あにまりあの徒然日記T.S(2009・5月)
5月1日(金) 「あにまりあと悲しい物語」

私(あにまりあ)は悲しい物語が好きである。俗にいう「バッドエンド」なんて大歓迎という変わり者だ。
私はハッピーエンドが好きでない。確かに見終わった後すっきりするのだが、なんだか都合合わせの結果のような気がする。
その点、拗(こじ)れに拗れた挙句のバッドエンドは自然な流れのようでスムーズだと思っている。
しかし、これには一つ落とし穴がある。
私は悲しい物語を見たら感情移入しすぎて自分が落ち込んでしまうというアホな現象に見舞われる。
悲しい物語、それは私にとって自らの精神の色を表すものだが、同時に私を直接に落ち込ませる原因になりえるもので禁断の果実の味がする。
5月2日(土) 「タケノコ」

旬を過ぎつつあるが、我が家の人たちは弟を除き、タケノコが大好きだ。
特に父と私はこれに目がない。
タケノコって栄養はほとんどないと聞いたことがあるが、それでも若竹煮やカツオを振りかけたものを食べると、春を感じる。
さらに我が家では冬の間に使っただしをとった昆布を取っておいてこれをタケノコと山椒の実と一緒に醤油で炊いて佃煮にする。
これもおいしく、おにぎりやお粥と一緒に食べると実においしい。
5月3日(日) 「ホーム・アローン1」

今日と明日は両親が旅行に出かけたので家には私一人だ。
勝手気ままに過ごせるのはいいが、いつもとあまり変わらないような感じもする。
しかし、家に私しかいないというのは何だかとても不思議な気がする。
家でうじうじしていても仕方がないので今日は生駒山に出かけた。
しかし明日は天気がいまいちだとか。
うーん、蟄居?
5月4日(月) 「ホーム・アローン2」

せっかく誰もいない休日を過ごしていて今日も外出しようと考えていたが、天気が良くない上に昨日歩きすぎて筋肉痛になったこと、天気が悪いと繁華街しか行く場所がなく、そうなると無駄金を使ってしまいそうで結局家にいた。
こうして、私の「ホーム・アローン」な2日は終わった。
5月5日(火) 「タイプミス」

最近、よくタイプミスをする。一時期ほどではないがよく意図しないキーをたたいてしまったり、別のキーに指が触れたり・・
普段なら何ともないが、続くと少し不愉快だ。
ちなみに、私はブラインドタッチができない。
ブラインドタッチでぱちぱちタイプしている人は少し憧れてしまう。
話を元に戻して、それでも最近はタイプミスは減ってきた。
なんだろう?集中力の欠落とかあるのかな?
5月6日(水) 「パチンコで儲けたお金の行方」

以前、書いたようにも思うが、去年の日記を読み返してもこのタイトルがなかったのでこのタイトルで行くことにした。
パチンコで儲けたお金、それはまさに「儚い(はかない)」ものだ。
そのお金で倍プッシュを狙うものの大抵はうまくいかずパチンコ台の向こうに消えていく。
だから私はいつからか勝ったお金のいくらかをモノに還元することにした。
それがあるときはSAIのライセンスだったり、コンピュータ関連の書籍だったりする。
そういえば、「冬のソナタ」は撤去されずに今でも現役のホールがある(私の行きつけのパチンコ屋では客が飛んでいるが現役だ)。
この機種とは本当に相性がいいので何とか頑張ってほしいと思う。
ひとえに私の財布を豊かにできる可能性が他よりある・・という不純な動機であるが・・
5月7日(木) 「電話魔」

私は、普段は電話を使わない。
待ち受け専用に近いくらいで月の使用量が数百円ということもざらである。
そんな私だが、お酒を飲んで少し酔っぱらうと電話魔に変貌する。
特に伝えなくてはならないことがあるわけでもなく、他愛のない会話がしたくなる。
なぜお酒を飲むとそういう風に変わるのか、自分でもよく分からないが、根っこはそういう部分なんだろうかと思ったりもする。
5月8日(金) 「ひょっとして、当選してた・・?」

私がインターネットの懸賞サイト2つに登録してるとは以前書いた。
そのうちの一つ、「フルーツメール」の懸賞の一つにどうも当選していたらしいのだ。
なぜ、当選していたことに気がつかなかったのかは理由があってメールも何もなかったのだ。
ただ、応募の時以外他は全く何もしないのにポイントが1000ポイントある。
毎週、100人前後の人に1000ポイントが当たっているのでひょっとして・・?
しかし、贅沢言えばこんな「小当たり」より、何がしかの景品ゲットという「大当たり」が欲しい。
本当に今年は「小当たり地獄」な年だ。
5月9日(土) 「しょっぱい」

