あにまりあの徒然日記(2006・2月)
2月1日(水) 「ハル」

自分で言うのもなんだが今の私の頭の中は本当にお花畑というかいい温度というかそういう状態に保たれている。
鬱という冬の時代が終わった後には暖かい時期が訪れているのだ。
それは他の人への接し方にも現れていて今の私はとても人に優しい気持ちになっているし、そう接することができていると思っている。
この状態がいつまでも続いてほしいと思うのだがそれはたぶん無理だろうであろうが。
2月2日(木) 「スタイルシートをはずすと」

この日記が枠の中と外で色が違うのはスタイルシートという技術を使っているからだ。このスタイルシートはホームページビルダーの素材集の中にあったものなのだがこれ以外にもタグを直接打ち込むことでもっと色々なものができるらしい。「らしい」というのは私はタグを直接打ち込むのが苦手でかつ、そのタグを数回見た事があるのだが理解を超越していてさっぱり理解できなかったことによる。
さて、この日記ページを携帯電話のようなスタイルシートに対応していないブラウザで見たら背景色が少し違っている。無地の背景ではない。
このページは背景色としてスカイブルーの背景色を採用している。単にスタイルシート導入前にその背景色を使っていたからなのだが隠れたところに色を使う「粋な」感じがしてずっと採用している。
まぁ、こういうのは単に作者の私の自己満足以外の何物でもないのだが。
2月3日(金) 「節分祭」

今日は節分である。豆をまいて鰯を食べて・・そうそう、最近勃興してきたものとして巻き寿司の風習がある。確か私が子供のころにはそういうのはしなかっただけなのかそもそもなかったのかわからないが我が家では10年ほど前から登場した。この風習、年々広がっているそうで関東のほうにも定着しつつあるとか。
若干、お寿司屋さんとコンビにチェーンの「陰謀」に乗ってるような気もするのだが・・・
2月4日(土) 「私の暦」

今日は立春である。暦の上では今日から春ということになっている。その割にはとても寒かったが。
さて、私は独自の暦を持っている。といっても春の始まりだけが違うだけで後は一般に思われているものと大差ない。そこで私の暦を公開しようと思う。
春:沈丁花が咲いてるのを見た日から5月31日まで
夏:6月1日から8月31日まで
秋:9月1日から11月30日まで
冬:12月1日から沈丁花が咲いてるのを見た前日まで
と、私は勝手に規定している。
沈丁花については確か去年の3月にコラムを設けて書いてるのでそちらを参照されたい。
2月5日(日) 「気分と創造性について」

最近、気分と創造性には密接な関係があるのではないかと思い始めた。
気分がめいってたり、腹が立ってるときには全然クリエィティヴな発想は出てこない。
クリエィティヴな発想が出てくるときはたいてい気分が落ち着いているときで心の奥底から案が滲み出してくる。
私はアーティストでもないし、クリエイターでもないし、デザイナーでもないので、こういった直感的なものがどの程度創造性に影響するのかはよくわからない部分もある。
しかし、なんとなく気分と創造性は関係あるのではないかと思えてきてならない。
2月6日(月) 「鏡」

こういうと笑われる方がおられるかもしれないが実は私は夜、暗闇で見る鏡が怖い。
私は今では幽霊やUFOといったものはあまり信じていないのだがそれでも暗闇で鏡を見たら何か異形のものが映ってるのではないかという想いに駆られてしまう。
私の部屋にはかつて着替え用のたて鏡があったのだがそういう事情で部屋から撤去された。
古墳からは鏡が出てくることがあると聞いたことがある。その鏡は、今の鏡と違って像が映るのか?と思うのだが古人は鏡に何らかの魔力が宿ると思っていたのではなかろうか、と思う。
2月7日(火) 「時刻表」

