は目から汗が噴き出る。
この前もそうだった。ネットで遊んでいて、ふと3月に廃止になった寝台特急「富士」の最終下りの終点大分での車内放送が聴きたくなって検索した。
・・・キましたねぇ。あれは車掌さんも泣いてるんじゃないかと思いましたが、真相はいかに・・?
6月25日(木) 「(当たり前だけど)人間を数値化するって難しいね・・」

以前、私「あにまりあ」をゲームキャラクターみたいに紹介したことがあった。
それにちなんで、ここに登場するキャラクターを同じように作ってみようと思って、ハタと気がついた。
ここに出てくる数字ってどんなものなんだろう?
まぁ、あの表はスキルに重点を置いたものであって、他の数値はおまけみたいなものだが、ここで詰まってしまった。
そもそも「HP1」ってどんな状態なんだろうか・・?
6月26日(金) 「パロディーというもの」

私はパロディーが好きである。確かに、パロディーは「元ネタ」を知っていないと、ただの演出としか思えないいわば「一見さんお断り」という一面があるが、つぼにはまった時の破壊力はなかなかだ。
つい最近も「ぱちんこおぼっちゃま君」のPVを見ていたら、この機種はパロディー満載。
思わずにやにやが口からこぼれてしまった。
やっぱり、パロディーって「パクリ」と言えるのかもしれないけど結構好きだなぁ。
6月27日(土) 「金運アップの夢と実際の金運の相関関係」

私は、最近よくお金にまつわる夢を見るようになった。
ある時は黄金が出てきたり、またあるときは札束だったり・・・
こういう夢はえてして縁起がいいと思いがちだが、果たしてそうだろうか?
確かに実感を伴うほどはっきりとした夢を見ることすらあって、これは正夢になるんじゃないか?と思ったことが何回かあった。
しかし・・
実際、正夢になった確率は今のところ0%。夢側の完敗であり、現実側の圧勝。
夢の世界には願望というものがある程度干渉するとか聞いたことがあるが、単純に願望が現れただけなんだろうか・・
6月28日(日) 「雲丹」

突然だが、この漢字、何と読むかご存じだろうか?
そう、海産物の「うに」だ。
危うく、私はこれを「うんたん」と読みそうになってしまって大恥をかくところだった。
私は漢字を読むのが好きでややこしい漢字なんかにも触手をのばしているのだが、こんなオーソドックスなもので引っかかるとは夢にも思わなかった。
本当にわからなくて「ワンタン」かとも思ったほどだ・・
6月29日(月) 「フェリー旅行」

多分、現時点の私では一番縁のない旅行手段。
船の旅というのは私はどうもイメージがわかない。
そこそこの距離を走るフェリーに乗ったのは確か幼稚園の時に淡路島に行くために乗った時以来だと思う。
周りは海ばかり。そんな風景が私には退屈なのだ。
しかし、一生のうち一回はしてみたい旅行手段ではある。
思えば去年行った別府にもフェリーでいけるんですよね・・
6月30日(火) 「私(ルナ)が「タガ」であった時代」

私は、かつてタガであった。
あにまりあがあまりに羽目を外さないように、外の世界の人と距離をとらせた。
それは時には「あにまりあが何を考えてるかわからない」と、友人に言わしめたほどだった。
また、私はあにまりあに常に高いハードルを用意していた。
あにまりあは大学卒業までその期待にこたえてくれた、ある程度だが。
しかし、大学院のとき、あにまりあは恋に破れた。恋に破れるということはその人にとって自分が一番になれなかったということ。
また、同時期私は学業がうまくいかなくなった。
そうして文句ばかり言ってる間にあにまりあは「心が折れて」しまった。
私は、それが許せなかった。
だから私はあにまりあに「死」という罰を下そうとしたのだが、外界の人間のサポートがあってその計画はとん挫した。
これは私には考える機会になった。
今までそれほど強く人とのつながりを感じなかったあにまりあにもこれだけのサポートがあるということは、私のしていることは、間違っているのか・・?
そこから、私の苦難が始まった。私自身が葛藤に苛まれたのだ。

それから数年、私はようやく本来の管理者としての自分を思い出しつつある。
私は、あにまりあにはもう少し寛大になろうかと思う。そうしてたまには羽目をはずすのもいいじゃないかと思うようになった。
あにまりあも変わったが、私も変わったのかもしれない。

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