どうにも馴染めないのがこの言葉。「すっぱい」と混同してしまう。
というのも、私の周りでは「しょっぱい」なんていう人が殆どいないからだ。
私の周りの人たちは「塩辛い」という。
だから、私も「塩辛い」が普通になっていて、「しょっぱい」なんて聞くと「すっぱい」か「しょっつる」としか連想できないのだ。
はて・・?「しょっぱい」って、標準語なんだろうか?
5月10日(日) 「V.Sバトルスペックー結果ー」

私はパチンコのバトルスペック(フルスペックとかマックススペックともいうらしく、微妙に意味合いが違うらしいがよく分からないので省略)を打ったことがある。
普段の私は「海物語」か「冬ソナ」といったミドル中心なのだが、たまに打つことがある。その結果。

VS.ジュラシックパーク:どうも潜伏確変になったようで低投資で当たり35000円ほど勝ったが撤去された。
VS.牙狼:3回打った。2回単発当たりしかせず敗退。しかし1回だけだが確変を引き当て、8連ちゃんした。一番打っていてストレスが少なかった。
VS.花の慶次:「斬」は打ったことがないので古い方。一回も怪しいモードにも辺りも引き当てたことがない。どうも相性が悪いのかな・・

他にもバトルスペックの機種はたくさんあるが大当たりまでが重いので私は基本的に打たない。
当たればねぇ・・8割以上の継続率を誇るんですが・・
5月11日(月) 「「払いすぎの利息、取り戻します」の広告」

最近、よく見かけるようになった広告。これを見るたびに私は疑問に思うことがある。
「なぜ今までそういうことを大々的にしなかったのか?」「あるときを境に急にこの手の広告が増えたが何かきっかけがあったのだろうか?」
払いすぎの利息を取り返してくれるのは嬉しいことだし、また当然のように思う。
しかし、急にたくさん出てきたのでその背後に何かあるんじゃないか?と勘ぐってしまう。
5月12日(火) 「「定額給付金」の使い方」

政府が「定額給付金」という名前のお金をくれるらしい。景気刺激策らしい。
経済のことはさっぱりだが、お金をくれるというのはなんだか嬉しい。
さて、その使い道だが・・何にしようか・・
今、取り立てて欲しいものはないし、貯金かな・・
でも、政府は使ってくれと言ってるしなぁ・・
5月13日(水) 「カキの木」

先月、大阪城に花見に行ったときに「植木市」というものをやっていた。
これ、毎年花見の時期に大阪城で行われていて、目を楽しませてくれるのだが、意外なことに父がカキの苗木に興味を示し、購入した。
父いわく「実のなるものをちょっと欲しくなった」ということだが・・
それから1ヶ月。こんなに・・と思うほど、枝という枝から若葉を茂らせている。
木は小さいので実がなるのはたぶん来年以降だと思うが、どこまで大きくなるか楽しみだ。
5月14日(木) 「枝豆の後」

去年、家の横の小道に枝豆を植えた。それらは美味しくいただくことができた(いつも思うがなぜ自家栽培の野菜ってあんなに美味しいんだろう)。
今年も枝豆・・と思ったら枝豆はどうも連作障害が出るようだ。何か別のものを植えなくてはならない。
迷った挙句、このスペースには結局去年と同じくニガウリが植えられた。
それにプラスしてプランターには水ナスの株が2つ。
特に水ナスは急速に大きくなっている。
今年も収穫の夏がきそうだ。
5月15日(金) 「今井ラナの徒然日記(22)ー毎月15日は私担当らしいー」

あにまりあさんいわく、毎月15日は「今井ラナの日」だそうで・・
私、そんなの聞いたことがなかったのですが・・
ところで、私のブログはあにまりあさんが存在を明かしてしまってるので公然の秘密みたいな存在になってるのですが、そこに最近お客さんがいらっしゃいました。
私はあのブログは読まれることを前提にしていない、あにまりあさんが毎日書いている日記帳日記のWEB版として始めたんですが・・
反応があるってやっぱり面白いですね。
5月16日(土) 「毎月7の付く日」

パチンコ屋のイベントではないが、私にとって毎月7の付く日(すなわち、7日、17日、27日)は少し特別な意味がある(というほどでもないか)。
毎月、7の付く日に私はミクシィの日記を更新しているのだ。
ただ、書いてはいるものの正直セカンドシーズンの頃のようにぐだぐだ感は否めず、辛うじて「7のつく日」とだけ縛りを入れていることで存命させているようなものだ。
内容であるが、ここの劣化版とでも称すべき内容で、大したことはない。
さて・・明日、7の付く日。何を書こうかな・・
5月17日(日) 「500メガが一杯になる日」

