あにまりあの徒然日記(2005・12月)
12月1日(木) 「因縁」

私のメインマシンにはジンクスというか因縁というかそういうものがあることに今年気がついた。
それは「壁紙を変えたら遠くない将来にどこかおかしくなる」というものである。
私はパソコンのデスクトップ画面の壁紙は大抵これまで撮りだめた写真にするのだがそうしたら奇妙なことにしばらくしたらどこかおかしくなるのだ。
ちなみにサブマシンにはそういう因縁はない。
全く持って奇妙なことである。
しかし私は壁紙を変える。なぜならそういう悪しき因縁は壊さなくてはならないから。
そしてそのままの壁紙だとあまりにも味気ないからである。
12月2日(金) 「不思議na日記」

私は2001年9月6日から毎日日記帳に日記をつけている(途中2002年6月4日から同年10月19日までは飛んでいますが)。
そんな中でどうにも腑に落ちない記述の日が2日ある。
それは2002年1月14日と15日の日記である。
何が不思議なのかというと書いてることが全く同じなのである。
同じことしかしなかったという意味ではない。記述が99%同じなのだ。
違うのは「戻る」が「復帰」になってることや改行の場所、句読点の場所くらいで文章はほぼ全く同じ。
このページは見開きページになっててページを繰らないと読めないわけでもなく一目で昨日の記述がわかる。
なのに全く同じ・・いったいあの日に何があったのか・・
12月3日(土) 「口内炎」

昨日から下唇の後ろ側に口内炎ができている。
昨日、少し痛むので鏡を見てみて初めて存在に気がついた。
それから一日・・冷たいものはしみるし辛いものもしみる。
唇を動かしても痛む。
放っておけば治るのだがその治るまでの間非常に辛い思いをしなくてはならない。口内炎は口の中に出来るだけあって直接薬を塗布するわけにもいかないし自然治癒を待つしかない。
ちょっと困っている。
12月4日(日) 「一人no日々」

誤解を招きかねないタイトルであるが私は別に社会的に孤立してるとか引きこもった生活をしているわけではない。
私が書こうと思っているのは以下のことである。

私には珍しいことだが一昨年末から去年の初めにかけてどういうわけか私は「彼女がほしい」と思ったことがあった。
そのとき、さりげなく2人ほど誘ったが見事にフられた。
ちょうどその当時は精神状態がよくなかったので正確に言うと「彼女がほしい」というより「話を聞いてくれる人がほしい」というのが正確な表現なんだろう、と今になって思う。
実際精神状態が落ち着いてくるにしたがって私のそういった希求はなくなっていった。
私は今の「一人no日々」(彼女という存在に縛られず自由に生きるということ)を楽しんでいるし、今の私は女性とお付き合いするよりパソコンをしたりアリと戯れるほうがよほど面白いのでまぁ、いいかと思っている。
こういうのはいずれ精神状態がそちらに向けば結婚なりお付き合いなりするだろうし別に結婚しない生き方もありだと思っているので(この価値観は変わってるだろうから押し付けは絶対しませんが)私はこの独身彼女なしという状態をむしろ楽しんでいるのだ。
12月5日(月) 「ブログ」
Web Logが簡略化されてこの呼び名になったらしい、簡単に言うと「コメント投稿が可能な日記」とでも呼ぶべきだろうか。
今年の流行語、ヒット商品ともに10位内にランクインしていたまさに旬の機能と言えよう。
私はこのブログに対してはあまり興味がない、というかどちらかというと「重い」「サーバーが落ちる」という悪印象の方が先行していて中々もつ気にならない。
私はgooIDを持っているので(ほとんど使っていないフリーメールのためだが)一度途中まで作成手順を踏んでみたが・・
本当に簡単に開設できるようだ。
携帯からも更新可能、専用ソフトも必要ないとあればこのブームもうなずける。
私としてはブログのこの「重い」「落ちる」という印象が払拭されるように回線の増設なりを望みたいところだ。
まぁ、増設されて表示が軽くなっても手を出さない可能性は大いにありえるのだが。
12月6日(火) 「サブマシン」