私の手元にはこの冬ダイヤのJRの時刻表がある。私はこれを手元において「旅をする」。
大体お察しいただけるのではないかと思うのだがこの時刻表を手に電車を辿っていって私は遠くに出かけたつもりになる。
かつてこれと同じことをお昼のバラエティーの司会者タ○リが言っていたのは興味深いことだが、この時刻表をたどっていく「旅」はそれほど珍しいやり方ではないのかもしれない。
そんな中、私は比較的近所に「秘境」を発見した。
そこは明日のタイトルになっている九頭竜湖である。
2月8日(水) 「九頭竜湖(くずりゅうこ)」

昨日からの続き。
時刻表をたどっていた私は大阪の比較的近くで「秘境」を発見した。
それが福井県と岐阜県の境にあるという九頭竜湖である。
インターネットで検索して情報を拾ってみたら以下のことがわかった。
・大きなダム湖である
・湖岸は春は桜、秋は紅葉が美しい
・湖の上には大きな橋が架かっている
・JR福井駅から九頭竜湖駅への電車は3から4時間に1本しかない
・途中の越美線、越前東郷〜美山間は平成16年7月の福井豪雨の影響で代行バスによる運行となっている
という情報が得られた。なお、比較的近くという表現を使ったのは家からだと特急を使っても3時間半程度かかるからによる。JR福井駅までは特急があるのだがそこから九頭竜湖までは電車と代行バスで1時間40分。
中々遠いのだが一度は足を踏み入れてみたい。
なぜ私がこの地、この名前にこれほど惹きつけられるのか、よくわからないのだが。
2月9日(木) 「鉄道模型」

鉄道関係の話題が続くが時刻表に触れたらこれにも触れないと片手落ちといえよう。
私は小学生のころ、鉄道模型を趣味としていた。今でも趣味としたいのだが・・
当時、私は寝台特急(今の電車型の寝台特急(サンライズシリーズや「きたぐに」のような電車ではないという意味)、簡単に言うとブルートレインのこと)に憧れていたと同時に他の当時は国鉄車両にも興味があって色々な本を読んだりして当時日本を走ってる国鉄特急に詳しいという子供だった。
昆虫は夏の趣味、鉄道は冬の趣味だった。
そこで線路を敷いて機関車に客車を牽引させてるのをその模型の視点で見るのが好きだった。
鉄道模型にも色々なものがあるのだが私はNゲージが好きだった。このNゲージは線路の幅が9ミリなので、そのnineの頭文字からきている。
しかし、私はジオラマ(専門用語ではレイアウトという)は作らなかった。
これには理由があって場所の制約と金銭的制約が大きかったことによる。
要するに小学生の私には鉄道模型は「高級な玩具」だったのだ。
大学のころ、近鉄のキット(プラモデルのように組み立てるもの)を購入したのだが、手先が不器用な私には過ぎたものだった。最近では鉄道模型の(私は個人的な趣味でトミックスが好きなのだが)カタログを眺めてるくらいである。
しかし、いつかこの鉄道模型の趣味は復活させたいと思っている。
最後に当時の本に載っていた家に大きなレイアウトを持っている人の語る鉄道模型の醍醐味を引用したい。
「JR車両と私鉄車両、または新幹線と在来線車両という普段ならありえない組み合わせでも走らせることができるのが良いんです。」全く同感だ。
2月10日(金) 「哲学書」

「哲学書」と聞くと、カントやニーチェといった名前が出てくる方がおられるかもしれない。それはそれで正解なのだが、ここでは「私の思想に影響を与えた書」と定義することにして話を進めていくとする。

ここでは2つの本を紹介しようと思う。どちらも私の思想に非常に大きな影響を与えた本である。
まず一つ目。リチャード・カールソン著、小沢瑞穂訳「小さいことにくよくよするな!」(サンマーク出版、1998年)。
8年前の本だが、日本でのいわゆる自己啓発書の走りではないかと思う。それまではこういう自己啓発書は存在していたが気がつかないだけだったのか、そういう類の本が少なかったからなのかはわからない。
この本は100個の項目から成っていて、どの項目から読んでもかまわない。
この本のテーマは、タイトルにもあるように「日常の些細なこと(要するに小さなこと)」に心惑わされず、心穏やかにすごすための処方箋のようなものである。どの項目もはっきり言って「当たり前」のことが書いてある。
しかしこの「当たり前」のことをするのが難しいのである。
つい最近も私は心が不安で一杯になったことがあった。そんな折、この本を数年ぶりに手にとって見たら私の心は穏やかさを取り戻せた。中々実践は難しい、というか意識していないとすぐに「小さなことにくよくよ」してしまう。