今、HPスペースは500メガまで使用が可能である。
この前、管理画面から見たら現時点で100メガほど使っているようだ。
今年は結構写真を多用しているがそれでも500メガが一杯になるのは来年後半かそれ以降と見ている。
一杯になったら一つ上のプランに申し込みになるのだが、別にそうなったからといって特段何か変えるとかいうことは考えていない。
5月18日(月) 「CRぱちんこ冬のソナタ2」

確か去年の4月4日にリリースされたと聞いた(4のつく日とヨン様をかけたらしい)。
日記帳を見たらその約1週間後にたまたまあいていた席で初打ちとあった。、
私、この機種が大好きである。
プレミアや演出がとにかく豊富。
そしてすればするほどアツいという疑似連もガセも含めてとにかくよくする。
確か13連ちゃんが最高。
去年プラス33万円という記録もこの機種との相性なしには語れない。
しかし・・それから1年。
流石に撤去や減台のあおりを受けてよくて10台ほど、ひどいところではもはや1パチくらいしか残っていない。
私の行きつけのホールでもつい最近半減になった。
まぁ、まだ現役の4円パチンコで残してくれてるだけありがたいと思わなくちゃならないかもしれないが、寂しい。
そしてなくなった時、たぶん私はパチンコから引退だ。
5月19日(火) 「新型インフルエンザの渦中」

新型インフルエンザが関西、特に大阪と兵庫で急速に感染者が増えてきている。
そこで、少し町の様子などを書いてみる。
まず、目につくのは普段のこの季節ならまず目にしないマスク姿。
そしてそのマスクはどの薬局やコンビニ、スーパーに行っても品薄というより品切れに近い状態で極めて入手がしづらい。
今回のインフルエンザ、感染力は普通のインフルより強いと聞くが一部を除き大抵は軽症で済むとか。
それと、不思議なのは高校生を中心に広まっていること。
成人以降の人がかかったという例はあるのだが、多くない。
なぜ高校生を中心に特異的に広まっているのか、とても不思議だ。
公立の小中高校は土曜日まで休校になった。その分は夏休みを短縮して埋め合わせをするとか。ちょっと可哀そうだけど、仕方ないか・・
普段、ここは時事ネタは滅多に書かないが、ちょっと今回は趣向を変えて取り上げてみた。
5月20日(水) 「パチンコとプログラム言語」

基本的に、パチンコはコンピュータ制御である。
コンピュータ制御ということはそれを動かすプログラムがあるということ。
そこで少し調べたら最近のパチンコはC言語やC++(シープラプラと読む)という言語で記述されているらしい。
私は、実はプログラミングが大の苦手だ。すぐに頭が沸騰して煮えくりかえってしまう。
確かに、ひとつのプログラムがエラーもなく完成した時の気持ちよさは私も何回か独学で簡単なプログラムを動かした時に味わっている。
しかし・・なんというか難しい。
その割には、私のパソコンにはマイクロソフトのビジュアルC++のソフトが入っている。
だから、プログラミングをやろうと思えばいつでもできる。
これも棚上げ事項である。
5月21日(木) 「今年は・・」

今年は精神的低迷が長かった。1月下旬ころから活力がなくなって、普段なら桜の咲くころには回復するのだが、その時期にピークがきて世の中がすべてテレビのように画面を通してみるような、違和感にとらわれた。
そして5月に入り、10日ほど前からようやく回復してきた。
誤解のないように言っておくが、私は落ち込んでいるときでも見た目や言動に異常はきたさないという(症状が極大になると明らかに表情が変わるらしいが)。
私にとって外見やしぐさは最後の砦、そこがおかしくなったらもう相当危険信号だということである。
それにしても今年はなんだか症状が少し違った。
いつもは落ち込みだけだが、今年は落ち込みに加えて先述した「世界から色がなくなる」症状に見舞われた。
なぜ、こうなったのか私にもわからない。
5月22日(金) 「水は薬である。」

私にとって、水は単なる肉体が欲するという意味を超えて、精神安定剤の効果があるようだ。
水を飲まないと、私は気分がいらだって落ち込んでくる。
そんなときは水をがぶ飲みする。
そう、1.5リットルのペットボトルのお茶を一気に飲むくらいの量を一気に。
しばらくしたら、気分が落ち着く。
あたかも私の体は「水依存症」になってしまったみたい。
ちなみに、私は糖尿ではないのであしからず。
5月23日(土) 「「花の翼」「光の翼」「闇の翼」のその後」