私にはメインマシンのほかにサブマシンという予備のパソコンがもう一台あることは時々サブマシンで云々という文章があったのでお察しいただけると思う。
これは去年の初め、ヤフーオークションで購入した改造品だ。
本来ならCD-ROMドライブしかつんでいないところがDVD-ROMドライブがついていてDVDが見られる。
学校用にと買ったので来年になれば即、売りに出そうと思っていた。
売ればいくばくかのお金が入るし。
しかし、気が変わった。今年のメインマシンの度重なる修理、これを経験していくうちにサブマシンは非常時のために取っておこうと考えるようになった。
今年、メインマシンが故障してる間どれだけこのサブマシンの世話になったことか・・
ハードディスクが飛ぶまでは使い倒そうと考えてるのだ。
12月7日(水) 「潰瘍」

口内炎が悪化してどうやら潰瘍になっているようでものを食べたり飲んだりするのにも支障が出てきている。
とにかくしみるのだ。
患部に唾液が触れただけでも激痛が走る。
食事の際は顔を横向けて食べる始末。
汁は患部に入らないようにすばやく飲む。
潰瘍になってるということは体の中の何かがバランスが崩れてるということなのだと思うが全く思い当たる節がない。
というかこの口内炎はここ数年で最悪のものになってしまった。
かといって薬は飲みたくないし、大いに困ってるのだ。
12月8日(木) 「さて、何を書こうか・・」

最近、考えることがすごく哲学的なものになっていてここで書いてもどれだけの人がついてこれるか・・ということを考えている。これを考えるのは眠るほんの少し前なのだが結構深いところまで考えてると自画自賛してみる。
私が考えること、それは「生と死」であり「宗教とは?」ということであるのだが結局こういうのは人類永遠のテーマなのかもしれない。
書くとたぶん数日にコラムを分けないといけないくらいの量に文章にしたらなると思うので書くことをためらってるのだ。
こうなったのは私が鬱という精神的大破壊を経験したからに他ならないからなのだが・・鬱は私を変えたといってもいいだろう。そういう意味では私は「臨死体験」に近い経験をしてきたのかもしれない。
違うのは明確に「花畑」や「三途の川」といったヴィジョンを見ることはなく、精神的、思考的に「死」に近づいただけということか。
何かの本で読んだが臨死体験をした人は死が怖くなくなり人にやさしくなるそうだが・・後者は自信がない。
12月9日(金) 「閻魔メモ」

私には「閻魔帳」ならぬ「閻魔メモ」と呼ぶべきメモがある。
いったい何が書かれているのかというとこのHPの掲示板におかしな広告を書いていった者のIPアドレスを書き連ねたものである。
最初は共通点がほとんどないように見られたIPアドレスもメモを取っていけば共通する数字やプロバイダのIPがあることがわかってくる。
そうして順次書込み禁止にしているのだ。
それにしても迷惑メールの次は広告・・業者との暗闘は続く。
12月10日(土) 「すごい偶然」

この偶然に気がついたのは最近のことだ。これは全く私が想定していなかったことなのでその偶然性に驚くばかりだ。
倒置法で書いたが何が「すごい偶然」なのかというと、私の日記帳のことだ。
私は日記帳に日記を4年ほど書いていることは度々ここでも書いてきたがその日記帳が今年の大晦日に終わるのだ。
私は別に1年の日記帳を使ってるわけではなく、普通の気に入ったものを使っていて大体紙の枚数は128枚ほどあるようなので256日で終わる計算だ。
今の日記帳で書き始めたのが今年の4月20日。それから毎日一日一ページずつ書いてきたら・・
丁度大晦日に終わる。
すごい偶然だなぁ・・
12月11日(日) 「私の日記ーMy Diaryー」