もう一つは福本伸行著「近代麻雀コミックス 天16巻〜18巻」(竹書房、2000年、2001年、2002年)。
ストーリーは以下のとおり。
稀代の麻雀の打ち手、赤木しげる。彼はアルツハイマーに侵されていて意識が飛んでしまう前にマーシトロンという自殺装置を使っての自死を決断する。その彼が死ぬ前に最後の大勝負だったと述懐する東西戦で戦った者たち8人と言葉を交わすのである。
果たして8人の男たちは赤木しげるの決断を覆すことはできるのか、また赤木が彼らに語った哲学とは?

というところである。
今、私は肩書きやお金に左右されずに「自分の生きたいように生きること」を最優先にしているのだが、この思想はこの本によってもいたらされたといって過言ではない。
死や生きることといった重いテーマを漫画というメディアで説く福本氏の哲学は秀逸である。
ちなみに、麻雀がわからなくても牌を使ったゲームが出てくるだけなので全然かまわない。という私が麻雀はチートイツと国士無双しか知らないのだから。
どちらも読んでみる価値はあると思う。読書の暇があればお薦めしたい。
2月11日(土) 「私の中の人々」

私の中には「人がいる」。こう聞けば何を言ってるんだろうと思われる方もいらっしゃると思う。この意味は読んで行けばわかっていただけると思っている。
私は一つの物事に対して二つの考え方をできるようにしている。一つは肯定的な見方、もう一つは否定的な見方である。こうすることで完全に心酔してしまうことを防いでいる。また批判精神は必要だという観点からでもある。
そうして生まれた考え方はやがて忘れられるものもあるし、消えずとも時が経てば変化もしていくだろう。
ここまで読んで最初「人」の話題なのに「考え方」の話題になってるときがついた方、聡明だと思う。
しかし別に錯誤してるわけではない。意図的にこう書いてるのだ。
私はつい最近、こうした考えの変遷が人間の成長や死に近いと気がついた。
考え方も時が経てば「成長する」し、忘れ去られるということはその考えの「死」であると私は考えるようになった。
「私の中の人々」とはここまで書けば大体お分かりだろう、私の心に住まう色々な考え方を擬人化したものである。
私は「彼ら」を生み出した、というよりは擬人化に成功したので彼らから見たら私は神か王様であろうか。
私は「彼ら」に心の世界で「議論」させる。まぁ、言い換えたら心の葛藤というところであろうか。
こうして擬人化したら中々面白く、最近の流行り物である。
そう考えたら、心の世界は私たち人間の次元とは違う異世界なのかもしれない。
2月12日(日) 「私と料理」

大学と大学院の人の一部は知っていることなのだが私は時々お菓子を作る。
中でもクッキーは得意とは言わないがマシなものは作れると思っている。
私がなぜクッキーを作るのかには理由がある。
実は私は料理人としては致命的なことに包丁が全く使えない。
といっても単に包丁の使い方を教わっていないだけなのだがそれでもリンゴの皮むきなんて出来る人は凄いと思う。どこかで聞いた話では鉛筆を小刀で削れたら同じ要領でリンゴの皮むきも出来るらしいのだが、確認していない。
その点、クッキーは混ぜてこねて焼くだけなので非常に簡単。しかも私が作るのでつまみ食い可。言うことなしだ。他にもアップルパイにも挑戦したことがあった。
しかし前述のように包丁が使えないというのは非常な制限要素となっている。
お菓子を作って別に礼を言ってくれと言う訳ではないが食べてくれる人が美味しいといってくれたら嬉しくなるし、ノーリアクションだと悲しくなる。中々現金なものだ。
ついでだが私は料理番組や旅番組も実は好きである。美味しそうな料理を見てたら非常に幸せな気分になるのである。
2月13日(月) 「ラーメンを筆頭とした麺類」