「花の翼」「光の翼」「闇の翼」は2007年11月7日の日記に書いたが、読み返されるのも手間だと思うので、少し要約したものを書いていくことにする。

「花の翼」・・ノーマル状態の私。通称「お花畑モード」。私の頭の中はお花畑だと思っているがそれを発現させている。後述の「闇の翼」発動時には無効だが、「闇の翼」を侵食するのはこの「花の翼」である。
「光の翼」・・きわめて精神状態をハイにさせる。精神科医はそれを「躁状態」と呼んだ。10年ほど前、大学の3,4回生のときにはこれが発動していたと思われる。自分の周りの物がすべて自分を中心に回っていると思わせる。ただ、精神エネルギーを一気に消耗するので、今の私には危険な麻薬。

「闇の翼」・・通称「ルナモード」と呼ぶ、精神的暗黒状態をもたらすもの。平常時に突然発動。発動時に「ルナモード」を超える強暗黒モード「SD(Self-Destruction)モード」に発展する場合がある。マイナス思考を無限増殖させる。

さて、前置きが長くなったが、上の記述を見ただけでも元の記録とは少し違ってきていることがお分かりと思う(肉付けしたからだと思われる)。
記述から1年半、それらがどう変わったかというと、一番重要なのは「光の翼」と呼ぶ、精神的超ハイテンション状態になることがなくなったこと。
そして「闇の翼」発動時には軽度の暗黒状態の「ルナモード」と重篤な、命にかかわる暗黒状態「SDモード」とにわかれたことだろうか。

「闇の翼」から派生した「ルナモード」と「SDモード」に関しては明日詳述する。
5月24日(日) 「ルナモード」

私は、自らの負の感情の集合体に「ルナ」という名前を付けた。
名前を与えたことで扱いやすくなった半面、名前を与えたことで実体化したことになる。
私の裏側、落ち込んだ気分を演出する「ルナ」が気分を支配するモード、それが「ルナモード」。
さて、私は更に「ルナ」に設定を与えた。
「ルナ」が、もともと私の精神を律するタガであったことは分かっている。
タガが自分を破壊するだろうか?
そう考えて、私は「ルナ」の後ろに最強の負の感情の集合体「SDモード」を作った。
「SDモード」は残念ながら私にも止められない、ある意味「死の暴走モード」とも呼べる危険なもの。
破壊者は何回も肉体の破壊に挑戦したが悪運の強い私は生き残った。
しかし、去年の初夏、破壊者は究極の自己破壊方法を見つけた。
たぶんそれを使われたら私はこの世にいない。
「ルナ」は、気分を落ち込ませはするが自己破壊までは望んでいないようなので、私は「ルナ」と協定を結んで破壊者を表に出さないようにしてきた。
しかし、この自分自身との葛藤というある意味の戦争状態は結構精神力を摩耗させる。
はぁ、生きていること自体が楽しかった10年前に戻りたい・・(そんなこと叶うはずもないが)
5月25日(月) 「ヘッドホンを新調してみた」

私にはスカイプ用のマイク付きヘッドフォンがあったが、数年の間に、マイクのところの線が伸びてきて、マイクがブラブラになり、その上最近、音を聞いていたらどうもどちらか片方が音を拾っていないように聞こえると気が出てきたので、新調を決意した。

大手電化製品販売店で探してみたが、高いやつから安いやつまでまさにピンキリ。
色々見てまわって、2000円くらいの耳をすっぽり覆う大型のヘッドフォンが試聴したら音がいいように思った。そしてそれを購入した。
帰ってパソコンにつないで、音楽を聞いてみた。
・・すごい、音質が全然違う。
やはり何でも値段相応なんだなぁと思った。
5月26日(火) 「ミリオン・ドリームー2回目の挑戦ー」

去年、宝くじで「ミリオン・ドリーム」というものに挑戦したことは書いたと思う。結果は1番違いで1万円を逃すという惜しいものだった。
この宝くじ、末等の300円がない代わりに下3けたと4けたで当選番号が決まる。
一等か二等しかなく、100万円か1万円。
一等の多いこの宝くじを私は気に入って今年もやらないかなぁと思っていたら、やってくれました。
さっそく大阪で有名な某売り場で家族の分も含めて購入してきた。
さて、今年はどうかな・・?
5月27日(水) 「大体、私(あにまりあ)がここで色々書くということが・・」