私は4年前の夏から日記をつけている。最初の動機は入院してるときに夕食後本当にすることがなくて始めたものだ。
当時は暇に任せて一日3ページや4ページ書くこともザラだった。
翻って現在。
一日10行も書けたら大したものだ。これは書くことがないのではなく簡潔に書くようにしたからによる。
それでも4年分の日記は面白く昨日の夜、寝る前に読み返してみたが下手な小説より面白かった。
鬱状態がひどかった一昨年の夏から去年の初めまでは日記の文字も小さくちょこちょこと書かれていて状態が悪かったのがわかるのが面白い。(私の書く文字は平時でもそれほど大きくないのだが)
よく読み返してみたら2001年も大晦日に日記帳を終えている。
昨日すごい偶然!と感動したが・・
12月12日(月) 「あにまりあ氏、ブログ界に進出か」

【コンピュータトピックス】
未確認情報であるがあにまりあ氏に近い筋では「あにまりあ氏が近いうちにブログ界に進出するのではないか」と噂になっているようだ。
噂の内容ではあにまりあ氏は自分の素性があまりにも公になっているホームページとは別に本来のインターネットの姿である「匿名性」を隠れ蓑にしたブログを作成したがっているという。
あにまりあ氏はホームページ開設当初、インターネットの匿名性が嫌いで自らの氏名をホームページに書くという「珍事」を行ったのだが最近アクセス解析を見たらあまりにもこの名前が検索されるのに嫌気が差してきているとも言われる。
あにまりあ氏はgooIDを所持していてそれを基にgooでブログを作るのか、また別のサービスにするのか、それともこの話自体が単なる噂に過ぎないのかは全くわからないがもし噂が本当ならばあにまりあ氏がどういうブログを作るのか、非常に興味がもたれるところだ。(スポーツ放置)
12月13日(火) 「楽しむということ」

鬱になって以来私は中々この概念が理解できなかったようだ。
自己啓発書にも書いてあったし漫画にも書いてあった。何を楽しむのか。それは実に単純明快な訓示である。
「仕事を楽しんですること」「人生を楽しむということ」。
文章で書くとたったこれだけ。でも実際どれだけの人が「仕事を楽しんで」、もしくは「人生を楽しんで」いるんだろう。
私もここ数年色々なことにトライしたが殆どで楽しめたのは最初だけ。
途中から楽しんでしていたはずの仕事もしくは趣味が突然性質を変えて「重荷」になった。
今の私だから言えることなのだがそういう「重荷」も人生の思い出もっといえばスパイスなんだろう。
その証拠にトラウマになったりするほどの辛い思い出は別として普通過去は「美化」されますでしょう?
「重荷」(すなわちストレス)のない人生は過ごしやすいだろうけれど反面「思い出の乏しい」のっぺらぼうの人生ともいえるのではないかと最近考えるようになった。
私の鬱は寛解(かんかい)に近づいたとはいえまだもう少しであるらしい。
でも私は今この状況を「受け入れて」いるしそんな自分を「許して」いる。
そういう意味では私は5年に渡る冬の時代をようやく乗り越えかけているのかもしれない。
12月14日(水) 「自分が自分らしくあるということ」

私は鬱状態になってからこの概念をすっかり失念していた。
私は他の人になれないし他の人の心も読めないから他の人が同様に感じているかはわからないが私には「等身大」の自分でいられるという空間、すなわち「自分が自分らしくある」ということを実感できる場所が必要なのだ。
ここ数年、私はアイススケートで躓(つまず)きかけの人がするように歩幅が一定でなく(結局躓いたのだが)よろよろと年月を消化してきた。
しかし私の鬱状態が治っていくにつれて私は「等身大」の自分を取り戻していった。
言葉ではうまくいえないが「自分の心が自分の肉体にジャストフィットしている状態」(背伸びをしなくていいこと)とでも言っておくとしようか。
他の人はこういう感覚を味わってるのだろうか・・
12月15日(木) 「読むこと、理解すること」