大学・大学院の人で私と食堂でご飯を食べた人はご存知だと思うが私は麺類、特にラーメンが大好きだ。
あまりに麺類ばかりなのでみんな不思議そうな顔をしていた。よく飽きないな、と。
しかし、私にとってはお昼に麺類を食べないと何か変な気分になってしまう。
というのも我が家では一年の大半の昼食が麺類だからである。
昔から日曜や祝日に家にいるときはうどんやラーメンを食べていて、それが今に継承されてるという所である。
中でも私はラーメンが特に好きなのだ。なぜかというとラーメンは主だったところで醤油、味噌、塩、とんこつ味があって毎日であっても味の組み合わせを変えたら飽きないし、同じ味のものを食べてもメーカーが違えばラーメンの味も変わってくるので一向に飽きない。
もちろん、インスタント以外のラーメンも大好きである。
2月14日(火) 「ドメイン取得1周年」

早いもので「あにまりあドットネット」ドメインを取得して1年がたった。このドメインを取得して迷惑メールは来なくなったしホームページのアドレスも短く表記できるようになったし、言うことなしだ。
去年の2月14日、たまたまいつもより早く目がさめた私。そこでかねてから考えていたさくらインターネットにサーバーを引っ越して掲示板を新設して・・今に至る。
そういえば現在、雑談用掲示板は750件ちょっとのログが残っていて未だに去年の2月14日のログが残ってたりする。
最近、あにまりあドットコムが取得されたのは確認しているがこのアカウントもついに私の独壇場でなくなったのかと思うと少し残念にも思う。
2月15日(水) 「管理人日記」

このサイトは6年前の10月にオープンしたのだがそれから約一ヶ月の間、存在していた今では幻といっていい懐かしい企画。今となっては記憶をたどって記述するほかないのだがこの徒然日記の前身とも言える管理人日記について書いていくことにする。
この企画は本当にタイトルどおり「日記」であった。というのも最初のころ、更新するネタがあったわけでもなく、何をしようと思っていたころに本に「日記なら毎日更新できます」というような記述があったから、それに乗っかったのである。
最初はうまくいった。その日にあったこと(思ったことではない)を客観的に記述して行くやり方。
なんといっても更新するネタができたのだから。
しかし、すぐ行き詰まった。というのもあまりにも日常というのは平々凡々としていて物語のように毎日が波乱万丈なわけでもなく、当時の私は今の徒然日記のような思ったことや思想をこんな公開の場で喋るなんてありえなかったのだからある意味必然の行き詰まりだったのだが。
結局約一ヶ月でボツになって消去されてしまった。今となっては当時何を書いたかは知る由もないのだが覚えていないということはきっと普通の日常が書かれていたんだと思っている。
その2ヵ月後、私は病気にかかるのだ。
2月16日(木) 「しもやけ」

物心ついたころから私の手足に出来ていた、今では珍しくなってるらしい冬の風物詩。
このしもやけというのは今では珍しいようで手に出来たしもやけを見に来る友人が少なからずいた。
しかしなってる当人から言えばそんなに生易しいものではない。
たしかに命にかかわることはないのだが、暖かくなってきたらかゆくなってきて実にいらいらする。
中学校に入るころ辺りから足の指には出来なくなったがこの年になった現在でも私の指に出来ている。
ちょっと気を抜いたりしたら出来るので冬の間は気が抜けない。よく水は拭いて、乾燥させなくてはならない。
一体いつまでこんなものに煩わされるのであろうか。
2月17日(金) 「痛い写真の数々」