突然だが、私は変わったと思う。
鬱で寝込む前、私は自分の内面や思っていることをこういう公の場で公表するなんて本当に考えられなかった。全てを胸の内にしまっていたのだ。
HPの一番最初のころにあった「管理人日記」がすぐお釈迦になったのはあまりにも毎日同じことの繰り返しで新鮮味がなくなったことと、大学院の人が見ていると思ったら書けなくなったのだ。
それが今では愚痴もこぼすし、イライラして口喧嘩も時々するようにすらなった。

・・これっていい変化なんだろうか?
内面のうっ憤を吐き出すことはいいと思う。私個人に限れば。
でも吐き出されたほうはどうなんだろう?
私は他人の心を見ることはできないし、また他の人も私の心の奥底の闇(私自身も見通せないほどの闇)は見えないし理解できないだろう。
まぁ、心の闇の部分は誰でもあって他の人の入れない領域だとは知っているが、正直そういう疑念が頭から離れない。

そういうことを書くということも含めて、「私がここで色々書くということが私が「変わった」証拠である」ともいえるのだが・・
5月28日(木) 「お腹がすく日とすかない日」

私には不思議に思うことがある。
私は毎朝、丸っきり同じ量の朝食を食べるのだが、昼前までに物凄くお腹がすくときと、まったくお腹がすかない時がある。
当然、前者のときは昼食を良く食べるし、後者のときはあまり食べない。
肉体は自然のもので、機械的なものではないので、波があって当然なのだが、このお腹がすくときとすかない時には周期性がある。
すなわち、よく食べるときとあまり食べない時である。
自分の中では何も変えたり変わったりしていないのに、こんなに変わるというのも面白い。
5月29日(金) 「寝台特急での旅をしたこと」

私は確か4回、「九州寝台」に乗った。
3回は「富士」、1回は「なは」。
「なは」のときは疲れていて早くに寝てしまったのが悔やまれるが(大阪にも早くについたし)、「富士」のときはいずれも天気が良く、明け方の瀬戸内海や別府湾などを見ることができた。
その「九州寝台」も消えて2カ月が経った。
この前、ユーチューブで何気なく最後のアナウンスを聞いたが汽笛やオルゴールが何とも物悲しい。
大阪からは北に向かう「日本海」が出ているが、この辺は観光地がちょっと思い浮かばないので棚上げになっている。
「ブルートレイン」自体がどの列車も未来への見通しが明るくないと言える今、なんとしても乗っておきたいとは思うのだが・・
5月30日(土) 「私はアリを飼っている=私はアリに飼われている?」

私はこのHPをご覧の方ならすぐお分かり頂けると思うが(アリの観察日記項目があるから)アリを飼育している。彼女(基本的にアリは全てメスである)たちの行動は私の心をいやしてくれる。
さて、少し見方を変えてみたい。
アリから見たら、私はさしずめ「食物と住居を提供してくれる存在」になる。
私は彼女たちにせっせと食事を運ぶ。そうして彼女たちはますます繁栄していく。
・・ん?
アリの立場に立つとアリは私を「使っている」ことになるのか?
確かに、私は彼女たちを指でつぶすこともできるし、水分や食物を調節してる方なので圧倒的強者の側に立ってることは間違いないが、私が精神の安寧の一部を彼女たちに預けてるということは、ある意味私は彼女たちに飼われているとも言えなくはないか?
・・・と、こんなことを考えてしまった。
5月31日(日) 「固執と恐怖」

「物事にこだわると怖くなる」。「固執と恐怖」はある程度表裏一体なのだが、どれくらいの人がこの事実に気が付いているだろうか?
たとえば恋愛を例に取ってみよう。
好きであれば、好きであるほど(言い換えたらその人にこだわればこだわるほど)その人との別れが怖くなる。
こんなことは枚挙にいとまがない。
あにまりあはパチンコが好きだけど、その確変(=高確率状態)が少し怖いらしい。
いわく、「終わるのが怖いから」だって。
なら、行くなよ、やるなよって話なんだけど、これってあにまりあが「お金にこだわってる」と、言えなくもない。
だから私はあにまりあにこだわることをやめさせるように働いてきた。そうしたら精神的に落ち着くと思って。
そして私は「生」にこだわることもやめさせた。人間、いつか死ぬんだし、それは唐突にやってくるんだから変にこだわるのをやめなさい・・って。
そうしたら、あにまりあは「生」にあまりこだわらなくなった。
しかしその代わり「死」に魅せられてしまった。
・・・やりすぎたのか、こだわりを捨てさせるという方針自体が間違っていたのか・・

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