普通小説や漫画などを読むときはこの二つは一致していると思う。
問題は自己啓発書である。
私は以前の日記で「チーズはどこに消えた?」という本の含意を理解するのに時間がかかったと書いた。
自己啓発書は大抵普通に読むと簡単な教訓や物語であることが多いようだ。
しかしそこに含まれてるメッセージを実践しようとすると中々難しい。
それは実践するのが気恥ずかしかったり単純に理解したつもりで読み飛ばしてしてしまうからだと思っている。
私は鬱状態の期間の間結構自己啓発書は読んだ。しかし当時の私がそれを本当に「理解」していたかは疑わしい。
確かに「読む」ことはしたのだが「理解」は中々してなかったのではないかと思えるのだ。
皆さんは自己啓発書を読んでみてどういう印象を持っていますか?
12月16日(金) 「散財の12月」

今月は出費が続く。今月はじめの大学のサークルの40周年記念パーティーから出費続きだ。
予想外の出費は日記帳のお金やリフィルのお金など。何も年末に固めて出費が嵩まなくても・・
私としてもコスト削減の手は打ってるつもりなのだが交友関係の出費がこの月は多いな・・
年末だから仕方がないといえば仕方がないのだが・・
でもこうして色々な会合に声をかけてもらえるということは嬉しいことだ。
さて、12月も半分が過ぎたのだが未だ忘年会が2件入っている。うーん、どうしたものか・・
12月17日(土) 「年末」

いよいよ今年も残り2週間になった。そこで遅ればせながら部屋の掃除を始めた。
私は一気に掃除をやると物を移動させた場所を忘れたり後で要らないものが大量に出てきたりするのでここ数年は数日かけて少しずつ片付けるようにしている。
それでもすぐに物の置き場所を忘れて失くしてしまうのではっきり言って掃除は好きではない。
埃を掃除機で吸ったりするのはいいのだが机の片付けとかが中々進まない。
はぁ・・
12月18日(日) 「Winter Storm」

ここ2、3日、気分が良くない。鬱状態とは言わないが何をするにも気力がわかずわけのわからない悲しみのような感情に覆われる。
そういえば去年も12月の初旬にこんなことがあってHPを1週間ほど留守にしたことがあった。
この「けだるい」状態はここにも現れていてこの2日ほど書く量が少ないことにお気づきだろうか?
書くことはあるのだが頭の中でまとまらず、文章にするのも大儀なのだ。
この状態は別に今に始まったことではなく少なくとも高校時代から冬になって気分が動かなくなるというか塞ぐというかそういう状態はあった。
そういう意味では表題は「Winter Storm」(冬の嵐)ではなく「Winter silence」(冬の静寂)とするべきかもしれない。
12月19日(月) 「あにまりあの年賀状予報」

来年2006年の年賀状は昨年に引き続き微減の傾向が続くでしょう。
来年の年賀状は35枚前後が投函されるでしょう。この減少傾向はここ数年続いていますが来年以降に増加傾向に転向する可能性があります。
なお、この予報は元旦に到着する葉書のもので返信で出すものはこの限りではありません。
もっとも来ると予想される方にはこちらから先着して葉書を出すので漏れは少ないと考えられます。(あにまりあ情報省)
12月20日(火) 「あと11日」

そういえばもう今年も残り2週間を切ったんですねぇ。掃除も中途半端にしたままあまり進んでいない。
アリの新しい巣箱に石膏を敷く(だけ)作業も何か越年しそうな気配である。というのも去年は数種類早急に入れ物を換える必要があったのだが今は差し迫ったものがそれほどないこと、石膏を敷くのではなくスポンジで湿度を保てばいいのではないかと思い始めたこともある。
私ってものぐさだなぁ・・
12月21日(水) 「リストラ」