私の部屋には「地雷」がある。これを踏むと私はとても落ち込む。
タイトルにもあるのだが、その「地雷」とは写真である。何の写真かというと私がたぶん最も充実していた大学時代のクラブの写真である。
あの頃はあまりにも楽しく、かつ何もかもうまく行っていたので今の生活と比べると今の生活があまりにも退色して見えてしまうからである。
中でも私に特に精神的ダメージを与える2人の人の写真がある。聡い人なら気がついているであろう、大学時代好きだった「あの人」と、記憶が正しければ去年の6月ごろにこの日記で触れた亡くなった後輩が写ってる写真である。
「あの人」への想いは振り切ったはずだった。しかし、実際は未だに整理できていない。
単純化して言うと「私は「あの人」の一番になりたかったが「あの人」の一番にはなれなかった」というだけの事。
亡くなった後輩のことについても同じようなことがいえてたぶん彼女は私がいつまでも悲しんでいるのを見たら心を痛めるだろうし、私がこんな風になるのを彼女は喜んでいないだろう。
考えても埒(らち)ないことなのだがつい考えてしまう。
2月18日(土) 「結婚式」

弟の結婚式があった。親族の結婚式は4年ぶりだ。
私も兄として親戚に自己紹介したり、写真の撮影係となって奔走した。
おかげで式も成功のうちに幕を下ろし、やれやれといったところである。
しかし、弟がいざ家から出て行くとなると、たとえ来るまで10分のところに住んでるといっても一抹の寂しさは禁じえない。まぁ、弟はあまり家にいない人だったのでいまさら出て行くといわれても普通にどこかに泊まりに行ってるような気がしなくもなく、中々複雑である。
弟の友人は高校以降は名前しか知らない人ばかりだったのだが、今日は多くの人と言葉を交わすことが出来、弟も私同様いい友人に恵まれてるなぁと思った。
次は私の番と皆が言うのだが結婚には相手が必要でそう言う相手もいない今、私の結婚はまだまだ先であると思っている。この独身貴族という地位も住み慣れたら中々心地いいものだし・・結婚・・私には縁のあるものだろうか?
2月19日(日) 「ぶっ飛んだ写真」

私のパソコンには1000枚を超える写真が入ってるのだがその中に2枚ほどぶっ飛んだものがあることを思い出した。こんなのほかの人には見せられない・・というのが。
何かというと、私がメイドさんを着ている写真である。そう、要するに「女装」の一幕。
この写真、長らくあるのを失念していた。ところがふと溜めておいた写真をざっと見てみたらこんなものが・・
たぶん今の私には前よりもっと似合わないだろうなぁ。というのも撮影時と比べて体重が10キロ増えて顔に変な肉がついてなんか不細工になったことと、私ももう「トシ」だから・・
まぁ、大学時代の友人へのネタとしては最上(だと思っている)なので求められたらやるかもしれないが・・こればかりは大学時代のクラブの後輩I女史とS女史の心しだいであろう。化粧用具とか服とか一人じゃ集められないものがあるので・・
2月20日(月) 「「今日の私」と「明日の私」」

高校の古典の先生が仰っていた話を基として私の中で独自に発展した理論。
古典の先生が何を言っていたかというと「キリスト教では一週間分の命を神様からもらって週の終わりにまた次の一週間分の命を神様からもらうのです」というものだった。
私はキリスト教徒ではないし、キリスト教との接点は全くと言って良いほどないのでこの話が嘘か真かはよくわからない。
しかし、この考えは私に新たな境地を開いてくれた。
私はこの理論を独自に発展させて今では「一日分の命を生きる」という風に拡大解釈している。
すなわち、朝起きて夜眠って感覚が遮断されるまでが「今日の私」であり、明日の朝起きて夜眠るまでが「明日の私」である。「今日の私」と「明日の私」とは「記憶の継承の儀式」を経て記憶を継承している、と擬人化してみる。
その感覚で行くと「今日の私」が「明日の私」と同じ性格要素を持たない可能性もあるのだが実際は性格要素はすぐには変わらない。そう言う意味では私は「今日の私」に「明日の私」を縛り付けているのかもしれない。
2月21日(火) 「悲しみの泉」