去年から私は2つのものをリストラしてきた。リストラといっても私は事業主ではないので人件費ではない。
何を削ったかというと電子メールと年賀状である。
1998年ごろから年賀状の枚数が増え始め、2001年からは電子メールを送る頻度が上がった。
なぜそうしたかというと単純に返事が来たら嬉しかったから、人と「繋がっている」という実感を得られたからであった。
これはずっと以前に書いたように思う。
去年の最初、記録も記憶もないので良く覚えていないが私は電子メールをシャットダウンする!と宣言してメールを出さない期間があった。なぜそんなことをしたのかは今でも不思議に思う。
それを機に電子メールは去年の春に事務内容以外では出さなくなった。
年賀状も確か一昨年ごろから減少に転じ、今ではたぶん最盛期の7割ほどに圧縮できた。
そういう意味では私は無駄なものを省いた良い状態になってきているのかもしれない。
メールも最初こそ違和感を感じたが出さないのが常態化するにつれ違和感も消えていった。
リストラしたのは「労力」とでもいっておこうか。まぁ、その分浮いた労力を建設的なことに使ってるかと聞かれたら自信がまったく持てないのだが・・
12月22日(木) 「日にちのたつのが・・」

最近不思議に思うことがある。
私は別段充実した日々を送ってるわけでもないのに日にちの経つのが早いというか一週間前の出来事が一ヶ月くらい前のことのように感じられるのだ。
そんな具合だから秋のことは一年くらい経ったような感覚でいる。
一日が経つスピードは前とあまり変わっていないのにこれは一体どういうことだろうか?
それともこう感じる自体、毎日が「充実してる」ということなのだろうか?
12月23日(金) 「私と生と死」

これは私が今の段階で纏め上げた考えである。誰かに押し付けるものではないし押し付けてはだめだと思っている。
またこの考えはあくまで現段階のもので時とともに変わっていくだろうということも明言しておく。
それを念頭において読んで頂きたい。

私は2000年の末からつい2ヶ月ほど前まで長い間「病的状態」にあった。
その間、私の生は極めて不安定な状態にあって何度も死んでもおかしくないという状態にも陥った。
だから私が今こうして生きているということはすごく不思議な気がするのもまた事実である。
私の状態が特に悪かったのは一昨年の初夏から去年の初秋まで一年以上、「最悪の」時を迎え、それこそ発作が起きて何度も死に掛けたことはどうしようもない事実である。
私には公約とまでは言わないが目標がある。
それは飲んでる薬が無くなったとき、この「儲けもの」の命を他の人の役に立てるよう、骨髄バンクに登録しようと考えているのだ。
私は病気の間、色々な人に心配をかけて泣かせてしまったことさえあった。
私はそれをすごく恥じているし悔やんでいる。だからせめて骨髄バンク登録で少しは罪滅ぼしをしようと考えてるのだ。

病気がひどかったとき、それはまた死に近づいていたときであった。近づくということは知るということでもあって私は色々生と死について考えた。
なぜ死が怖いのか。色々な書物を読んだがしっくり来る説明はなかった。
そうして私は思うようになった。「死は怖いから怖い」。そこに理由はない、と。その怖さは何かというと生きてるうえでの本能だと思う。
しかし私は死ぬことが怖くはない。なぜなら死に近づくことがあまりに多かったので変な意味で慣れてしまったともいえる。しかし裏を返したらそういう考えでいるという状態は今ある生を楽しんでいない、ともいえると思う。
数日前の日記に身近なことを楽しむことについて書いたがそういう意味では私は「本当に」楽しんでるのかな?と思う。
最後に死について私見を少々。
死ぬことは残念ながら私たちが「生き物」であるので避けられない。それを求めてはいけないがあまりに怖がりすぎるのも考え物だと思う。なぜなら100年経てば私も読者のあなたも当然死ぬのだから。
死に至る過程ではこれまでの生を振り返る時間があると思う(突然死は除く)。そこでは突き詰めたら「自分の生きたいように生きられたか」ということに集約されるのではないかと思う。少なくとも私はそうだった。
私はそういう意味では死は生の総決算書と思っていて悔いのないように生きられた人が本当に全うできた人ではないかと思うのだ。そこではお金や社会的地位でさえも価値をあまり持たない。
そこでこの言葉で文末を結びたいと思う。中々平時では色々な服(刹那的な快楽やお金などのこと)に身を覆われていてわからないかもしれないが。
「あなたは自分の生きたいように生きていますか?」
12月24日(土) 「ブログ計画、明らかに」

【コンピュータ・トピックス】
12日にあにまりあ氏に近い筋からの情報としてあにまりあ氏がブログに進出すると言う計画があるとスクープしたがあにまりあ氏は24日、会見を行い、この計画が存在することを認めた。
あにまりあ氏によるとブログの内容は「今の段階ではいえない」としながらもいくつかの確定要素を明らかにした。
まず、ブログはこれまでのものとは別の完全に独立したものとし、あにまりあ氏のホームページにリンクもしなければあにまりあ氏のホームページからリンクもしないということ。これについてあにまりあ氏は「もう一度一から育てるという楽しみを味わいたいため」と説明している。
その次にブログのタイトルには氏のお気に入りの名前である「あにまりあ」もしくはそれに類した名前は一切つける気はないということである。これについては「今度のブログは完全に独立したものにしたいので検索しても簡単には見つからない名前にしたい、ちなみにその名前はもう決めてある」ということである。
開設時期、ブログサービスの種類については「まだ決めていない」としながらも、いよいよ始動しだしたあにまりあ氏のブログ計画。今後の展開に期待がもたれる。(スポーツ放置)
12月25日(日) 「ゴミ出し」

我が家の近所では年内は31日がごみ収集の最後の日である。31日というと大晦日。ゴミはもう十分出てるのだがまだ出るかもしれない。
さて、ここでも「大体やった症候群」が出てくる。
掃除は後は部屋の窓を拭いて床をもう一度掃除機かけて雑巾で拭くだけなのだがあまりに早くやると又綿ぼこりとかが出るかもしれない。
そんなわけで30日ごろにやろうと思ってるのだ。
それ以外といえば・・アリの入れ物で余ってるものを片付けることぐらいである。
何か呆気ない。
12月26日(月) 「フリーメール」

私は検索エンジンでもおなじみのgooのフリーメールにアドレスを持っている。
しかし、最近全然使っていない。確かに今年の8月ごろ1通受信したのだがその前は3年前にまでさかのぼる。
大学卒業時、私は今のプロバイダと違って接続時間に応じて料金がかかるプロバイダに入っていたので家でメールを見るよりは大学院でメールを見たほうが安上がりだと考えて登録した。
確かに2002年の夏ごろまではそこそこ使っていた。
しかし、2002年に料金一律のプロバイダに換えたのでそれ以来は家でメールをすることが多くなり、フリーメールの出番はなくなっていった。
解約しても良かったのだが過去の遺物としてメールを時々見るのは楽しいし、何より解約方法がよくわからないので今でもそのままである。別に料金がかかるわけではないのでいいのだが。
12月27日(火) 「帽子」

私は帽子が好きではない。
父と弟は帽子が好きなのだが私は好きではない。
店には色とりどり、色々な形状の帽子がある。しかし私は帽子が好きではない。
なぜか。単純な2つの理由である。
まず、帽子をかぶると頭が締め付けられるような感覚に襲われる。多分帽子に慣れていないからだと思うがこの感覚が非常に嫌なのだ。
もうひとつ、特に夏季にかぶると汗が帽子の縁にたまって非常に不愉快になる。蒸れるというかそういう感覚なのだ。
これらの理由で私は帽子が好きではないのだ。
しかし、真夏に熱射病予防というか頭部の温度が上がりすぎるのを防止する効果は確認している。
去年の夏、大阪南部で渋滞長の調査に参加したことがあった。丁度8月上旬で一番暑いとき。
日よけが全くない道路沿いでの調査だったのだがあの時は本当に帽子のありがたみがわかった。
とにかく頭が熱くならないのだ。
そういうわけで私は帽子が好きではないのだが全否定しているわけではない。
12月28日(水) 「先生の教え」