私には「悲しみの泉」と自分で呼んでいるものがあってこれが私の心を常に物悲しい状態に保っている。
といっても、私は誰かの死を悼んでいるとか悲しい物語を読んだものではなく、もっと大きなものに対して悲しみを抱いてるのだ。
私を悲しませるもの。それは「時の流れに伴う万物の流転」である。抽象的でしょ?
私は家族を敬愛していることは去年の5月の終わりの消失する前の日記に書いたのだが残念ながらこの家族もいつかは解散してしまう。両親は死ぬし、私も年をとる。友人は結婚したり引っ越したりして今の形が続くことはありえない。
私はそれを悲しむ。こんなこの世の理(ことわり)を悲しんでも仕方がないのだが私は今の生活、人間関係が気に入っているので余計にこんな感情にとらわれるのかもしれない。
「泉」という表現を使ったのはこの悲しみが少なくとも5年ほど、私の心に悲しみという「毒」を垂れ流しているからである。
しかし、私は悲しみというものを否定していない。いや、むしろ肯定的に見ているのかもしれない。
なぜなら、悲しみはやがて優しさに変わると信じているから。無論、癒えない悲しみは存在してそれは辛いのだが普通レベルの悲しみは優しさに昇華すると私は今までの体験から学んだ。
そういうわけで私は悲しみと「仲良し」なのだ。
2月22日(水) 「私の原点」

私が昆虫を好きになった由来はたしかここで以前に書いているのでそれを参照されたい。
私の家の横には小路があって、その小路は都心にしては珍しく土の道で(私道だからなのだが)脇には植物が植わっていたり、鉢植え植物の入った植木鉢がおかれていて、シソが生えていて夕食用に摘んだりすることも出来て中々美しい小路である。
花には蝶がやってきてオンブバッタが細々と命脈を保ち、秋にはコオロギが鳴く。
この小路がなければ現在の虫好きとしての私は存在しなかったかもしれない。
そう言う意味ではこの小路は私の原点と呼べるものなのかもしれない。
この小路から今の動植物が好きなあにまりあという人物が生まれた。
この小路も一昨年、奥に家が建ったときに工事車両が入ってかなり荒れたというか植物がきられたりして寂しくなったのだが去年一年で大分復活の兆しが見られるようになって来た。
私の目が黒いうちはこの小路は舗装させないと密かに考えたりもしている。
2月23日(木) 「存在のカケラ」

私が思うに、人の心の中には各人が生きているのではないかと最近考えるようになった。表題の「存在のカケラ」とはそれを踏まえたうえで書いている。
なぜカケラなのか。私は「存在そのもの」とはオリジナルの各人(要するに自分自身のこと)と考えていて、その破片というかカケラというかコピーというかそう言うものが関わった人の心に散らばって息づいていると考えている。
そう言う意味では肉体が滅んでオリジナルがなくなっても関わった人が生きている限り色んな感情で覆われるだろうが心の中では生きているといえるので実際よりもはるかに長く「生きられる」。
その考えで私の中には亡くなった人たちが今でも生きている。ただ普通の人と違うのはカケラが二度と最新の情報に更新されないというだけ。
しかし、よく考えてみたら長い間音信不通の人も同じようなことがいえるわけでそう言う意味では私の中では生と死の境界はぼやけているのかもしれない。
だから、私が何かの事故で肉体が滅んだとしても心の中で生き続けられるという意味で私は死という物をあまり禁忌(タブー)とは思っていない。あまり怖くも感じていない。
私は死というものが隣にあった期間が比較的長かったのでこういう抽象論を考えるのだろう。
2月24日(金) 「悪役」

なぜかよくわからないが私は悪役というものに凄く心惹かれる。悪役といってもチンピラのような小悪党ではなく、本物の悪党、いわゆる「黒幕」というくらいの悪に私は惹かれるのだ。
ここでは私が一番理想とする悪役について触れたい。
それはコナン・ドイル著の有名なシリーズ「シャーロックホームズ」シリーズの「最後の事件」という物語に登場するジェームス・モリアーティー教授。幾つか彼について書き記すと、
・21歳で二項定理の論文を書くほどの天才。
・ロンドン暗躍する悪党一味の統領として機智を振るい、狙った獲物は必ずしとめる犯罪者のボス
・ホームズと同様の知能を持つ。
・モリアーティー教授は犯罪の計画を立てるだけで他のものたちが実行するので嫌疑はホームズ以外にはかけられなかった。
というものであろうか。この作品中でモリアーティー教授は「完全な悪」として描かれていてホームズとは好対照である。
もちろん、私は社会的に「完全なる善」にも「完全なる悪」にもなれないので(そんなことをしたら社会生活が出来ない)半端者として暮らしているのだが私は「善」より「悪」に心惹かれるのはなぜだろうか。
2月25日(土) 「歩幅」