私は小学校・中学校・高校・大学・大学院と教育を受けてきたのだが今日はその中でも特に心に残っている2人の先生を取り上げたいと思う。
まずは小学校5,6年の担任のK先生。
何が思い出に残ってるかというとこの徒然日記の原型を教えてくださった。
具体的に言うと当時、週に一回、班ごとに日記を提出していたのだが日記に表題をつけることを教わった。
先生がなぜ表題をつけろと仰ったのかは記憶に残っていないがその教えが今日の徒然日記に受け継がれてる。
ちなみにこのK先生が初めての男性の担任だった。
もう一人、中学校1,3年の担任のA先生。女性とは思えないほどのバイタリティーをお持ちで怒ったらそれは怖かったのだが親身になって生徒と付き合ってくださって、私が公立高校受験に失敗して落ち込んでいたときに特に目をかけてくださった。
そのA先生が授業中に仰ったこと。「人は死ぬまでにどれだけの人と話すのか」。
今でも覚えてるということは相当衝撃を受けたようだ。
それまで考えたことがない概念だったので。

A先生は数年年賀状もやり取りしておらず今でもその住所にお住まいなのかはわからないがK先生とは一昨年の同窓会でメールアドレスを交換して時々ではあるがメールをしている。
12月29日(木) 「宴ーうたげー」

忘年会があった。予想に反してたくさんの人が来ていて非常に楽しいひと時を過ごした。
あまり寒くなかったことも幸いした。
今度会うのは3月にしようとみんなで一致して別れて来た。
それにしても周りのみんなはどんどん変わっていくなぁ。
12月30日(金) 「バッテリー」

私のデジカメは充電式電池を使用してるのだがそろそろ限界が来たようで昨日、フルに充電して撮影した写真を見ようとしたらもう電池が切れてしまっていた。その都度電源に差し込めばいいのだが非常に手間がかかる。
ひょっとしたら大分旅行のような長距離で日にちが掛かる旅にはもうもっていけないのかもしれない。
よく考えたら購入してもうそろそろ5年になる。よく故障もせずに今日までいてくれたものだ。
かといってデジカメ買い替えの予定はない。限界まで使い切りたいと考えているからだ。
今度買うときは・・アリ撮影も視野に入れて店の人に質問しつつ考えることにしよう。
12月31日(土) 「後日談」

今日で2005年が終わる。
この日記も1年通してつけることができた。よく続けられたものだと感心する。
5月に15個ほど消失してるので350件ほどのコラムが2005年の日記としてサーバーに載っている。
その後日談を書くことで今年の結びとしたい。

2月7日付「右クリック」から。この一年、取り込んだ「唯一神を讃える賛美歌」は非常に楽しませてもらいました。この歌、実在の候補者の名前が出てくるので選挙期間中は公表できない代物だそうですが取り込んだおかげでいつでも好きなときに聞くことが出来ました。4回生のときは普通に右クリックをしてたんですが・・

3月4日付「一件落着・・ではなかった」から。後日、精密検査を受けたところ母の体は至って健康だそうで怪しい部分はないとのことでした。ほっ・・

7月23日付「あにまりあ氏、暑中見舞い全廃へ」より。このコラムが初めて新聞記事のように文章を書いたものだったのですね。この書き方、気に入ってるので時々使っているがすっかり定着した感がありますね。

8月29日付「寝台特急撮影」から。今はなき「彗星」を写真に収められたということで有意義でした。
私はかねがね申していますが寝台特急(青い客車を機関車が引っ張るもので電車型ではない)が好きでいつかはこれをしたいと思っていましたが目標を果たせました。

9月16日付「彼岸花」から。今では大きいものは15センチくらいの長い葉を放射状に伸ばして越冬してます。この花の生態は全く知らないので今後が楽しみです。来秋には植えた一角が赤く染まる予定です。

10月31日付「ペンタブレット」から。全く使っていません。まさにこれこそ「買ったことに安心して使わない」ものになってしまいました。案外字を書くのって難しいのね・・その後、イラストレーターやスキャナをある程度使い方がわかってきたのでタブレットの出番は今後ますます少なくなると思います。

こんなところでしょうか。来年はどういうことが記述されるのでしょうか。ここをご愛読の皆様、今年一年ご愛顧ありがとうございました。また来年もよろしくお願いいたします。

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