私は人には「歩幅」があることに気が付いたのはここ数年である。それまではそんなこと考えたこともなかった。
そう、ここで言っている「歩幅」とは「個人のペース」である。
私はこの真実を長い間失念していて自分の歩幅に人を合わせようと躍起になっていたことがあった。
しかし、当然ながらそれは徒労だった。
私の心が落ち着いてくるにつれて私は人には歩幅があるという大真実を思い出した。そう、「人は違うことを理解」したのだ。
そう理解したら却って心が落ち着いた。
余談だが私はこの「歩幅」という表現が好きである。ぴったりと表現してる比喩だから。
2月26日(日) 「最後の晩餐」

レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画についてではない。ここで取り上げるのは2000年から2002年までよみうりテレビ系列で放送されていた深夜バラエティー。
メンバーはキダ・タロー、浜村淳、中島らも、笑福亭鶴瓶、石野敦士(2001年1月からは平井善之)。
考えられないンバーが毎週色々な企画に挑戦していた。
私がこの番組を知ったのは2000年の秋。テレビ雑誌に載っていた。当時の私は深夜番組に凝っていたので視聴してみた。
面白かった。いわゆる「正統派」ではないが私のツボにはまった。それ以来毎週見ていた。入院したときもこの番組だけはビデオに録ってもらってみていた。
確かに、企画によって面白いときとそうでないときの落差はあったのだがそれでも私はこのメンバーが大好きだった。
去年、中島らも氏がお亡くなりになってもうこのメンバーでは見られなくなってしまった。凄く残念である。
インターネットでは「たのみこむ」というサイトがあってそこでDVD化を希望する声が結構あるようだ。もし、DVDが出るようなら即購入するだろう。もうこのように私をとりこにするバラエティーは現れないのだろうか・・?
2月27日(月) 「徒然日記のゆくえ」

この徒然日記には今まで色々な項目を取り上げているのだが私はこの徒然日記の行方を予言しようと思う。予言といっても根拠のないことではなく実体験から言っているので厳密には予言とは違うようにも思うのだが。
この徒然日記はそう遠くない将来、ネタの枯渇を招くと思っている。その結果、同じようなネタのループになって行くと思っている。まぁ、これはある意味必然で私は何でもしているわけではなく苦手な分野や無知な分野も多々あるので当然なのだが。
このネタ不足というのは日記書きの宿命らしく、他の日記サイトでも同様の悩みを聞くことがある。
この将来確実にやってくるネタ不足という事態、中々に恐ろしいのだが私はタイトルを先行させ続ける。タイトルさえ決めておけば後から文章は付いてくるから。そうして将来の由々しき問題は考えない。人が死を考えないのと同じように。怖いのかもしれない。
2月28日(火) 「選択肢」

私は選択肢の数だけ宇宙というか世界があると考えている。そう言う意味では私の平行世界は無数にあるといってよい。
いまいちピンと来ない人に例えを出すことにする。生まれたとき、男性か女性かでまず世界が分かれる。
小学校のこのクラスになって、この人と出会って、この体験をして・・
これらの積み重ねが今現在なのだがそれでももし、クラスが隣だったら?声をかけてきた友人と隣に座らなかったら?高校受験のとき無難に高校を選ぶか、少し無理して高いレベルの学校に行くか?
そう、すべては選択の結果である。
私は数年来苦境を味わったのだがそれでもその考えで行くと私はその苦境を直接・間接の差はあれど「自分で選んだ」ことになる。
そうしたら誰かを恨みがましく思うことはなく、自分が自分の主であることが出来ると思っているのだ。

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